2020 年 40 巻 2 号 p. 65-73
近年のデジタルテクノロジーはエコシステム環境下でのデジタル企業の隆盛と,新たな脅威と機会につながっている。一方で既存企業はその対応に苦戦している。デジタルトランスフォーメーションは,近年の複合的デジタルテクノロジーによる新しいビジネスモデルを活用するための全社変革である。デジタルビジネスはプラットフォームや複数のプレイヤーから成るエコシステムを特徴とし,プラットフォームでの価値創造にはビジネス視点と技術視点のものがあり,新しい軸での競争を生みだしている。またトランスフォーメーションには複数のアプローチがあり,段階的な取組により成功率が高まる可能性がある。今後のマーケティング視点からの研究の方向性として(1)業績への影響とその条件,(2)補完製品提供者も含めた価値創造のプロセス,(3)情報システム部門とのテクノロジーケイパビリティ構築,(4)デジタル関連組織の役割の特定が提示された。
Recent evolutions in technology have enabled the rapid growth of digital companies through ecosystems, which have generated both threats and opportunities for existing companies who are struggling to adapt themselves to this rapidly changing environment. Digital transformation is a company-wide transformation initiative to leverage new business models enacted by multiple recent digital technologies. Digital business depends on ecosystems, which are composed of a platform, and multiple players, such as complementary product providers, competitors, regulators, and others. Companies could leverage platforms from business and/or technology perspectives for value creation, which has added new ways of competition among companies. Companies could take various digital transformation approaches and their step-by-step approaches could improve the success rate of their digital transformation initiatives. In the future marketing research, the impact of digital transformation on a company’s performance, value creation process with complementary product providers, technology capacity development process with IT departments, and identification of the roles and responsibilities of the CDOs and their teams are suggested.
2009年から2019年の10年間で,デジタルテクノロジー(DT)を基盤とした企業(デジタル企業)の時価総額は大幅に増加し,全世界の時価総額上位企業のうち,それらの企業が7社を占めるようになった(PricewaterhouseCoopers, 2019)。このデジタル企業の隆盛は自社既存事業にとっての脅威になると共に,新たな機会にもなりうる。そのため企業が自社にDTを取り入れ,脅威や機会に対応するための取り組みとしてデジタルトランスフォーメーション(DX)への関心が高まっている。その一方で世界デジタル競争力ランキングにおける日本のランキングは23位,特にモバイル回線契約者数やワイヤレスブロードバンドの普及などで上位に評価されているものの,企業の敏捷性やビッグデータの活用,分析では調査対象国・地域の中で最下位の評価を受けており(IMD, 2019),デジタル化に向けた課題も明らかになっている。
研究者の間でもデジタル関連の研究は行われてきたが,DXについてはその特徴としてマーケティングだけでなく,戦略や情報システムなど様々な分野に関連するため,各領域で個別にDXに関係する研究は行われているものの,包括的な理解や知見の創造につながる研究は十分に行われていない(Vial, 2019; Yadav & Pavlou, 2014)。また伝統的な企業がどのように対応していくべきかについての研究も限られている(Kopalle, Kumar, & Subramaniam, 2019)。マーケティング領域においても,デジタル関連の研究はこれまで4Pのフレームワークに基づいたテーマが中心となっており,DXに関する研究はまだそれほど多くない(Kopalle et al., 2019)。
そこで本稿では,まず次節でDXとDTの特徴,第3節で高い収益を産むデジタル企業の基盤であるエコシステムとその価値創造,第4節でDXのステップについて,マーケティングを中心に関連する戦略や情報システムなどの分野での研究も含めたレビューを行い,第5節で今後の研究に向けた課題を提示していく。
近年DXへの注目が高まり,様々な取組が進められるようになってきたが,研究者によるDXやDTに関する研究,特に様々な分野をカバーするものは限られており,基本的な概念の定義についての明確な合意が得られるまでには至っていない。そのため,本節ではDXの議論を進める上での出発点,そして定義につながり得る共通点を,先行研究から導き出していきたい。
1. 様々なDXの定義における共通項マーケティング研究では,企業にとってより多くの価値創造と獲得につながる新しいビジネスモデルを構築するためのDTの利用方法の変化(Verhoef et al., 2019),情報システム研究では,DTによってもたらされる企業のビジネスモデルの変化と,それに伴う製品や組織の変化,プロセスの自動化(Hess, Matt, Benlian, & Wiesböck, 2016)という定義が報告されている。また実務家向けの書籍では,デジタル技術とデジタルビジネスモデルを用いて組織を変化させ,業績を改善すること(Loucks, Macaulay, Noronha, & Wade, 2016)と定義されている。それではこれらの定義に共通するのはどのような点だろうか。
まずDTを用いた新しいビジネスモデルへの言及という点が挙げられる。DXを考える際に,デジタルという単語からテクノロジーや情報システムを思い浮かべることがあるが,テクノロジーそのものがDXの中心ということではない(Kane, Palmer, Phillips, Kiron, & Buckley, 2015; Westerman, 2018)。英語ではデジタル化を表す単語としてdigitizationとdigitalizationの2単語があり,前者はプロセスそのものには触れずに,アナログな形式をデジタルな形式に置き換えること,後者はビジネスモデルの変革のためにDTを活用し,新しい売上や価値創造の機会を生み出すことであり,デジタルビジネスに移行するプロセスであるとされている(Gartner, n.d.)。そのため,DTを利用しても従来のアナログだった業務プロセスをDTによってデジタルに置き換えるだけではdigitizationにあたり,それだけではDXとはならない。ビジネスモデルに関わるdigitalizationの取組がDXには必要であると考えられる。
さらに,DXは情報システム部やマーケティング部といった特定の部署ではなく,企業全体の取組である点も挙げられる。賢明な企業はDXを最終的には顧客のニーズによりよく対応することであると理解し,その目的実現に向けてデジタル化を通じてそれまでバラバラだった活動が結び付けられることが可能となるが,そのためには多くの場合で人員とテクノロジー双方の再構成が求められる(Furr & Shipilov, 2019)。またDXにおいて「トランスフォーメーション」という単語が使われることは,DTのための取組の包括性を示しており,DXには部門視点ではなく,DTによって生じる機会やリスクに対して包括的に取り組む全社的なデジタル(トランスフォーメーション)戦略が求められる(Singh & Hess, 2017)。これらから見られるように,全社変革という点もDXにおける共通項として見出すことができる。
2. DTの特徴次にDXを考える上で,DTが大きな役割を果たしているため,DTのどのような特徴からDXが求められるのかについても考えていきたい。DTの一つとして情報通信技術(ICT)が考えられるが,このICTについてのマーケティング領域での議論は,既に50年以上前から行われており,当時から企業での管理運用の役割分担や,職種や求められるスキルの変化,陥りがちな罠などが議論されている(Berenson, 1969)。DXへの関心が高まる以前から議論されてきたということは,ICTというだけではDXにはつながらないことになる。
このDTの対象としては,2019年の世界時価総額ランキング上位10社中7社を占めるデジタル企業(PricewaterhouseCoopers, 2019)が,インターネットを直接あるいは間接的な形でベースとしている点が指摘できる。7社中5社の創業はインターネットの商用利用が開始された1980年代後半以降であり,また残りの2社もインターネットが製品やサービスの基盤となっている。次に先行研究での定義を参照すると,インターネットに関連するコミュニケーション技術,機器,インフラストラクチャー(Yadav & Pavlou, 2014)や,ソーシャル,モバイル,アナリティクス,クラウド,そしてIoTの頭文字を取ったSMACITという表記(Sebastian et al., 2017)のように,この対象は何か特定の一つの技術が想定されているわけではなく,これらの技術の総称がDXにつながるDTの対象と考えられる。
さて前述のdigitizationとdigitalizationを踏まえると,DXの共通項の一つとしてビジネスモデルに関わるdigitalizationの取組が挙げられた。このビジネスモデルの変化という点では,新しいDTにより,ビジネス環境はデジタルエコシステムにシフトしており,そこでは従来の企業にとっての相互依存性が,デジタルによる接続性によって徐々に影響を受けている(Kopalle et al., 2019)。バリューチェーンの観点では,スマートコネクティビティによって企業は顧客や他の企業(時として競合企業も含む)と新たな方法で価値共創を進めることが出来るようになる(Zaki, 2019)。これらに見られる通り,企業と顧客,企業間,企業と製品やサービス,そしてIoTに見られる製品やサービス間といった様々なステークホルダーをつなげ,後述するプラットフォームを中心とするエコシステムに基づく新しいビジネスモデルを可能とすることから,新しいDTの持つ接続性がDXが求められるようになる中で大きな役割を果たしていると考えられる。
前節でのDXやDTの特徴を踏まえ,本節ではDXの実現に向けて重要なエコシステムとそこでの価値創造について見ていく。デジタル企業はプラットフォームを基盤とするのに対し,DXに取り組む既存企業は,DTによる相互依存性,デジタルエコシステムでのつながりによる新たな機会,ネットワークを活用した競争優位の確立などに慣れていない(Kopalle et al., 2019)。そこで本節ではDXの重要な要素の1つであるエコシステムでの価値創造について,ビジネス視点とテクノロジー視点から見ていく。
1. ビジネス視点からの価値創造まずビジネスの視点では,エコシステムとは自然の生態系におけるエコシステム概念をビジネスマネジメントに応用したものだが,その初期でMoore(1993)は自然の生態系での複数種の相互依存関係からの相互進化や,環境条件の過度な変化によるある生態系の崩壊と別の生態系による置換にビジネス環境との類似を見出し,企業経営でのエコシステムによるアプローチの必要性を述べている。ただしこの議論はIT業界での事例に基づくものの,特にプラットフォームに関する言及はされていない。この生態系におけるプラットフォームの必要性については,ウォルマート社とマイクロソフト社の事例にて,自社と生態系双方のために着手した取組として,双方の業績に貢献するプラットフォームの構築が述べられている(Iansiti & Levien, 2004)。さらにプラットフォームの中でも,ある製品やサービスが異なる2種類のユーザーグループを結びつけ,ネットワークを構築したツーサイドプラットフォームについて,以下のような項目が取り上げられた。(1)同じグループ内のユーザー数の増減によるサイド内ネットワーク効果,(2)一方のユーザーグループにとってのプラットフォームの価値は,もう一方のユーザーグループのユーザー数によって決まるサイド間ネットワーク効果,(3)ユーザー数の増加によって発生する収穫逓増の法則,(4)どちらのユーザーグループのユーザーから増やすべきかといういわゆる鶏卵問題,(5)鶏卵問題において,あるユーザーグループのユーザー数の増加がもう一方のグループのユーザー数の増加につながる場合,前者をサブシディサイドとして優遇し,後者をマネーサイドとしてそちら側からの収益化(Eisenmann, Parker, & Alstyne, 2006)。
2. 技術視点での価値創造次に技術の視点からエコシステムの概念について考えていく。DTの影響として,企業がレイヤーアーキテクチャーに基づくデジタル要素を,モジュラーアーキテクチャーによる有形製品に組み込むことから新しい製品アーキテクチャーとしてレイヤーモジュラーアーキテクチャーの出現が指摘されている(Yoo, Henfridsson, & Lyytinen, 2010)。この概念は有形製品でのモジュラーアーキテクチャーとDTによるレイヤーアーキテクチャーを組み合わせたものだ。モジュラーアーキテクチャーとは,製品の機能要素と有形要素が一対一で対応しており,コンポーネント間のインターフェースが独立した構造となっている(Ulrich, 1995)。一方レイヤーアーキテクチャーは,一般的にソフトウェアアーキテクチャーで用いられる構造であり,(1)複数の構成要素がそれぞれ機能を提供し,(2)その機能がどのように実装されているかを知ることなく他のソフトウェアから利用することができ,(3)それぞれの構成要素が厳密な順序関係に従って機能し,(4)階層化した各構成要素は上位階層の要素は下位要素のみを利用できるようになっている(Gao & Iyer, 2006)。そして双方の特徴を備えたレイヤーモジュラーアーキテクチャーの特徴は(1)製品としての範囲や機能の流動性,(2)場面によって様々な階層を構成しうる多面性を持つレイヤー,(3)特定でなく様々な製品に活用できるコンポーネント,(4)製品像を把握していない企業も含む様々な企業によって利用されるプロトコルを通したレイヤー間の連結とされている(Yoo et al., 2010)。
更にYoo et al.(2010)は,以前の技術では見られないDTの独自性として再プログラミング性,データの同質性,そして自己参照性を指摘し,中でも製品アーキテクチャーに関係する再プログラミング性とデータの同質性について以下の通り説明している。前者の再プログラミング性とは,デジタル機器ではアナログ機器と異なり機能の実行と製品の形が分かれているため,新しい処理命令をコーディングすれば,データが新しい命令に従って別の処理がなされることを指す。一方後者のデータの同質性とは,デジタルではどのようなシグナルでも二進法の組み合わせで表現することを意味する。アナログでは,連続的なスケールの中での量を,別の同様に連続的なスケールの中での量と比較していく中でデータ同士の密接なカップリングが生まれ,データの保管,送受信,処理,表示は専用のデバイスによって行われる。このデジタルとアナログの違いから,デジタル機器がアクセスできるデータは同質化し,様々なデータを同じ機器で様々な機能のために取り扱うことが出来る。
このような,これまでは別々だった製品がDTの活用により同一化し,機能が統合されることをデジタルコンバージェンスと呼び(Yoffie, 1996),スマートフォン1台で電子書籍を表示したり,音楽を流したり,振込を行えるのはその一例だ。そしてこのデジタルコンバージェンスによって製品や業界の境界の消失につながっていく。
同時に価値創造という点では,プラットフォームに製品を提供する際に,企業にとって自社の担当分野の判断と自社製品への補完製品を提供する他社との連携という課題の検討が必要となる。前者については,プラットフォームでは各レイヤーが全て機能することが必要になるが,企業はレイヤーモジュラーアーキテクチャーの視点から,自社で担うレイヤーと他社に任せるレイヤーの判断が求められる。この視点での競争戦略としてプラットフォームエンベロープメント戦略があり,これは自社のプラットフォームにこれまでなかった,標的とするプラットフォームの機能となる補完製品をバンドルすることで,標的とするプラットフォームの機能市場への参入を実現する(Eisenmann, Parker, & Van Alstyne, 2011)。その事例として彼らは1990年代後半のマイクロソフト社がリアルネットワークス社への対抗として取った,PCユーザー向けのWindows Media PlayerのWindows OSへの,そしてコンテンツプロバイダー企業向けのWindows Media PlayerサーバーソフトのWindows NTサーバーへのバンドルによる無償提供などを事例として取り上げている。このWindows Media Playerの事例では,新しく提供された製品はリアルネットワークス社の製品に比べて機能面では大差なかったものの,最終的にリアルネットワークス社はシェアを失った。この事例の結末からは,プラットフォームでは同じレイヤー内での機能や性能などによる競争に加えて,補完製品も含めた価値共創という軸での競争も行われる可能性がある,という知見を得ることができる。
また他のレイヤーの補完製品を自社で担わない場合には,補完製品を提供する他社との価値共創が重要となってくる。特にエコシステムでの補完製品の提供者は,必ずしも従来の階層的な支配下にいるわけではないプレイヤーであること(Jacobides, Cennamo, & Gawer, 2018)が特徴的な部分となる。そのため,そのようなプレイヤーも含めた他社との価値創造のあり方の見直しが必要となってくる(Warner & Wäger, 2019)。
前節ではDXに取り組む際の要素の一つであるエコシステムにおける2種類の価値創造をみてきた。本節ではその価値創造を実現するトランスフォーメーションの要素やプロセスを検討していく。
Teece(2007)は,経営戦略における従来のファイブフォース分析フレームワークには,変化の激しい環境において固有の弱点があるとし,企業の競争優位確立と維持のためのダイナミック・ケイパビリティ(DC)を(1)機会や脅威の感知と形成能力,(2)機会の捕捉能力,(3)企業の有形・無形資産を強化,結合,保護,そして必要なときに再配置することで競争力を維持する能力とした。またDXは,企業の現在の価値提案や市場におけるポジショニングに及ぼすDTとデジタルビジネスモデルの影響であるデジタル・ディスラプション(Loucks et al., 2016)に対する既存企業の対応であるが,新聞業界でのデジタル・ディスラプションへの対応におけるDCの役割をテーマとした研究が行われている(Karimi & Walter, 2015)。Christensenらが提唱したRPVフレームワークでは,変化における組織の対応力は経営資源,プロセス,価値基準の3要素により規定された(Christensen & Overdorf, 2000)。そして新聞業界でのデジタル・ディスラプションへの対応におけるDCの役割を調査したKarimiらは,このRPVフレームワークを用いて,DCは以下の3要素から構成されるものとした。(1)デジタル施策向けの予算,人員,経営陣の支援から構成される経営資源,(2)リソースの段階的な投入,自律的に動けるチームによるプロセス,(3)イノベーティブな文化,部門間の共通言語,マルチメディアに対する意識という価値基準。そしてDCによるデジタルサービスに対する,そしてデジタルプラットフォーム能力を介したデジタルサービスの売上に対する影響が検証されている(Karimi & Walter, 2015)。ただしこの研究ではトランスフォーメーションの取組におけるステップについては特に言及はなされていないため,DCの構成概念を理解するためには有益であるが,トランスフォーメーションの進め方の面での示唆は限られる。
DXにおいて技術以上に戦略が重要であり,そして求められる戦略などが段階毎に異なることが,グローバル調査において明らかにされている(Kane et al., 2015)。この調査はベンチマークとして理想の企業(その企業ではプロセスの改善,全社にわたる社員のデジタル施策への参画,そして新たな価値を創出するビジネスモデルの遂行が,DTと組織能力によって実現されたと想定)と比較した自社の状況についての回答から,調査参加企業をデジタル成熟度の初期段階(全体の26%),実践段階(全体の45%),そして成熟段階(全体の29%)に分類したもので,以下のような違いが見出されている。(1)デジタル戦略の有無:成熟度のより低い企業の方がデジタル戦略の欠如が障害となっている。(2)デジタル戦略の内容:成熟度の低い企業は顧客体験や効率化の取り組み比率が高く,成熟度の高い企業はトランスフォーメーション,イノベーション,意思決定に取り組んでいる。(3)企業文化:成熟度の高い企業は低い企業にくらべ,より部門間協業の割合が高く,また競合他社に比べ革新的。(4)人材育成:成熟度の高い企業の方が,従業員のデジタルスキル育成への投資をより行っている。(5)リーダーのスキル:成熟度の高い企業の方が,リーダーにデジタルスキルが備わっている。さらに(Teece, 2017)は,プラットフォームのライフサイクル毎に求められるDCの要素としてとして(1)誕生期における感知,ビジネスモデルの選択,資産の編成,(2)拡大期での機会捕捉とトランスフォーメーション,(3)実践期の脅威の感知とトランスフォーメーション(4)自己更新期での感知と両利きでのアプローチを挙げている。これらのデジタル成熟度の各段階やプラットフォームの各ライフサイクルをDXのプロセスとすると,これらは社内の様々な部門に関わる内容であるため,前述のDXの共通項の一つであった全社改革をどのように進めていくかという視点からのDXのプロセスと捉えることもできる。
一方でDXのもう一つの共通項であったビジネスモデルという視点では,前節の価値創造を実践するためのアプローチとして,ビジネスと技術の双方の視点の統合(Gawer, 2014)が提唱されている。この研究ではプラットフォームの進化は経済学に基づくプラットフォーム上での競争(主に需要側)とエンジニアリングデザインからのプラットフォーム上のイノベーション(主に供給側)の相互作用が生みだし,プラットフォームを(1)イノベーションや競争を行う主体をまとめ,調整し,(2)双方で範囲の経済性を産み出し,利用することで価値を創造し,(3)技術的なアーキテクチャーがモジュラー型で,要素としての核と周辺部分から構成されるもの,と想定した。なお前節ではビジネス視点と技術視点からの価値創造について述べたが,Gawerのアプローチを援用すると,前者は製品やサービスの利用者であるユーザーが中心であるために需要側,後者は企業が作り出す製品やサービスに関する内容であるために供給側と考えることが出来る。
また需要側と供給側という視点に類似するものとして,消費側のエコシステムと生産側のエコシステムによるモデルも提示されている(Kopalle et al., 2019)。有形製品を提供する伝統的な企業がデジタルエコシステムをどう取り込んでいくかを議論する中で,このモデルの特徴は,消費側ではこれまで議論してきた需要型のプラットフォームを活用する一方,生産側のエコシステムでは部品供給,生産,流通を経て顧客に至る従来型のバリューチェーンを想定し,製品にセンサーをつけることで製品のマスカスタマイゼーションや,製品が壊れそうな兆候が見られた時点での保全により故障を防ぐ予知保全を目的とした活用に整理した点にある。ここでも前者の消費側を需要側,後者の生産側を供給側とすると,需要側では前節のビジネス視点からの,そして供給側では技術視点からの価値創造の議論と認識できる。
これまでの全社改革視点でのプロセスやビジネスモデル視点でのアプローチは,実務面ではDXの成功率向上のために活用することが考えられる。デジタル導入案件の成功率はわずか37%となっており,その際に必要となる複数部門が関わる取組に企業は苦戦している(Bughin, Catlin, Hirt, & Willmott, 2018)。そのような状況に対応するためには,一度に全てを進めるのではなく,ステップ毎に確実に進める方がリスクを減らせるものとされている(McGrath & McManus, 2020)。そのため,これらのプロセスやアプローチを取り組むべき項目や優先順位決定のための指針に活用することで,DXの成功率を高められる可能性がある。
本節ではこれまでのまとめと,今後のマーケティング領域で取り組むことが望まれる研究の方向性を考察する。まず前節までで,様々な企業が取り組むDXについて,以下を中心に述べてきた。第一にDXとは近年の複合的な複数のDTの特徴によって可能となった,新しいビジネスモデルを活用した全社変革であること。第二にDTとは近年の複数のデジタル技術であり,接続性を特徴とすること。第三に新しいデジタルビジネスでは,これまでとは異なるロジックに基づいたプラットフォームを中心とするエコシステムでの価値創造が行われていること。第四にDXのプロセスには複数のパターンがあり,状況に応じて取り組む項目や優先順位を決定して段階的に取り組むことで成功率を高められる可能性があることである。
次に本稿の最後に,DXに向けて,マーケティング領域で取り組みえるテーマについて検討を行っていく。第一に,DXの取り組みと業績向上の関係性が挙げられる。既にマーケティングによる業績への影響については様々な研究(Katsikeas, Morgan, Leonidou, & Hult, 2016; Kirca, Jayachandran, & Bearden, 2018)が行われているが,これまでのDXに関する研究は概念化や企業の取り組みに関するものは見られるものの,業績への影響についての研究は限られている(Karimi & Walter, 2015)。DXはDTの導入ではなく業績向上を目的としているため,DXによる業績への貢献や,影響を及ぼす環境や諸変数,業種や規模別の取組のプロセスなど成功につながる要因を特定していくことが今後のDXの取組にむけて重要と考えられる。
第二にDTを活用したエコシステム型モデルでは,プレイヤーの一員として補完製品提供者が重要な役割を果たしている。そのため,価値創造における彼らの役割についての研究が求められるであろう。顧客にとっての製品やサービスの価値が,販売時の製品と代金の交換時点とするグッズドミナントロジックに対し,Vargo and Lusch(2004)によって,顧客がそれらを利用して認識する使用価値に基づくというサービスドミナントロジックが提示された。これによって消費者は受動的な製品の使用者という立場から,商品やサービスの提供者と共に主体的な価値の創造者となったが,エコシステム型のビジネスモデルでは更に新たな主体としての補完製品提供者も加わる。例えば消費者がNIKEPlusのサービスを利用する中で,消費者が別途契約しているトレーナーがそのサービスのデータを利用するような場合である(Ramaswamy & Ozcan, 2018)。エコシステム型ビジネスモデルの隆盛と共に,このような三者間での価値創造に関する研究の重要性が増すことも考えられる。
第三にIT部門と共にどのようにDTの開発や利活用に向けたケイパビリティ構築を行っていくかは重要なテーマと考えられる。従来から両者間の協業に向けた研究は行われてきた(Nakata, Zhu, & Izberk-Bilgin, 2010)。一方でマーケティング部門自らがDTを扱う機会が増え,2018年のアメリカの大手企業のマーケティング支出内で,マーケティングテクノロジー関連の予算は26%を占めるまでに増加している(McIntyre & Virzi, 2019)。また新しいシステムで実現したい要件の性質と,従来の情報システムで対応されてきた要件の性質が異なる点がある。財務などの課題に対応するための防衛型のデータ利用では,データ管理の方向性が制御であるのに対し,営業やマーケティングなど顧客中心の事業部門において重要性が高い攻撃型の活動は,非定型データの取り扱いのように従来の情報システム部門が取り組んできた方向性とは異なり柔軟性が求められるためだ(DalleMule & Davenport, 2017)。さらに日本企業のIT部門は8割から9割がアウトソースに頼っているため,自社にノウハウが溜まらず,自社に主導権を取り戻すことが求められている(Kurokawa, Hirayama, & Sakurai, 2019)。そのためこの分野での研究の進展が望まれる。
第四に部門間での連携が指摘される中で,デジタル化を推進する責任者やその部門の役割についての分析が挙げられる。2018年の調査では,日本企業の57%でデジタル化の推進を担う専門の役職が,そして中でも10%の企業でCDOという役職が設置され,デジタル責任者の役職が上がるほど,社内でのデジタル化推進への理解度は高くなっている(PwC Consulting, 2019)。また,CDOの任命について,職務が明確な場合は職能を重視した外部採用,不明確な場合は社員からの信用が既に確立されている社内からの登用が適しているとされている(Wade & Obwegeser, 2019)。このように一定の研究は進んでいるものの,他部門と異なりこの職種が出来て日が浅く,その役割も発展していることから,さらなる研究が望まれる。
本稿の執筆にあたり,貴重な助言を賜った一橋大学大学院経営管理研究科阿久津 聡先生,そして日本マーケティング学会デジタルトランスフォーメーション研究会の皆様に心からの感謝の意を表したい。
今井 紀夫(いまい のりお)
一橋大学大学院経営管理研究科国際企業戦略専攻博士後期課程に在学中。修士(統合マーケティングコミュニケーション)。専攻はデジタルマーケティング。