2023 年 42 巻 3 号 p. 72-80
デジタル化の進展の中で,自律的・積極的な消費者と他律的・偶然的消費を好む消費者の2極化が進む。偶然的消費を好む消費者が求めるのは,文脈依存的で瞬間的な消費や予測不可能な衝動的な満足である。消費行動に伴うインスピレーションはこの衝動的な満足を満たすとともに,後続する購買関連行動を動機づけることができる。本稿では,この偶然的な消費に対応したマーケティングを考えるにあたり重要な「消費者インスピレーション」について既存研究の整理を行った。消費者インスピレーションの「メカニズム」「先行要因」「効果」の3つの視点で検討した結果,今後の研究課題として,(1)消費者インスピレーション拡散的な性質に対応するためのマーケティングによる観点の設定の検討,(2)デジタル環境に対応した個人差要因と状況要因とその対応方法の検討,(3)消費者インスピレーションの認知的効果の検討の3つを提示した。
In the midst of digitalization, a polarization has developed between autonomous and proactive consumers and those who prefer altruistic and accidental consumption. Consumers who prefer accidental consumption seek context-dependent, instantaneous consumption, and unpredictable, impulsive satisfaction. Inspiration associated with consumption behavior can satisfy this impulse satisfaction and motivate subsequent purchase-related behavior. In this paper, we review existing research on “consumer inspiration,” which is important when considering marketing in response to accidental consumption. Consumer inspiration is examined from the three perspectives of “mechanism,” “antecedents,” and “effects”. There are three issues for future research. (1) Since inspiration is diffuse, it is necessary to establish a marketing perspective to deal with it. (2) It is necessary to examine individual differences and situational factors in the digital environment. (3) It is necessary to study the cognitive Consequences of consumer inspiration.
一般に,インスピレーションは「創作・思考の過程で瞬間的に浮かぶ考え。ひらめき。」(小学館デジタル大辞泉)や「鼓舞された状態」(Oxford English Dictionary Online)とされているが,マーケティング研究における消費者インスピレーションは「マーケティングにより訴求されたアイデアが(ひらめきと同時に)受容され,それが消費者自身の本質的な消費の目標への関連付けられたことによって誘発される消費者の一時的な動機づけ」(Böttger, Rudolph, Evanschitzky, & Pfrang, 2017)と定義される(かっこ内は筆者が補足)。
経済社会を取り巻くデジタル技術の進展は,消費者の消費自体への考え方にも影響を及ぼす。消費が「短命化」「非所有化」「脱物質化」し「リキッド消費」(Bardhi & Eckhardt, 2017; Kubota, 2020)と呼ばれている。そこに映し出されるのは,近年多く指摘されている「プロシューマ―」や「リードユーザー」といった自律的に自分の好きなものを追い求め,自らでカスタマイズやイノベーションを行っていく消費者像とは対極となる,多くのモノから選ぶことに煩わしさを感じ最適解を効率的に与えられることを望む他律的消費や,特定の文脈に依存にした価値を求め,予測不可能な衝動的な満足(Kawaguchi, 2018)との出会いを楽しみと感じる偶然的な消費を求める消費者である。このような消費者の前では,これまでの長期的な関係性や感情的な愛着を前提としたマーケティングの有効性は弱まっているといわれる(Batra & Keller, 2016; Kubota, 2020)。
本研究では消費者インスピレーションに焦点を当てる。インスピレーションは,突然に「ひらめき」を感じ快感情が生じる(Hart, 1998)知覚的な現象としての側面を持つことから,マーケティングの文脈においても消費者インスピレーションにアプローチを行うことで,偶然的な消費のニーズを満たし,後続する購買関連行動を動機づけることができると考えられる。実務において,これまでもインスピレーションは顧客経験の重要な要素として訴求されてきた(例えば,Ikeaの「インスピレーション&アイデア」),一方で学術においては近年になって取り扱われはじめた分野である。現在,消費者インスピレーションについて体系的なレビュー論文は存在していないが,前述の昨今のマーケティング環境を鑑みれば,本稿において消費者インスピレーションの既存研究の整理を行う学術的な意義は大きいと考えらえる。
本論文の構成は以下の通りである。2章で消費者インスピレーションについて整理を行い,インスピレーションの概念の独自性を明らかにした上で,消費者インスピレーションのメカニズム(3章),先行要因(4章),インスピレーションの効果(5章)の3つの視点で既存研究の整理を行い,6章にてまとめと今後の研究課題について述べる。
マーケティング分野におけるインスピレーションの研究は,Böttger et al.(2017)及びそれに関連する先行研究(例えば,Pfrang, Rudolph, & Böttger(2014))に始まり,概念的研究及び応用的な研究がすすんでいる(例えば,Balabanis & Chatzopoulou(2019),Herhausen, Kleinlercher, Verhoef, Emrich, & Rudolph(2019))。本章では,マーケティング分野におけるインスピレーションの概念の基礎となった心理学におけるインスピレーションの概念を確認したうえで,現在マーケティング分野で議論されている2つの消費者インスピレーションについて比較検討を行う。
インスピレーションは,近年に至るまで「宗教」や「スピリチュアル」の文脈のみで研究され,日常におけるインスピレーションについて検討されてこなかった(Hart, 1998)。Hart(1998)が70名のインタビュー調査から認知的過程としてインスピレーションを位置づけ,その後,Thrash and Elliot(2003)により心理学における構成概念化が行われた。Thrash and Elliotはインスピレーションを,外部刺激により既存の固定概念を超えて普段気づかないより重要な価値に気づく「超越(Transcendence)」と,その際に意図せずに湧き上がった感覚である「喚起(Evocation)」からなる「内なる価値を見つける過程」(Inspired-by)と,その「内なる価値によって動機づけられる過程」(Inspired-to)(動機づけ:Motivation)の2つの過程からなる構成概念として(Thrash & Elliot, 2003; Thrash, Maruskin, Cassidy, Fryer, & Ryan, 2010; Thrash, William, & Elliot, 2004)定義づけた。これが心理学で広く流通している定義である。
心理学でのインスピレーション概念の発展を受け,マーケティング分野においても消費者のインスピレーションの検討が進められた。Böttger et al.(2017)は,前述のThash and Elliotら「内なる価値を見つける過程」(Inspired-by)と,その「内なる価値によって動機づけられる過程」(Inspired-to)(動機づけ:Motivation)の2つの過程からなるモデルを援用し,カスタマージャーニーの最初の段階として消費者のインスピレーションを概念化した。これが冒頭触れた「マーケティングにより訴求されたアイデアが(ひらめきと同時に)受容され,それが消費者自身の本質的な消費の目標への関連付けられる(Inspired-by)ことによって誘発された消費者の一時的な動機づけ(Inspired-to)」という消費者インスピレーションの定義となる。
これに対して,Stoll(2022)は,Hart(1998)のインスピレーション研究に基づき,Böttger et al.(2017)で軽視されていた「自己関連化(Connection)」を中心に添え,「内面的変化(Insight)」「動機づけ(Activation)」の3つの側面に基づき消費者インスピレーションを概念化した。内面的変化(Insight)はアイデアが消費の本質的な目標に紐づけられて態度変容を促すこと,自己関連化(Connection)はインスピレーションによりブランドが自己概念と紐づけられものとして位置づけられること,動機づけ(Activation)はブランドに対する様々な行動を促すことを示し,Böttger et al.(2017)おけるインスピレーション(「内なる価値を見つける過程」(Inspired-by)と,その「内なる価値によって動機づけられる過程」)を「内面的変化(Insight)」と「動機づけ(Activation)」により内包化している。
両者の消費者インピレーション概念をまとめると表1のようになる。両者の共通点は①外部刺激によりインスピレーションが発生すること,②消費の本質的な目標と関連付けられ行動変容が促されること,③その結果として動機づけられることの3点である。
消費者インスピレーションの概念整理
出典:筆者にて作成
一方で,Böttger et al.(2017)が④内なる価値を見つける過程(Inspired-by)と内なる価値によって動機づけられる過程(Inspired-to)の2つの過程からなる知覚過程を強調する一方で,Stoll(2022)はインスピレーションによる⑤自己関連化(Connection)の次元を強調する点は異なる。④について,Stoll(2022)もその過程自体を否定しているわけではない。このことからBöttger et al.(2017)のように過程として捉え,Stoll(2022)のように次元として捉えるかはアプローチの違いとして解釈できる。⑤についても,自己関連化の次元は,Böttger et al.(2017)の消費の本質的目標との関連付けの先にあるものと解釈できる。Peter and Olson(1987)の「手段―目的連鎖モデル」に照らして考えれば,Böttger et al.(2017)で紐づけられた消費の本質的価値が自己概念と関係していることが明らかであり,Stoll(2022)の自己関連化の次元は,Böttger et al.(2017)のインスピレーションの効果に対して,その延長線上により強い効果を想定できることを示唆したものと考えられる。
既存研究において,消費者インスピレーションは,「超越」「喚起」といった知覚現象と表現されているものの,刺激反応(S-R)モデルのように捉えられている。消費者のインスピレーションをマネジメントしてくためには情報処理過程として理解することは有用である。本章では,創造研究においてインスピレーションが類推の認知過程として議論がされている(Bonnardel, 2000)ことから,消費者インスピレーションについても類推の過程と比較しながら刺激-生体-反応(S-O-R)モデル及び情報処理モデルとしての理解を試みる。
認知科学の分野では,類推の過程は①ターゲットの理解,②ベースの検索,③写像,④転移,⑤学習の5つのステージからなる(Gentner, 1983, 1989; Koh & Holyoak, 1987; Novick & Holyoak, 1991; Suzuki, 1996)。消費者行動においても,類推は革新性の高い新製品採用の消費者情報処理の中で議論が行われている(Gregan-Paxton & John, 1997; Hoeffler, 2003)。その過程は,①マーケティング刺激や消費者の置かれた状況の中で製品が理解されることにより,観点が設定され,その観点に応じ,②消費者の記憶にある類似した心的表象が検索され(ベースの検索),その結果として③検索された心的表象の属性や構造に基に対象となる製品が照らしあわされ(写像),④対象となった製品を検索された心理表象に基づいて理解され(転移),⑤製品が新しい観点で学習されるというものである(Gregan-Paxton & John, 1997; Suzuki, 1996)。このように,類推は,抽象化された高次元での学習となるため通常の学習とは区別される。前章で示した消費者インスピレーションの過程と類推の認知過程を比較すると表2のようになる。
消費者インスピレーションの過程と類推の過程
出典:筆者にて作成
消費者インスピレーションを類推の過程を参照しながら読み解くと以下のように記述できる。①マーケティング刺激や消費者の置かれた状況の中で対象となる製品(やブランド)の理解がなされる(ターゲットの理解)。その際に製品のコンセプトなどの抽象性の高い価値として理解されることが重要である。その抽象化された価値は消費者自身の消費の目標が結びつくことにより,観点が設定される(Suzuki, 1996)。次に,②その観点に基づき製品の価値に導かれるアドホックカテゴリー(Barsalou, 1983)が構成され,類似する経験が検索される(ベースの検索)。③ターゲットとなる製品は価値レベルで検索された過去の経験と照らしあわされ(写像),④製品から得られる便益が理解される(移転)(Gregan-Paxton & John, 1997)こととなる。この過程で,快感情が喚起(Inspired-by)されるとともに,⑤対象となった製品は自己との関連の中で独自のポジショニングとして学習される(Stoll, 2022)。その結果として,自身の消費の本質的な目標と結びついた製品に対し,⑥後続する購買関連行動が動機づけられる(Böttger et al., 2017; Stoll, 2022)。
本章では,消費者インスピレーションを類推の過程として読み解きを行った。これまでインスピレーション研究で触れられてこなかった「ターゲットの理解」「観点の設定」及び「学習」という要素を新たに追加することが出来た。「ターゲットの理解」及び「観点の設定」はインスピレーションのマネジメントにおいて,「学習」はその効果を考えるにあたり重要な視点となる。
既存研究において,消費者インスピレーションの先行要因はどのように議論されているのであろうか。既存研究を整理すると,先行要因は,表3のように,制約緩和型先行要因と動機の方向づけ型先行要因の2つに整理することが出来る。
消費者インスピレーションの先行要因
出典:筆者にて作成
制約緩和型先行要因は,マーケティング刺激の方向づけとは独立に,インスピレーションの促進に作用する要因である。インスピレーションは固定観念が緩和された際に発生する(Kai & Suzuki, 1998)ことがわかっているが,先行要因はこの固定概念である制約の緩和に作用する。
ポジティブ感情を引き起こすことでインスピレーションの促進を促す研究として,消費者をとりまく雰囲気を媒介とするLiang, Chen, and Lei(2016)や製品を媒介として刺激するIzogo and Mpinganjira(2020)がある。消費者の自己コントロール意識もインスピレーションに影響を与える。Tang and Tsang(2020)は市場における弱者としてのポジショニングを利用した制約緩和を行っている。開放的な環境による制約緩和を使った研究としてKhoi, Phong, and Le(2020)がある。この他に,動画によりイメージを訴求するもの(Gao, Jiang, Xie, & Cheng, 2021),オンライン店舗ならではの情報量により刺激するもの(Herhausen et al., 2019),消費者の相互作用や店員いったインタラクションにより操作する研究(Cao, Zhou, & Majeed, 2021; Herhausen et al., 2019; Ki, Park, & Kim, 2022)がある。
他方,動機の方向づけ型先行要因は,先行要因自体に動機づけの方向性がフレームとして内包されており,先行要因の方向づけに沿ってインスピレーションが促される要因である。Izogo and Mpinganjira(2020)及びIzogo, Mpinganjira and Ogba(2020)は文化的志向性(集団主義か個人主義か)というフレームを利用して,エンゲージメント行動への影響について検討しているが,このような動機の方向づけ型先行要因の研究はまだ多くない。
本章では,インスピレーションに対して個人差要因・状況要因・マーケティング要因の様々要因が,制約緩和や動機の方向づけによって,インスピレーションを促すことを明らかにした。制約緩和型先行要因は,マーケティング刺激に対して独立であることから,さまざまな方向づけのマーケティング刺激に対しても媒介として操作することによりインスピレーションを促す方向が検討できる。一方で,動機の方向づけ型先行要因は,マーケティング刺激と動機づけの方向性が一致しない場合に態度変容の阻害要因として作用することが懸念される。一致が見られない場合に,マーケティング刺激で意図する方向と動機の方向づけ先行要因との間での抽象度を上げるといったメタレベルでの調整が必要になると考えらえる。
消費者インスピレーションの効果の研究は,表4のように,認知的側面・感情的側面・行動的側面の3つの視点で整理することが出来る。これまで見てきたように,インスピレーションは,快感情の喚起といった知覚的現象(感情的変容)と同時に,「内面的変化(Insight)」及び「自己との関連付け(Connection)」(認知的変容),「動機づけ(Activation)」(行動的変容)が生じることが分かっている。このことから上記の3つの側面で効果を理解することは妥当であると考えられる。
消費者インスピレーションの効果
出典:筆者にて作成
Böttger et al.(2017)は,インスピレーションの効果として「ポジティブ感情」を挙げ,その対象となった製品やブランドに肯定的な印象を与えることを示した。ポジティブ感情は,その製品やブランドの評価である「顧客満足」に正の影響を与え(Böttger et al., 2017; Saha & Mukherjee, 2022),「顧客感動」を生じさせる(Böttger et al., 2017; Pfrang, Rudolph, & Böttger, 2014)。このように,ポジティブ感情を中心にその効果が波及していくことが示されている。
さらに,インスピレーションによって生じる「自己との関連付け(Connection)」は(感情的)「ブランドロイヤルティ」生じさせ,ブランドに対する様々な行動を動機づける。製品やブランド自体の「購買動機」(Böttger et al., 2017),その製品やブランド自体への「支払意思額」(Stoll, 2022),購買以外への貢献を活動である「顧客エンゲージメント」(Izogo & Mpinganjira, 2020; Izogo et al., 2020; Oltra, Camarero, & San José Cabezudo, 2021)に対して正の効果を生じさせる。さらに,製品やブランドを超えて,社会に対する行動変容である「寄付行為」(Liang et al., 2016)や「環境保護意識」(Kwon & Boger, 2021)に対しても正の影響を与えることが明らかになっている。
本章では,認知的側面・感情的側面・行動的側面の3つの視点で整理を行った。感情的側面においては,ポジティブ感情を核として「顧客満足」「顧客感動」「ブランランドロイヤリティ」が,行動的側面では「購買動機」をはじめ,「寄付行為」「環境保護意識」といった社会に対する行動変容までが効果として示された。一方で,「内面的変化(Insight)」及び「自己との関連付け(Connection)」(認知的変容)として触れられている認知的側面についての議論はあまり行われていないことがわかる。これはこれまでの消費者インスピレーションの研究が情報処理過程として捉えられていなかったことに起因する。本研究では,3章で消費者インスピレーションを類推の情報処理過程として捉えた。これによって今後,消費者インスピレーションの認知的効果についての検討は進んでいくものと考えらえる。
本研究では,マーケティングにおける消費者インスピレーションに関して,概念整理を行ったうえで,既存研究を「メカニズム」,「先行要因」及び「効果」の3つの視点から整理を行った。メカニズムの研究においては,創造性の研究においてインスピレーションが類推の認知過程として議論されていることを示した上で,インスピレーションの過程を類推の過程として整理した。その結果として,これまで議論されてこなかった「ターゲットの理解」「観点の設定」「学習」の3つの要素を新しい要素として抽出した。先行要因の整理においては,インスピレーションに対して個人差要因・状況要因・マーケティング要因の様々要因が,制約緩和や動機の方向づけによって,インスピレーションを促すことを明らかにした。効果の研究においては,インスピレーションによって生じるポジティブ感情を核として,顧客満足・顧客感動,ブランドロイヤルティといった感情的評価の側面及び購買動機や支払意思金額といった直接的行動,加えて製品やブランドに対する購買以外の貢献である顧客エンゲージメントや環境保護意識や寄付といった社会に対する態度変容まで効果として見込むことが出来ることを示した。
ここまでの研究を踏まえた上で,以下では,「メカニズム」「先行要因」「効果」の3つの分野を発展させるために,今後の研究課題を述べる。
第一にメカニズムに対する課題は,消費者インスピレーションの拡散的性質とそれに適応したマーケティングの方法論の検討である。本研究では,インスピレーションの認知的過程として類推の情報処理を適用した。類推の最初の段階であるターゲットの理解は多様な個人差要因及び状況要因の中で実施されるため,その結果として発生するインスピレーションや類推は拡散的な性質を持つこととなる。その結果として,インスピレーションで浮かぶ「アイデア」や「動機づけ」の方向性も拡散的な性格を持ち(Hano, 2000; Thrash, William, & Elliot, 2004),マーケティング施策の結果は偶有性を帯びる。これまで,消費者インスピレーションの文脈においてこの拡散的な性質を検討し,それに対応したマーケティングを検討した研究は行われていない。マーケティングコミュニケーションの研究の中で,本研究において追加した「観点の設定」が拡散的な性質に対して有効な手段である(Kuriki, 2003)ことが示されている。まずは消費者インスピレーションの拡散的な性質について明らかにしたうえで,今後の観点の設定を中心としたマーケティングの方法論を検討していく必要がある。
第二に,先行要因に対する課題は,デジタル環境に対応した個人差要因と状況要因とその対応方法の検討である。本研究では個人差要因・状況要因・マーケティング要因の様々要因が,制約緩和や動機の方向づけによってインスピレーションを促すことを明らかにした。昨今のマーケティング環境においては,デジタル環境特有の制約緩和先行要因や動機の方向づけ要因について検討する必要があると考えられる。例えば,移動中やソーシャルメディアを閲覧している時に発生しやすいマインドワンダリング(Takahashi & Sasaki, 2020)の状態や,膨大な情報への無意識的な接触,確証的バイアスを引き起こすインターネット上のフィルタバブル現象(Pariser, 2011)など,これまでになかった先行要因に対する考慮が必須になってくるであろう。デジタル特有の環境に伴う先行要因とそれに対応するマーケティング施策の検討は重要な課題である。
第三に,インスピレーションの効果に対する課題は効果の認知的側面についての検討である。これまで消費者インスピレーションは情報処理過程として取り扱われてこなかったため認知的効果に対する議論が十分ではなかった。しかし,はじめにで述べたように「リキッド消費」の中で愛着を中心としたロイヤルティのマーケティングの有効性が薄れていく中で,改めて,使用価値をベースとするマーケティングの重要性が高まっている。消費者インスピレーションによって生じる消費者の知識構造の変化(認知機構の中で新たなカテゴリーとして認識されること)やインスピレーションに起因する消費者知識のプライミングの特性を理解することは,効果的なマーケティングを検討するにあたり重要な課題となりえる。
本稿では,マーケティングにおける消費者インスピレーションについての検討を行った。本稿で整理した消費者インスピレーションの既存研究と課題の整理が,デジタル化や消費のリキッド化の中で変化を迫られるマーケティングにおいて,有効な戦略を考えるインスピレーションとなれば幸いである。
最後に,本稿の執筆に際して,新倉貴士先生(法政大学),西川英彦先生(法政大学)より手厚いご指導を賜りましたこと,ここに記して心から感謝の意を表します。
落原 大治(おちはら ひろはる)
法政大学大学院 経営学研究科 博士後期課程。
修士(経営学)。