農研機構研究報告
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短報
農研機構の昆虫標本館が収蔵する担名タイプ標本の保管状況とその改善
清水 壮中谷 至伸山迫 淳介
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2024 年 2024 巻 18 号 p. 39-43

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Abstract

農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)の昆虫標本館は,アジア有数の昆虫標本コレクションを収蔵しており,その中には非常に重要な担名タイプ標本も多数含まれている.しかし,昆虫標本館では,安全上のリスクがある旧式のポリフォーム敷きの標本箱を使用して担名タイプを保管していた.そこで,本研究では,昆虫標本館の担名タイプの管理状況の改善を目的とし,ユニットボックスを活用した現代的な標本管理システムへの移行作業を実施した.本稿では,その移行作業の成果を報告し,担名タイプなどの貴重な標本を管理する際のユニットボックス利用の意義を議論する.

Translated Abstract

The insect museum, National Agriculture and Food Research Organization (NARO), Japan, houses one of the largest collections of insect specimens in Asia, including primary type specimens. Institutions responsible for preserving and managing primary type specimens are mandated to take all possible measures to ensure their safe preservation. However, the insect museum had been preserving primary type specimens in outdated specimen boxes, posing a risk to the preservation of important specimens. Therefore, this study aimed to improve the management and safety of primary type specimens at the insect museum by transitioning to a recent specimen management system, utilizing unit trays in specimen boxes. This paper reports the results of this transition process and discusses the significance of employing the insect management system utilizing unit trays for managing valuable specimens such as primary type specimens.

緒言

農研機構の昆虫標本館(以下,当館とする)には,アジア有数の歴史と規模を擁する昆虫標本コレクションが収蔵されている(図1).これらの標本は,農研機構の前身である農商務省農事試験場に昆虫部が設立された1899年から現在に至るまでの125年間にわたり,農業生態系とその周辺を中心に収集されてきたもので,合計点数は130万点以上に及ぶ.その由来は,当館研究員のプロジェクト研究により収集されたものに加え,外部の専門家から寄贈されたコレクションなども含まれており,多岐にわたる.詳細に関しては,機関誌などにおいて頻繁に取り上げられているため,それらを参照されたい(栗原ら 2010中谷ら 20032004200520122013安田 2002安田ら 2004吉松ら 200620072011a2011b2015吉武 20092016吉武ら 20102011a2011b20122013山迫,末吉 2020).当館に収蔵されているこうしたコレクションはどれも,農学と理学の両面に加え,歴史的にも貴重な財産である.

図1.農研機構の昆虫標本館

A:昆虫標本館の外観,B:一般コレクション収蔵室の様子,C:担名タイプコレクション収蔵庫の様子.

当館が収蔵するコレクションの中でも,担名タイプは特に重要な標本である.担名タイプ(ホロタイプ,シンタイプ,レクトタイプ,ネオタイプ)は,学名と結び付けて指定され,学名を恒久的に担保する標本(群)である.多くの場合,昆虫の担名タイプは,昆虫標本専用の針に刺された乾燥標本として,気密性の高いドイツ型標本箱に納められて保管される.しかし,乾燥すると形態の保存状態に問題が生じる分類群ではエタノールなどによる液浸標本,また,体サイズが微小な分類群ではプレパラート標本として保管されることもある.動物の学名に関する規則を定める国際動物命名規約では,担名タイプは学術標本を安全に保管・管理する設備を有する研究機関に供託され,厳重に保管されるべきであることが厳格に定められている.さらに,同規約では担名タイプを保管・管理する研究機関に対して,(1)担名タイプを間違いなく識別できるように標識すること,(2)担名タイプの安全な保管のために必要なあらゆる手段を講じること,(3)担名タイプを研究利用可能にすること,(4)保有または管理している担名タイプのリストを公表すること,(5)可能な限り担名タイプに関わる情報を求めに応じて提供することなどを勧告している(国際動物命名規約 勧告72F)(動物命名法国際審議会 2000).

当館には,2024年2月現在で合計約1,300点の担名タイプが収蔵されている.これら担名タイプは,一般コレクションとは異なり,頑丈な厚い壁に囲まれ,安全な防火庫である「タイプ標本室」に保管されている(図1C).当館のコレクションは従来,ポリフォーム敷きのドイツ型標本箱で保管・管理されてきたが(図2A,B ),キュレーションと研究利用の効率化のため,小型の紙箱「ユニットボックス」を用いて標本箱内をユニット化する標本管理システムの導入を進めてきた.しかし,この標本管理システムへの移行作業は,コレクションの膨大さから未だ道半ばである.そこで,著者らは,当館のコレクションの中でも特に重要度が高い担名タイプの標本管理システムの移行に優先的に取り組んだ.本稿では,その取り組みの成果について報告する.

図2.農研機構の昆虫標本館において担名タイプが収められているドイツ型標本箱

A-B:ユニットボックスを用いない以前の標本管理システム,C-D:ユニットボックスを用いた新しい標本管理システム.

材料と方法

当館が収蔵する全ての担名タイプを個別のユニットボックスに移す作業を行った.主に小サイズ(縦47 mm × 横95 mm × 高さ35 mm)のバードウィング社製ユニットボックスを使用したが,大型鱗翅目などに対しては必要に応じて中サイズ(縦95 mm × 横95 mm × 高さ35 mm)も採用した.ユニットボックスを用いたシステムへの移行作業時,当館で以前に付与された識別タグがユニットボックスに合わないことが判明したため,新規格のタグを作成して対応した.この過程で,いくつかの以前のタグに記入ミスが確認されたため,それらの修正を行った.新規格のタグは,ユニットボックスの上部壁面に立てた状態で配置し,2本のシガ昆虫社製の有頭標本針で固定した.ユニットボックスに収められた担名タイプは,ユニットボックスの収納に対応したドイツ型標本箱に入れられ,保管されている.

また,筆頭著者の清水は英国自然史博物館(イギリス・ロンドン)の外来研究員として,2019年9月~2020年2月にかけて,同館が収蔵する寄生蜂コレクションの調査研究および整理を実施した(例えばShimizu 2020Shimizu and Alvarado 2020Shimizu and Broad 2020Shimizu et al. 2020).その際,膜翅目ヒメバチ科コンボウアメバチ亜科の一種(Podogaster striatus Cameron, 1887)の担名タイプの高解像度深度合成写真の撮影を行った.

結果と考察

今回,当館が収蔵する全ての担名タイプに対し,ユニットボックスを用いた標本管理システムへの移行を完了した(図2C,D).ユニットボックスを用いない以前のシステムでは,利用者が目的の担名タイプをタイプ標本室外の作業スペースまで運搬する際,同じ箱に収められた他の複数の担名タイプとともに,重い標本箱を丸ごと運搬する必要があった.この過程で転倒等の事故が発生した場合,同じ標本箱に入っている全ての担名タイプが破損するリスクがあった.しかし,ユニットボックスを用いたシステムへ移行したことにより,タイプ標本室内で必要な担名タイプが収められたユニットボックスのみを抜き取り,安全かつ必要最低限の運搬のみで対応することが可能になった.

また,以前のシステムでは,担名タイプが収められたドイツ型標本箱を収納棚から出し入れする際や地震発生時の振動など,何らかの衝撃によって担名タイプからパーツが脱落すると,脱落したパーツとそれに対応する標本本体の特定が困難となる可能性があった.例えば,英国自然史博物館が収蔵するヒメバチ科の一種(Podogaster striatus)の担名タイプでは脱落パーツが台紙上に膠で貼り付けられて保管されているが,それにはクモバチ科などの明らかに本種と異なる分類群のパーツが混ざってしまっている(図3).こうした事例は,世界各地の標本収蔵機関において問題となっている.しかし,一つのユニットボックスに一つの担名タイプを収めるシステムでは,担名タイプからパーツが脱落してしまっても,ユニットボックス内で確実に対応することが可能となる.今回の作業中に脱落しているパーツは確認されず,スムーズに移行作業を進めることができたが,ユニットボックスを用いたシステムへの移行は上述のようなリスクを事前に防ぐ上で大きな意義を持つと考えられる.

図3.英国自然史博物館に収蔵されているPodogaster striatus Cameron, 1887(膜翅目:ヒメバチ科:コンボウアメバチ亜科)のホロタイプとされる標本

クモバチ科など,P. striatusではない分類群のパーツが赤色の矢印で示されている.

このように,ユニットボックスを用いたシステムに移行することで,キュレーションや研究利用の効率化だけでなく,担名タイプの安全な保管・管理も可能となる.動物命名規約では,担名タイプを保管・管理する研究機関に対し,その安全な保管のために必要なあらゆる手段を講じる義務が勧告されている(国際動物命名規約 勧告72F.2)(動物命名法国際審議会 2000).この義務を遂行するためにも,ユニットボックスを用いないシステムで担名タイプを管理している場合は,ユニットボックスを用いたシステムへの移行作業に早急に取り組むべきであろう.

謝辞

英国自然史博物館における調査ではGavin Broad博士(英国自然史博物館)にお世話になった.本稿の執筆において,吉松慎一博士(農研機構)にご助言を頂いた.また,標本の移管作業では,松岡寿興氏および塚本麻緒氏(農研機構)にご助力いただいた.これらの方々に,この場を借りてお礼申し上げる.なお,本研究の一部は,JSPS若手研究者海外挑戦プログラムおよびJSPS科研費(18J20333,19H00942,23KJ2170,21H02219,18K14776)の助成を受けたものである.

利益相反の有無

すべての著者は,開示すべき利益相反はない.

引用文献
 
著者は自身の論文の著作権を保持し、国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構に対し農研機構研究報告からの論文の出版を許諾する。
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