抄録
哺乳類の下顎大臼歯の相対サイズは発生モデル・抑制カスケードモデルで説明できるとされる.このモデルは間葉から分泌される促進因子と第一大臼歯歯胚から分泌される抑制因子の比率で下顎大臼歯の相対サイズが定まるとするもので,このメカニズムが作用した結果,近心から遠心へと大臼歯のサイズは順に小さくなるか,あるいは大きくなる.ところが哺乳類においてクマ科は下顎第二大臼歯が第一大臼歯・第三大臼歯よりも大きいという,抑制カスケードモデルでは説明できない臼歯形態を持つことが問題となっている.過去に発表者らは食肉目イヌ科の種間多様性において,第一大臼歯に対して第二大臼歯の比率が第三大臼歯よりも大きく変化するという,特徴的な抑制カスケードモデルの様式を明らかにし,それが拡散能力の低い抑制因子の変異で起こる可能性を提唱していた.本研究において,抑制因子と考えられる BMP7をヘテロでノックアウトしたマウスにおいて,臼歯相対サイズにおいて第一大臼歯に対する第二大臼歯の比率が大きくなるという変化が見られたが,第三大臼歯の比率には有意な変化が見られなかった.また同時に,第一大臼歯のトリゴニッドに対するタロニッドの比率が大きくなっていた.これら二つの形質は,クマ科が他の食肉目に対して持っている特徴である.化石種を含めた形態解析において,クマ科は時間をかけてこれらの形質を進化させてきたと考えられた.公開されている遺伝子配列からクマ科の進化の過程における分子進化を調査したところ,BMP7は同義置換に対する非同義置換の比率が高く,過去に適応進化が起きたことが示唆された.これらのことから,クマ科において BMP7などの拡散能力の低い抑制因子が変異することで特徴的な臼歯形態を進化させたと考えられた.このような研究手法は非モデル生物において,分類群に特徴的な形態形質の発生学的・遺伝学的基盤を明らかにするために有益と考えられる.