平和研究
Online ISSN : 2436-1054
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3 「反核」「平和」と原爆被害をめぐる言説
中尾 麻伊香
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2021 年 57 巻 p. 57-79

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抄録

原爆被害をめぐる言説は、「反核」や「平和」に関する言動とどのように関わっていたのだろうか。原爆被害が隠されたとされる占領期と原爆被害の実相が明らかにされてきた1950年代を中心に、メディアにおける原爆被害をめぐる言説を検討した本論文は、それらの言説が被爆者の苦しみを生み出した側面を指摘している。原爆投下後の被爆地では、復興の文脈で原爆と「平和」が結びつき、科学の進歩や原子力の平和利用への希求の中、原爆被害は乗り越えたものとされた。占領終結後、原爆被害は全国的に知られるようになるが、それは過去の戦争の惨禍として受け取られた。1954年、アメリカの水爆実験による第五福竜丸の被災を契機に全国的な原水爆禁止運動が起こり、原爆被害への人々の関心の高まりとともに、被害者の援護も進んだ。このとき人々が反対したのは核の軍事利用であり、「平和」利用への道を揺るがせるものではなかった。原水爆禁止運動は、核兵器の恐ろしさを強調することで、とりわけ放射線被ばくと奇形を結びつけ、被爆者差別を助長した。すなわち占領期には原子力「平和」利用への希求が、占領終結後の1950年代には「反核」運動が、原爆被害の不可視化、可視化に関わり、被爆者の苦しみを生み出していた。平和を希求する私たちには、言説の背後の多様性と、言説によって生み出されるものへの想像力を働かせながら、なおも言説を紡いでいくという難題が課せられている。

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