本論文では、宮城県石巻市雄勝町、気仙沼市大谷海岸、福島県富岡町からの当事者の証言を通じて、現場で当事者が震災と復興の12年間をいかに経験し、それが復興の意思決定にどう反映されたのか(されなかったのか)を考える。雄勝と富岡では、限られた選択肢(防潮堤建設・高台移転、早期帰還または移住)が行政主導で既定路線化し、当事者たちが被災のさなかであるべき復興の姿として示したものは、行政から退けられた。一方で、大谷海岸では、防潮堤建設が進む中、綿密な調整と交渉から、「針の穴を通すような」計画修正が行われている。これらの証言が示唆することは、第一に、行政は政策を既定路線化せず、当事者たちが主体的に積み上げていくプロセスに配慮し、そこから現れてくるものを柔軟に組み込んでいくべきだということである。そして第二に、当事者と共にそのプロセスを言語化することで、政策現場へと接続していく学術の役割の重要性である。