日本における毒性研究活動は、1973年「毒性研究会」という名称で始まった。1975年には「日本毒作用研究会」と名称を変え、次いで、研究会機関誌としてThe Journal of Toxicological Sciences (J. Tox. Sci.) が創刊された。国際的には、1980年にInternational Union of Toxicology(IUTOX)に加盟し、その後、本会は1981年に「日本毒科学会」(The Japanese Society of Toxicological Sciences)として次の時代へと歩み始めた。1997年には学会の名称を「日本トキシコロジー学会Japanese Society of Toxicology, JST」に改称、2012年には、「日本毒性学会Japanese Society of Toxicology, JSOT」に改名し今日に至っている。このように学会名称を変えながらの変遷は、毒性学の定義・内容が多様であり、関連している学問領域が多岐にわたる多様性科学領域(毒性学、薬理学、病理学、医学、生化学、生理学、等々)である事に帰する所以かもしれない。
国際的には、IUTOXを軸として、米国のSOT(Society of Toxicology)、欧州のEUROTOX(European Societies of Toxicology), ASIATOX(Asian Society of Toxicology)の学会との関わりを持ちながら、日本毒性学会は学術交流持ち続けている。本講演では私のこれら学会の学術年会への参加を中心とした経験から、日本毒性学会の国際的位置付け・貢献・学びなどを述べ、次世代の研究者への期待する事を言及してみたい。私自身、1973年の日本での第一回の学術年会からこれまで45年余り日本毒性学会年会に参加、IUTOX、SOT、EUROTOXなどの国際学会の学術年会には1985年以降ほとんどの会に参加してきた。SOTは広範囲の毒性学に関する事項について既知の科学の検証、新しい科学への挑戦など多岐にわたり論議される場であり、EUROTOXはSOTに類似する点もあるがその時折のホットな事項を掘り下げて検証するようなことも多々あった。このような国際的な動きに対して日本毒性学会は国際水準と同じ舞台で対応すべく、先人の科学者は“勝るとも劣らない”努力と成果を挙げられてきているのを目の当たりにしてきた。しかし、現実的には医薬品の安全性に関する毒性学に関して言及すれば、当初は医薬品創薬の先行性から見て欧米の科学がかなり先行してSOT、EUROTOXの動きに追従してきた感がある。日本毒性学会は、1990年後半からのHigh throughput toxicologyの導入、更に 2000年代のToxicogenomicsという観点からのMolecular biology、2010年代のEpigeneticsなど新しい科学・技術への挑戦がなされて、近年には医薬品のNew modalityに対応した毒性学的思考が問われてくるようになってきた。この20年程、日本毒性学会はSOTでのHot topic を生涯教育の場に持ち込んだり、諸外国学会への参加・発表、日本毒性学会への外国講演者の招聘など科学的な国際化に積極的に取り組んできている。また、1976年来発行してきている機関誌J. Tox. Sci.は、歴代編集長を中心とした尽力および学会員の協力で現在は国際的に通用する機関誌となってきている。その他、学会の機関誌国際学会運営に関する国際会議への参画、Toxicologist認定の相互協定、発展途上国への科学的寄与など様々な貢献をしてきているのが伺える。
本講演では、上記のような背景での日本毒性学会の国際的位置付け・貢献と研究者の科学的活性化について言及し、更にToxicological Scienceの原点を鑑みると共に、次世代の科学者への期待を込めたメッセージを提起したい。