抄録
プロティノス(205-270年)によれば、「一者と合一」するにはまず知性界の意識に目覚めることが必要であり、それには感性界における欲や情念からの「浄化」や、「問答法」による知性界における意識の深化が求められる。しかし、そのようにして直知される真実在は複数性をもち、万有の究極的な始原ではないということになる。始原を探求する者は、知性界の真実在についての真理といえども手放さざるを得なくなるが、そのようにして完全な自己放下がなされるとき、一者との合一が起こる。一者そのものは認識も言語も超えたものだが、一者との合一に至った者は自己のその状態を振り返って見ることにより、一者が諸存在にとっていかなるものであるかを直知することができる。これは、一者自身が自己を振り返って見て知性を生み出す働きに即した働きだと言える。また、直知された内容は、逐次的な思惟や身体的な感覚によって捉え直されることにより論理的に説明され、言語化される。