タイ法制史研究の状況
タイは、日本と同様に、アジアにおいて植民地とならなかった数少ない国の一つであり、また日本を含む列強との間に締結した不平等条約を改正するために、西洋法に基づく司法制度確立を求められるという歴史を有する。
上記のような歴史を有するタイにおける法制史研究の特徴としてあげることができるのは、第一に、法学者の大半が法制史に関心を有しておらず、法制史を専門とする法学研究者が非常に少ない。第二に、伝統法研究が「三印法典」研究に集中している。第三に、歴史学、社会学、政治学等の観点からの制度史研究が盛んである。最後に、タイの法学者が関心を有する分野は、西洋法に基づく法典編纂、司法制度構築の過程であり、当該分野は日本人研究者も関心を持っている。興味深いことに、民商法典の編纂に関して、ドイツ法の影響が強いことが長年主張されてきたが、近年フランス法を初め、その他外国法の影響も見られることが指摘されるようになり、この点についても日本と類似している。
マレーシア法制史研究の状況
マレーシア法史は、マラッカ王国成立前、マラッカ王国時代、マラッカにおけるポルトガル植民地時代、マラッカにおけるオランダ植民地時代、英国植民地時代、独立後と時代区分されることが多い。近年の研究では、法史をいかなる視角から記述するかが自覚的に問われるようになっている。
本稿では、主に英語文献を中心に、マレーシア法史研究について研究課題及び研究視角の観点から整理することとする。研究課題として、マラッカ法典等のマレー法集成、アダット(慣習法)、イスラーム法、スルタン、イギリス法継受及びパーソナルローに焦点を当てる。研究視角については、東洋法と西洋法、多元的法体制、法と政治及び植民地法制の比較を取り上げ、代表的論者の主張を整理する。
インドネシア法制史研究の状況
本稿はインドネシア法制史に関する主要な研究について検討することを目的としている。そのために、本稿は、ヒストリオグラフィ、すなわち、歴史において何が起きたかよりも、どのように歴史が叙述されるかに着目するアプローチを用いることを試みる。
インドネシア法制史は、大きく前植民地期、植民地期および独立期に分類できる。前植民地期は、インドネシア領域においてアダット法と呼ばれる慣習法およびイスラーム法の原型を残した。十七世紀に始まる植民地期は、ヨーロッパ近代法をこの地域にもたらした。しかし、植民地初期においては、インドネシア地域を支配したオランダ東インド会社は、現地の法に大きな関心を払わなかった。一八三〇年に植民地収益を増加させるために、オランダは強制栽培制度を導入した。そして、オランダは強制栽培制度を運営するために慣習法に基づく伝統的権力を利用した。特に、ヨーロッパ人と原住民を区別し、人種ごとに異なった法体系を適用する政策は現在に至るまで影響を残している。一九〇一年、オランダは原住民エリートに近代教育の機会を与えることを中心とする政策を導入した。オランダによる人種別植民地法政策は一九四三年の日本軍占領まで続いた。そして、インドネシアは一九四五年に独立を宣言した。独立後のインドネシアは、一九九八年まで権威主義体制として特徴付けられる。
インドネシア法制史研究の業績は、このような歴史をどのように叙述しているだろうか。本稿は、まず、それらの諸研究が取り扱っている法と歴史の範囲(インドネシア法制史の通史であるのか、特定の法分野に特化しているのか)を概観し、その上で、インドネシア法制史研究の方法論とその目的を検討する。
方法論については、三つの方法論を論じた。第一は、実定法および法制度の歴史的変遷を記述する方法論である。現在のインドネシア法はオランダ法の伝統に属しているため、この方法論をとる業績のほとんどは、その記述を植民地期から始めている。第二の方法論は、植民地政策の反射として法制度を考察するものである。バーンズはオランダ経済政策と学問上の論争が植民地法政策に影響を与えたかを論じている。最後は、インドネシア社会の変容と法制度の関係を論じる方法、いわゆるソシオ・リーガル・スタディである。レブはこのソシオ・リーガル・スタディの方法論で最も影響力のあるインドネシア法研究者である。
インドネシア法制史の目的、換言すれば「なぜ、その歴史を語るのか?」について、本稿は、インドネシア法制史研究の諸業績は三つのタイプに分類できると論じる。第一は、インドネシア民族主義を根拠づけるためである。第二は、現在のインドネシア法制度の問題点、特に脆弱な司法制度の原因を突き止めようとするためである。そして第三は、権威主義体制において反対者を抑圧するために政府が利用してきた「インドネシア的なるもの」というイメージを批判するためである。
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