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時間学研究
Online ISSN : 2424-208X
Print ISSN : 1882-0093
ISSN-L : 1882-0093
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巻号一覧
14 巻 (2023)
13 巻 (2022)
12 巻 (2021)
11 巻 (2020)
10 巻 (2019)
9 巻 (2018)
8 巻 (2017)
7 巻 (2016)
6 巻 (2015)
5 巻 (2015)
4 巻 (2014)
3 巻 (2013)
2 巻 (2012)
1 巻 (2011)
7 巻
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過去に触れつつ遠ざける
移行期正義における記憶表象(2016年度シンポジウム「紛争後社会の再生と記憶」)
阿部 利洋
2016 年 7 巻 p. 1-20
発行日: 2016年
公開日: 2017/05/01
DOI
https://doi.org/10.20740/timestudies.7.0_1
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(861K)
記憶の「封印」と「発明」
「継承」と「忘却」の歴史社会学(2016年度シンポジウム「紛争後社会の再生と記憶」)
福間 良明
2016 年 7 巻 p. 21-30
発行日: 2016年
公開日: 2017/05/01
DOI
https://doi.org/10.20740/timestudies.7.0_21
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(1287K)
不良設定問題解決過程としての時間知覚
一川 誠
2016 年 7 巻 p. 31-46
発行日: 2016年
公開日: 2017/05/01
DOI
https://doi.org/10.20740/timestudies.7.0_31
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時間に関する知覚過程は、一義的な解のない不良設定問題を解決する過程とみなすことができる。すなわち、時間知覚は、時間進行のペースや事象間の間隔についての確かな情報がないのに、0次元もしくは0.5次元的に得られる諸事象についての知覚情報を一次元的な進行する時間軸上に位置付ける過程と見なすことができる。普段の時間知覚において、何らかの巧妙な方略を用いることによって知覚系はこの不良設定問題に一応の解を与えていると考えられる。本研究では、知覚系がこの不良設定問題解決に用いている方略を理解するために、時間に関する錯視、錯覚の特性を整理した。その上で、進行する時間軸上への諸事象の位置付けという不良設定問題解決のため、知覚系が、処理促進による遅延の短縮や、顕著な情報による引き込み的処理などの方略を用いていることを示した。
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(898K)
「ヴァナキュラーな暦」としての自然暦
杉原 学
2016 年 7 巻 p. 47-56
発行日: 2016年
公開日: 2017/05/01
DOI
https://doi.org/10.20740/timestudies.7.0_47
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日本において、近代的な暦として太陽暦が導入されたのは1873年の改暦からであり、現在も定時法とともにこれが用いられている。だがこの均質的な時間は、人間を「労働力商品」として交換可能な存在にし、産業社会における人間疎外の問題を生み出している。 一方で、人類にとって最も原初的な暦と言われるのが自然暦である。自然暦は地域ごとの自然と人間の共同性に基づいた「風土的な暦」であり、バーナード・ルドフスキーやイヴァン・イリイチらによって提示された概念を用いれば「ヴァナキュラーな暦」として読み直すことができる。 ヴァナキュラーは「風土的」「土着的」などと訳され、商品の対立概念として用いられる。よって「ヴァナキュラーな暦」としての自然暦の時間は、商品化されない時間を意味する。それは非均質的な時間であり、交換不可能な時間である。地域ごとの風土性に由来する「ヴァナキュラーな暦」としての自然暦は、市場経済によって疎外された人間性を回復する可能性を内包しているように思われる。 本稿では産業社会批判の用語としてのヴァナキュラーの概念を援用し、自然暦を「ヴァナキュラーな暦」として読み直すことで、現代社会における自然暦の意味を改めて問い直したい。
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