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クエリ検索: "ことばの治療教室"
14件中 1-14の結果を表示しています
  • 増井 美代子
    日本口蓋裂学会雑誌
    1989年 14 巻 2 号 237-242
    発行日: 1989/09/30
    公開日: 2013/02/19
    ジャーナル フリー
    一般に"おしゃべり"としての言語は1歳前後から観察されるようになる。しかしながらその基盤は生後まもなくからの日常生活での母子関係を通して築かれてきており,その基盤の豊かさがその後の発達全般を支えるくらい重要なことだということが最近わかってきている。
    すなわち,子どもの泣く,ぐずる,あやすと笑うなどのサインにあわせ,親が日常的なせわをしているうちに,子どもの側には親への愛着心,信頼感,一体感などが育ち,親の側には自分の子どもであるという特別な気持や自信が感じられるようになってくる。そういう母子の強い"気持の絆"を通してみようみまねで身についてくるもののひとつがことばである。
    口蓋裂の子どもも生まれつき裂のあることや,それに伴う種々の問題をもつとはいえ,基本的には言語の発達を支えている基盤は裂のない子どもと同じである。口蓋裂の子どもの場合でも親への愛着心がしっかり育っており,親子共に精神的安定が保たれている子どもほど言語発達も良好で,正常構音の習得も容易という臨床的印象をもっている。
    二症例の経過に簡単に触れながら,望ましい言語発達を支えるためには口蓋裂児をとりまく人々が協力しあい,親子の不安や心配を軽減し適切な援助をしてゆくことが重要であることを述べた。
  • 天野 清
    聴能言語学研究
    1993年 10 巻 3 号 183-189
    発行日: 1993/12/31
    公開日: 2009/11/18
    ジャーナル フリー
  • -障害種別を横断した教師の実践・親の運動・専門家の参加と教育行政に着目して-
    浜 えりか
    Journal of Inclusive Education
    2022年 11 巻 68-82
    発行日: 2022/08/30
    公開日: 2022/08/30
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究の目的は、日本の通級による指導(通級指導)がどのように開始されるに至ったのか、特にそのはじまりとなる要因を明らかにすることである。現在の「日本型インクルーシブ教育システム」において、通級指導は重要な位置に置かれている。しかし、そのような重要性に比して、これまでの研究では、通級指導の歴史研究が僅かしか見られず、そのモデルはアメリカのリソースルームであるとする研究が見られる。しかし、それらはアメリカの制度から見た研究であり、日本の歴史資料からは検討されていない。そこで本研究では、1993年通級制度化当初、通級指導が適応された言語障害、難聴障害、視覚障害、自閉症/情緒障害に着目して日本の通級指導の始まりの要因を探った。その結果、それぞれの障害種別特有の背景に起因した変遷があったが、共通点として、教師の実践や行動、親の運動、医師や研究者などの専門家の参加と教育行政の動きによる障害種別学級の設置実現の様子が確認できた。 この結果から、日本の通級指導のはじまりの段階には、多くの人々の願いと行動という背景があり、通級指導の制度を作り上げた要因の1つであるであろうことが示された。
  • 天野 清
    聴能言語学研究
    1985年 2 巻 2 号 132-141
    発行日: 1985年
    公開日: 2009/11/18
    ジャーナル フリー
  • 鯨岡 峻, 井上 早苗, 天野 清, 佐々木 正人
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1990年 32 巻
    発行日: 1990/09/01
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 日本音声言語医学会誕生 (1956) より今日まで (1985) の30年間について
    切替 一郎
    音声言語医学
    1986年 27 巻 3 号 250-262
    発行日: 1986/07/25
    公開日: 2010/06/22
    ジャーナル フリー
    この30年間は, わが国が敗戦後の混乱よりようやく抜け出して, 今日みる如き経済大国にまで成長を続けてきた時期に相当する.同時に自然科学をはじめあらゆる科学の進歩はめざましく, 革命的な変化がみられている.
    わが学会も当初66名に過ぎなかった会員は, 30年後の今日では1, 261名となり, 毎年行われる学会の演題も12題から125題に増加していることから分かるように大きく発展した.
    その間にわが学会が果たした役割は大きい.各種の委員会活動, 音声言語医学の学術面および実地臨床面における進歩, 変遷について述べた.
  • 日本音声言語医学会誕生 (1956) より今日まで (1985) の30年間について
    切替 一郎
    音声言語医学
    1995年 36 巻 4 号 420-432
    発行日: 1995/11/10
    公開日: 2010/06/22
    ジャーナル フリー
    この30年間は, わが国が敗戦後の混乱よりようやく抜け出して, 今日みる如き経済大国にまで成長を続けてきた時期に相当する.同時に自然科学をはじめあらゆる科学の進歩はめざましく, 革命的な変化がみられている.
    わが学会も当初66名に過ぎなかった会員は, 30年後の今日では1, 261名となり, 毎年行われる学会の演題も12題から125題に増加していることから分かるように大きく発展した.
    その間にわが学会が果たした役割は大きい.各種の委員会活動, 音声言語医学の学術面および実地臨床面における進歩, 変遷について述べた.
  • 玉井 ふみ, 加我 君孝
    音声言語医学
    1992年 33 巻 4 号 317-324
    発行日: 1992/10/20
    公開日: 2010/06/22
    ジャーナル フリー
    古典型Pelizaeus-Merzbacher病と考えられる1症例について, 聴覚認知および言語の評価・指導を行い報告した.
    神経学的検査では乳児期に発症した振子様眼振, 頭部・体幹・上肢の振戦, 腱反射亢進, 下肢の痙性麻痺の進行, 口腔器官の運動障害が認められた.解剖学的にはCTスキャンで軽度の脳室拡大, MRIT2強調画像で白質全体に高信号, また脳幹・小脳・脳梁の萎縮を認めた.電気生理学的には聴性脳幹反応検査でII波以降の消失がみられたが, 純音聴力検査では正常聴力を示した.語音認知検査では音場では問題がなく, 日常の語音の聴きとりに支障はなかったが, 受話器装用下では語音認知能力の低下が認められた.言語面は聴覚理解良好, 運動障害性構音障害のため発語は困難であった.16歳から文字盤を用いた文字言語表出指導を行い, 日常のコミュニケーション, 創作活動が可能となった.
  • ―重複障害児の場合―
    玉井 ふみ, 加我 君孝
    音声言語医学
    1993年 34 巻 3 号 273-279
    発行日: 1993/07/20
    公開日: 2010/06/22
    ジャーナル フリー
    補聴器装用後聴性行動の発達が認められた, 難聴を伴う重複障害児15例の言語発達を評価して, 日常のコミュニケーションや指導法について検討した.対象児は補聴器装用後3年以上経過し, 養護学校, 聾学校, または普通小学校に在籍していた.補聴器は11例が常用し, 日常生活で用いるコミュニケーションメディアは, 前言語的コミュニケーション3例, 主に身振り記号5例, 音声言語と身振り記号を併用3例, 主に音声言語4例であった.身振り記号と音声言語を含む言語記号の表出が認められた13例のうち10例で発語がみられた.聴覚言語発達は, 初期の発声・聴性行動にとどまる症例, 助詞を用いた文の理解・表出が可能な症例, 重度の運動障害のため聴覚受容面と表出面に差のある症例など各症例の障害の種類や程度に応じて異なっていた.重複障害児では早期に補聴器装用による聴覚活用を可能にしたうえで, 個々の症例の原疾患や合併症, 発達段階, 行動特徴にあわせたコミュニケーション手段の活用や教育が重要と考えられた.
  • 宇治橋 祐之
    放送研究と調査
    2019年 69 巻 12 号 20-43
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/01/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    開局60年を迎えた教育テレビの番組の変遷をグループ分けして網羅的に見ていく「シリーズ 教育テレビ60年」。3回目は「青少年向け番組」「文化・教養番組」「芸術・芸能番組」「産業・経済番組」「科学・健康番組」「高齢者向け・福祉番組」「報道番組・その他の番組」の7グループをみていく。「青少年向け番組」は、「幼児向け番組」とともに、1980年代までは総合テレビでの放送が中心であったが、90年代にゾーン編成が取り入れられた後に 番組数を増やしていった。「文化・教養番組」は、『日曜美術館』や『こころの時間』などの長年続く番組に加えて、「教育教養講座」のシリーズ番組が終了した2010年代以後、多種多様な番組を放送している。「芸術・芸能番組」「産業・経済番組」「科学・健康番組」は開局当初から、総合テレビとは異なるタイプの番組が放送されてきた。そして90年代以後、高齢化社会を迎えるとともに、福祉や多様性が日本社会全体の大きな課題となる中、番組数・放送時間を増やしてきたのが「高齢者向け・福祉番組」である。また教育テレビならではの「報道番組・その他の番組」も時代に対応して放送してきた。それぞれのグループの番組の変遷をみるとともに、シリーズのまとめとして、教育テレビに特徴的な番組と編成、ウェブなどへの展開について整理をして、今後の生涯学習社会に果たす役割を考える。
  • 加藤 正子
    聴能言語学研究
    1989年 6 巻 2 号 50-57
    発行日: 1989/10/31
    公開日: 2009/11/18
    ジャーナル フリー
    口蓋裂の手術史をみると,単に裂を閉鎖する時代から言語機能を考えて手術を行う時代へと変わり,現在は良好な言語と顎発育を考えた手術法の開発へと変遷してきた.口蓋裂に伴う問題は哺乳,摂食,言語,聴力,顎発育,容貌,遺伝,合併障害などにみられ,治療は長期にわたる.その上これらの問題は2次的に患者に心理的,社会的不適応を起こす原因となりやすい.
    従って,単独の専門家で全ての問題を解決することは不可能であり,治療は必然的にチームアプローチによるものへと変遷した.しかしながら,現在の日本の医療体制においてチーム治療を行うことはおのずと限界がある.誕生時から成人までケアができ,手術をはじめ一貫した治療,相談が受けられる口唇裂口蓋裂治療センターのような治療機関の設立が各地域に望まれる.そのためには今後,口蓋裂治療に携わるスタッフは自らの診療内容を高めるとともに,患者のニードを中心とした開かれた診療体制の実現のために努めることを考えなければならない.
  • 宇治橋 祐之
    放送研究と調査
    2019年 69 巻 1 号 2-17
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/02/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    1959年1月、日本初の教育専門局として開局したNHK東京教育テレビジョンは2019年で60年を迎える。当初は学校放送番組や語学番組などの講座番組が中心であったが、1980年代には社会全体が生涯学習を志向するようになったこともあり、子ども向け番組や、社会人そして高齢者を対象とした番組が増え、90年代からは「ゾーン編成」が取り入れられる。2000年代になると、さらに多様な番組を展開するとともに学校放送番組や趣味実用番組を中心に、インターネットへの展開を積極的に進める。2009年、教育テレビ開局50年には「ETV50 学ぶ冒険」をテーマに特別番組やイベントを開催。2011年には「Eテレ」という愛称を採用、「未来を志向するチャンネル」として番組を改変、2017年からは「みつかるEテレ」をキャッチコピーとして、さまざまなキャンペーンやイベントを展開している。本稿では教育テレビ60年の歴史を、各年度の「国内放送番組編集の基本計画」と放送番組時刻表を基に、NHK放送文化研究所の調査や論考、教育テレビ開局周年記念番組の内容などを参照しながらみていく。
  • 広域行政におけるイシューネットワークの視座から
    田中 謙
    医療福祉政策研究
    2024年 7 巻 1 号 31-51
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/05/08
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究は西紋地区ことばの教室開設における政策過程の特質を、イシューネットワークの視座から政策アクターに焦点を当てて明らかにした。その結果、教育行政下での言語障害特殊学級開設、福祉行政下での西紋地区幼児言語治療施設開設に係る政策形成にも、市長、議員、親の会保護者を中心とするイシューネットワークが確認された。その際、知識移転に伴う知識資源の活用が、広域行政のための連携において一つの原動力となっていた。
  • 「東北人」のカメラマン
    渡辺 勝之, 七沢 潔
    放送研究と調査
    2020年 70 巻 2 号 16-41
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/20
    研究報告書・技術報告書 フリー
    いまも地域の取材現場で光る「地上の星」を描く「制作者研究NEO」シリーズ<地域にこだわる>。第3回の主人公、伊藤孝雄(69)は1950年秋田県の農家に生まれた。70年NHK入局。東京の制作技術局、故郷の秋田局を経て85年に東京の制作技術局映像制作部(旧撮影部)に異動。技術採用の職員で初めてフィルム撮影の伝統をもつ旧撮影部に入り注目され、NHKスペシャル『社会主義の20世紀』(1990年)『ベルリン美術館』(1991年)など海外取材の大型番組を連作する。ところが91年に希望して仙台局に異動後は一転して農山村や漁村などを舞台に東北の大地に根付いて生きる人たちを描く番組の撮影と制作に没頭する。28年の間に作った番組はNHKスペシャル『マサヨばあちゃんの天地~早地峰のふもとに生きて~』(1991年)、『雪の墓標~奥会津・葬送の風景~』(1993年)、『イグネ』~屋敷林が育む田園の四季~』(2002年)、『イナサがまた吹く日~風 寄せる集落に生きる』(2012年、「地方の時代」映像祭グランプリ)など多数。とくに漁師と農家が昔ながらに住む仙台市荒浜の集落の暮らしを描いた『イナサ』は東日本大震災を挟んで去年まで8本にわたりシリーズ化され、津波被災後を懸命に生きる人々の姿を継続して見つめる映像記録として高い評価を得た。伊藤はなぜ故郷である東北にこだわり「記録」し続けるのか。前編ではそのマインドが生まれた過 程を制作してきた番組の分析と本人や関係者へのインタビューで検証する。 (伊藤孝雄は現在NHKテクノロジーズ仙台総支社シニアスタッフ)
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