演者らは,滋賀県愛知川流域において,歴史的な治水施設の猿尾を村絵図,ドローンで取得した地形データ,60〜90歳代の住民への聞き取り,現地踏査によって再発見する研究を行っている。猿尾は,堤防や川岸から河川に向かって設けられた構造物であり,豪雨時の強い水の流れを弱めて,洪⽔の被害を抑えるものである。猿尾の存在は,過去の住民が水害と向き合ってきた歴史を示すものであるが,対象地域ではほとんど伝承されておらず,東近江市建部北町の河辺いきものの森で保存されているものを除き,一般市民が実際に現地で観察することは難しい。そこで,演者らは猿尾やそれを取り巻く環境を市民などに知ってもらうためのVR(Virtual Reality)教材の試作を進めている。演者らは,現地で計測した猿尾の三次元情報を実寸大または縮小して配置したVR空間を作成し,その中を体験者が自由に移動しながら,猿尾や周囲の環境を観察する教材の開発を目指している。この種のVRの体験方法には,キーボードなどとパソコンのスクリーンを用いるもの(以下,PCVRとする)と,HMD(Head Mounted Display)を利用するものがある。さらに,オンラインのメタバースプラットフォームを活用すれば,利用者はアバターを通じて複数人で交流しながら空間を散策できることや,
ゲーミング
PC
に接続したHMDを装着すれば,高精細な三次元情報を閲覧できることも踏まえれば,それぞれの機器の特徴を把握した上で教材を作成することが望ましい。本VR教材を体験してもらうには,博物館,学校,公民館などでイベントを企画することが効果的であるが,体験のための機材の台数,会場のオンライン接続の可否,参加者の年齢やVRの利用経験など会場,主催者,参加者の状況を考慮した上で,教材を設計する必要もある。そこで,今後実施するいくつかのイベントでの利用を想定して,1)オフライン・PCVR,2)オフライン・HMD,3)オンライン・HMD・
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PC
・メタバースプラットフォームの組み合わせで教材を試作し,各組み合わせの利点と課題を評価した。一連の試作にあたり,HMDはMeta社のMeta Quest 2または3の利用を想定し,メタバースプラットフォームにはVRChatを用いた。各教材では,配置した猿尾のスケールや実装した機能が異なるが,実際にそこにいるような没入感と,機器の操作およびその説明のしやすさのなどの点で比較できる。具体的に,1)はPC画面をみながら操作するため没入感に欠けるが,実装する機能が少数であれば簡単な説明で利用してもらうことができる。PCの台数が確保できれば,一斉授業のような形式での実施も難しくない。2)はオフラインで利用でき没入感もあるが,HMDの性能に依存するため,詳細な三次元情報の表示には限界もある。3)は没入感と視認性が優れており,2)よりも猿尾の石積みなどをより精細に観察できる。アバター同士の交流も可能なため,VR空間内で巡検のような体験も提供できる。しかし,十分なオンラインの接続環境の確保や,
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とHMDの用意などコストが大きい。また,2)と3)は,HMDによって体験者の現実の視界が塞がるため,機器の操作説明や,体験者同士の接触事故の防止などのために会場に複数の補助者が必要になる。各手法にはそれぞれ利点と課題があるものの,体験者は普段見ることのない猿尾を観察できる。ただし,体験者のVR酔いの可能性は否定できないため,少ない操作で効果的に猿尾を解説する方法の検討も必要である。今後,演者らが完成させる教材は,イベントの実態や目的に応じて柔軟に使い分けられるように整備していく。他方で,3)の利点と課題を考慮すれば,すでにあるメタバース上のコミュニティに参加している人を対象に,アウトリーチを展開することも有意義と考えられる。
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