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クエリ検索: "ドイツ"
151,202件中 1-20の結果を表示しています
  • 佐分利 啓和
    ドイツ
    文学

    2020年 160 巻 267-268
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/06/04
    ジャーナル フリー
  • *加賀美 雅弘
    日本地理学会発表要旨集
    2004年 2004s 巻
    発行日: 2004年
    公開日: 2004/07/29
    会議録・要旨集 フリー
    アメリカ合衆国におけるエスニック集団にとって、住民同士の接触の場が、エスニック集団への帰属意識を強化する装置としての役割を果たしているのはないかと考えた。以下、ロサンゼルス大都市圏に居住する
    ドイツ
    系住民を対象にして、彼らの社会組織を観察した。
     2000年のセンサスによれば、アメリカ合衆国には約4,650万人、総人口の約17%もの
    ドイツ
    系住民が居住している。ただし、ここでいう
    ドイツ
    系住民とは、
    ドイツ
    語圏からの移民とその子孫すべてであり、
    ドイツ
    系に固有の文化、あるいは
    ドイツ
    系の集団に帰属する意識をもつ人々は、そのごく一部ということになる。
     アメリカ合衆国では、19世紀後半に
    ドイツ
    からの移民がピークを迎えた。第一次世界大戦前には、五大湖周辺など合衆国北部を中心にして、彼らは
    ドイツ
    語を母語とし、
    ドイツ
    から持ち込んだ技術を駆使して小麦栽培や酪農、ビール製造業などを発展させた。
    ドイツ
    語新聞を発行し、
    ドイツ
    人学校を普及させて、独自の社会を形成していた。
     しかし、第一次世界大戦によって、
    ドイツ
    文化がアメリカ社会で敵視されるようになると、多くの
    ドイツ
    系の人々は、自分自身の固有の文化や社会を強調するのをやめ、アメリカ社会への融合を進めた。第二次世界大戦は、この傾向をさらに進める結果となった。アメリカ合衆国に住む
    ドイツ
    系住民の多くは、この時期に合衆国国民としての意識と特性を決定的に強くもつようになったという。
     一方、第二次世界大戦後、
    ドイツや東ヨーロッパから多くのドイツ
    系の移民がアメリカ合衆国に流入した。現在、ロサンゼルス大都市圏で確認される
    ドイツ
    系住民のほとんどは、これら大戦後の移民とその子どもたちである。
     ところが、ロサンゼルス大都市圏にさまざまなエスニック集団の集住地区がみられる中で、
    ドイツ
    系住民が集住する地区は存在しない。
    ドイツ
    系住民向けの教会や文化センター、同好会や余暇クラブ、新聞社は存在するが、広く分散して立地している。つまり
    ドイツ
    系住民にとって、集住することは必ずしも必要な居住条件にはなっていない。その理由として、彼らの多くが、合衆国内に親戚や知人をもち、ロサンゼルスに居住する際に必ずしも
    ドイツ
    系住民との接点が必要なかったこと、食生活などの生活様式がヨーロッパの出身地のものと大きく違わず、生活必需品を入手するための共同組織を必要としなかったこと、その一方で、
    ドイツ
    系住民がまとまって活動することが、大戦後もしばらくの間はナチスと同一視される恐れがあったことから、集住が意図的に避けられたことなどをあげることができる。
     もっとも、現在のロサンゼルス大都市圏には、
    ドイツ
    系住民が集まり、
    ドイツ
    文化が強調される場がいくつもある。たとえば
    ドイツレストランやドイツ
    の食材を販売する店舗、ブラスバンドや合唱団などの伝統文化を楽しむ余暇クラブを設けた施設がある。そこでは、オクトーバーフェストなど
    ドイツ
    特有の祭も開催され、
    ドイツ
    語圏で生まれた第一世代の人々をはじめ、
    ドイツからの訪問者やドイツ
    系以外のアメリカ人でにぎわっている。施設には
    ドイツ
    のワッペンが飾られ、
    ドイツ
    語で書かれた看板やポスターがめだつ。
    現在、ロサンゼルス大都市圏では、こうした施設や余暇クラブなど22の
    ドイツ系住民の組織がドイツ
    ・アメリカ連盟を構成して、全国的な活動を展開している。なお、それぞれの組織の代表者の多くは
    ドイツ国籍をもつドイツ
    人で、彼らは
    ドイツ国内のドイツ
    において、政府や企業、大学などの人脈を確保している一方で、ロサンゼルスやカリフォルニア、アメリカ合衆国の管理組織ともコンタクトをもっている。これら特定のエリートによってエスニック文化は商品化され、
    ドイツ
    系住民に提供される。また、一般のアメリカ市民を対しても
    ドイツ
    の伝統文化はアピールされ、ビジネスが成立している。一方、
    ドイツ
    系住民の第一世代の人々にとって、これらの施設や組織は、アメリカ合衆国の他の人々とは異なる自身の文化を自覚する場であると同時に、
    ドイツ
    系住民同士が知り合い、友人関係を結ぶ場としても機能している。このことは、
    ドイツ
    系住民をはじめとするアメリカ合衆国のエスニック集団が存在し続ける際に、重要な条件になっていると考えられる。
  • アダミ ノルベルト R.
    民族學研究
    1989年 54 巻 3 号 381-382
    発行日: 1989/12/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • クライナー ヨーゼフ
    民族學研究
    1989年 54 巻 3 号 377-380
    発行日: 1989/12/30
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • ウーヴェ・ヨーンゾン『ヤーコプについての推測』における公的領域と私的領域をめぐって
    金 志成
    ドイツ
    文学

    2014年 148 巻 224-242
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2018/03/31
    ジャーナル フリー
  • 造語言語としてのアイデンティティー
    高田 博行
    歴史言語学
    2023年 12 巻 143-160
    発行日: 2023/12/27
    公開日: 2024/04/15
    ジャーナル フリー
    ドイツ
    語が近代化するには,造語力の強さが命綱であった。17世紀
    ドイツ
    の代表 的な文法家ショッテルの言説を見ると,外国語由来の単語が
    ドイツ
    語化されたのは 単に言語純化思想ゆえではなく,
    ドイツ語の造語力を誇示してドイツ
    語の豊かさを 「証明」し,そしてさらには,造語により学術を推進したいという動機があったこ とがわかる。その流れのなかライプニッツは18世紀初めに,学術術語を
    ドイツ
    語化 して
    ドイツ
    語を文化言語へ改良する方法について提案を行った。ショッテルもライ プニッツも,過度な純化主義は取らず,外国語由来の単語を温存することを意識し た。それは,結果的に外国語由来の単語とその
    ドイツ
    語化とが併存することにつな がり,それによって文体的差異を表現することになった。かくして上田萬年は19世 紀後半に,すべての学術を自前の語彙で表現できる
    ドイツ
    語を驚嘆の目で見たので あった。
  • メーワルト ウルリッヒ
    家族社会学研究
    1991年 3 巻 3 号 98-103
    発行日: 1991/07/20
    公開日: 2009/08/04
    ジャーナル フリー
  • W. GROTH
    日本原子力学会誌
    1973年 15 巻 7 号 489-497
    発行日: 1973/07/30
    公開日: 2010/04/19
    ジャーナル フリー
    A general survey is presented of gascentrifuge developments in Europe for the enrichment of U-235 and detailed reasons why the gascentrifuge approach has been adopted in Europe. Also, a full description is given of recent progress made in this domain and of the arrangements for international co-operation in Europe, especially between the Federal Republic of Germany, the Netherlands and the United Kingdom.
  • ドイツと世界の未来にとっての重要性
    Carolin Vollman
    連合総研レポートDIO
    2023年 32 巻 7 号 11-
    発行日: 2023年
    公開日: 2023/10/26
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 竹中 菜苗
    箱庭療法学研究
    2013年 26 巻 1 号 91-102
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/12/25
    ジャーナル 認証あり
    本稿の目的は, 日本のおとぎ話『青柳物語』を心理学的に解釈することである。物語の概要は, ある若い男がいくつかの障害を乗り越え美しい女性と結婚するが, その後, 何の理由もないままに唐突に彼女を失い, 最後に, はじめて彼女に出会った場所で切り株を見つけ, 彼女が柳の木の精霊で会ったことを知る, というものである。解釈にあたっての筆者の見解は, この物語には男と女の実際的な結婚の過程と妻の喪失が物語の前面で語られるが, その背後には心理学的結婚というテーマを見て取ることができる, というものである。本稿では, 心理学的に「結婚」は魂の論理的生命の本性に従った「対立物と同一物の再結合」を指し, この物語は, この再結合が人間の思考の中でのみ果たされるということを示していると論じられる。
  • 竹中 菜苗
    箱庭療法学研究
    2013年 26 巻 1 号 79-90
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/12/25
    ジャーナル 認証あり
    本稿の目的は, 日本のおとぎ話『青柳物語』を心理学的に解釈することである。物語の概要は, ある若い男がいくつかの障害を乗り越え美しい女性と結婚するが, その後, 何の理由もないままに唐突に彼女を失い, 最後に, はじめて彼女に出会った場所で切り株を見つけ, 彼女が柳の木の精霊で会ったことを知る, というものである。解釈にあたっての筆者の見解は, この物語には男と女の実際的な結婚の過程と妻の喪失が物語の前面で語られるが, その背後には心理学的結婚というテーマを見て取ることができる, というものである。本稿では, 心理学的に「結婚」は魂の論理的生命の本性に従った「対立物と同一物の再結合」を指し, この物語は, この再結合が人間の思考の中でのみ果たされるということを示していると論じられる。
  • 教育関係の解釈をめぐって
    クレメンス メンツェ
    教育哲学研究
    1980年 1980 巻 42 号 73-93
    発行日: 1980/11/25
    公開日: 2009/09/04
    ジャーナル フリー
    伝統的な
    ドイツ
    の陶冶思想 (Bildungsdenken) と現代の教育学の大勢との間には、種々の著しい食い違い (beträchtliche Verschiedenheiten) があって、それは教育思想のあらゆる領域に及んでいる。第二次大戦後、教育学は、さまざまな伝統的教育観・陶冶観と批判的な対決を行なうことによってみずからの資格をあかししようと努め、耐久性があり、しかもそれまでに蒙った数々の経験を考慮に入れた新しい出発点を探し求めたのであるが、現在では教育上のことがらを、従来とは異なったいろいろな前提から考え始めている。伝統的な種々の立場に対する批判は、今やただ事のついでにのみなされており、それも、異議を唱えるという形の批判であれ、否定するという形の批判であれ、もはや建設的な意味を何ひとつ持っていない。このような発展状況は、見受けるところ、伝統的な教育思想を等閑視しているように思われる (Die Entwicklung, so scheint es, ist über dieses Denken hinweggegangen.)。だから、この伝統的な考え方は、現代と全く関連のない、ただ歴史的なものを過度に重視する考察のなかでのみ (nur noch in rein historisierenden Betrachtungen) 思い浮かべることの可能な、いわば歴史のファイルに整理され収められたもののひとつ、と見なされている。しかしながら、明らさまにであれ、またそれを明言しないままであれ-後者の場合には、なおさらそうであるが-、そのように伝統的な
    ドイツ
    教育学と絶縁してしまう場合、そこでは、すでに片づいた無用のものとして簡単に脇へ押しやることのできないさまざまの問題が、生き埋めにされている (Gleichwohl liegen in der direkten und mehr noch in der indirekten Absage an die überlieferte deutsche Pädagogik Probleme verschüttet, die nicht einfach als abgetan beiseitegeschoben werden können.) 。ひとりひとりの人間の個性、規範性、人間の意味と使命への問と結びついた陶冶、古典的立場からみた人間学と人間像、これらについての従来の説明は、合理性が新しく捉え直され、科学の概念が以前とは大きく異なって規定され (ein vielfach anders bestimmter Wissenschaftsbegriff)、根本的な哲学的立場が変わってしまい、教育思想にとっての政治的・社会的状況がかつてより強く強調される (eine nachdrücklichere Betonung politischer und gesellschaftlicher Umstande für pädagogisches Denken) ようになって、もはや最近の学問観に適合しない、と言われるからといって、すでに時代遅れになってしまったわけではない。なるほど伝統的な答は、以前と違った風に立てられた問にふさわしく答えてはくれない。しかし、昨今世上を賑わしている答もまた、かつての問に適切に答えはしない。察するところ、教育上のことがら全般の概念規定に、ある根本的変化が起ったのであり、そのために「古い立場」と「新しい立場」とを一致させることがもはや不可能に思われるのだ。だからこそ、一方が他の立場に対して持つ種々の不足についても、もはや有意義に語ることができないし、まして、両者の基本的立場を相互に対決させ、その決済ができるなどとは、思いもよらないのだ。
    このような現在も進行中の変化は、教育関係をどう評価するか、を軸にして探ってみると、範例的に明らかにすることができる (Exemplarisch lassen sich die eingetretenen Voränderungen an der Einschätzung des pädagogischen Bezugs verdeutlichen.)。以下、これを実際に展開する場合にふむべき順序としては、まず、ある特定の教育学が持つ個々の特殊性には留意せずに、教育関係の伝統的な基本構造を描出する。次いで、教育関係にはもはや如何なる地位をもあてがわない、現下のいろいろな教育学の思想傾向について論究する。そして最後に重要なのは、このような教育思想の状況から生じざるをえない諸々の帰結に、注意を喚起することである (schließlich gilt es, auf Konsequenzen zu Verweisen, die sich aus einer solchen Situation des Pädagogischen Denken sauhdrängen.)。
  • *石崎 涼子
    日本森林学会大会発表データベース
    2020年 131 巻 A31
    発行日: 2020/05/25
    公開日: 2020/07/27
    会議録・要旨集 フリー

    ドイツ
    の森林官や森林官を養成するための教育システムについては、日本において様々な形で紹介され広く知られるようになっているが、そうした情報の多くは旧西
    ドイツ
    の情報であり、かつて東
    ドイツ
    に属していたエリアを主体とする東部
    ドイツ
    の情報は非常に限られている。そこで、各種文献および現地調査で得られた情報から、東部
    ドイツ
    における森林官と森林管理制度の特徴について整理したい。

    旧東

    ドイツ
    においては、第二次世界大戦後、中央集権的な行政体制が採用されてきたが、1990年の
    ドイツ再統一により旧西ドイツ
    の体制が適用されることとなり、新たに設置された州ごとに州森林法の制定や森林行政組織の再編を行うこととなった。第二次大戦後は専門的な人材が不足し森林官の確保・養成が課題となったが、
    ドイツ
    再統一後は逆に人員削減が課題となっている。
    ドイツ
    再統一後、統一森林署方式を採用した州は、カルテル問題などを背景として州有林の経営部門と私有林などに対する森林行政部門との分離を進めており、かつて森林官が担ってきた役割を民間のフォレスターにゆだねる動きもみられる。

  • Florian Coulmas
    関西学院大学先端社会研究所紀要
    2010年 2 巻 1-25
    発行日: 2010年
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
  • 小幡 一
    日本建築学会論文報告集
    1980年 295 巻 141-148
    発行日: 1980/09/30
    公開日: 2017/08/22
    ジャーナル フリー
    Groβherzog Ernst Ludwig von Hessen und bei Rhein grundete 1899 die Darmstadter Kunstlerkolonie, eine der bedeutendsten Kunstgewerbebewegung der Zeiten 1900 in Deutschland. Dabei spielte der Architekt J. M. Olbrich (1867-1908), der zuvor in Wien schon das "Secessions-Gebaude" (1897) errichtet hatte, die Hauptrolle. Der erste Teil dieses Aufsatzes behandelt die Kritik, aber auch die Bedeutung von Olbrichs "Ernst-Ludwig-Haus", den individuellen Konflikt in der Kunstlerkolonie und die idealistische-nationalistische Hoffnung des Volkes vor der Darmstadter Ausstellung im Jahre 1901. Es wird schlieβlich erklart, wie schwierig fur Olbrich die Situation war, als "Auslander" in Darmstadt zu wirken, obwohl er den Schutz des Groβherzogs genoβ, aber auch, welche Vorstellungen das Volk damals von einem einheitlichen deutschen Kunststil hatte.
  • 松井 正宏, 田中 賢二
    物理教育学会年会物理教育研究大会予稿集
    2012年 29 巻
    発行日: 2012/08/09
    公開日: 2017/07/20
    会議録・要旨集 フリー
    ドイツ
    ・ザクセン邦のギムナジウム中級段階の教科物理と日本の中学校の教科理科における物理分野に焦点を当て,教科書などを手がかりにし,比較を行い、期間、広がり、詳しさにおいて、違いを見いだした。
    ドイツ
    では第6学年から5年間にわたり通年で、日本では第7学年から3年間学習されているが各学年限られた期間だけである。週授業時間数の合計は
    ドイツ
    の方が多い。
    ドイツ
    では、電磁気学、波動、力学、熱力学、天文学、原子物理学の分野があるが、日本では、電磁気学、力学、波動しかない。
    ドイツ
    では、内容に繰り返しと連続性があり、日本ではほとんどない。索引の密度を比較すると、
    ドイツ
    は日本より大きい。実験に関しては、日本では代表的な実験を授業の中で実施するよう念頭におかれているのに対し、
    ドイツ
    では多様な実験から自主的に選び実施することができるようになっていることで違っている。
  • ナイハード クリストフ(翻訳:佐藤 公紀)
    ドイツ
    研究

    2022年 56 巻 34-38
    発行日: 2022/03/30
    公開日: 2022/05/09
    ジャーナル フリー
  • ゼフカ ヴィルヘルム
    日本不動産学会誌
    1988年 4 巻 1 号 59-69
    発行日: 1988/07/30
    公開日: 2011/06/15
    ジャーナル フリー
  • W ケンプ
    澱粉科学
    1979年 26 巻 1 号 5-22
    発行日: 1979/03/31
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
  • Patricia BUCHNER
    ドイツ
    文学

    2012年 144 巻 182-191
    発行日: 2012/03/25
    公開日: 2018/03/31
    ジャーナル フリー
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