「山女魚」という美麗な魚が日本の渓流にいます.これを南九州ではエノハ,マダラ,鳥取ではヒラベ,栃木ではヤモ,北海道ではヤマベといわれ,多くの名前で呼ばれています.これらはいわゆる方言であり,“地方名”と称されます.
出世魚
といわれる「ブリ」は小さい頃のワカシから大きくなるにつれてイナダ,ワラサ,ブリと呼び名が変わるようで,これらは成長段階で表される“成長名”ですが,海産物としての商取引に便利なように現場で用いられてきた業界用語,あるいは商品名といってもよいと思われます.この“成長名”にも“地方名”が存在し,ブリ1つとってみても優に2~30はあります.しかし,正式な記述においてはヤマメとブリが用いられ,生物学では“標準和名”となるようです.絶対的な世界標準での表現は“学名”でラテン語表記となります.
さて,用語委員会は義肢装具学会の常設委員会であり,平成16年度に発足しました.義肢装具の用語に関する事項を検討すること,および,理事会から付託された業務を行うことを事業内容としています.私は開設時に委員としてお誘いを受け,さらに委員長を拝命したわけですが,それ以降,義肢装具だけでなく様々な用語について考えさせられることが多くなりました.冒頭に書いた魚の名称もその1つです.1種の魚でもこれだけ多くの名前が慣用語として存在し,それらは生きた用語として現在も各地域で用いられているという事実があり,すべての場面で1語に定めることは不可能と考えています.
義肢装具に関連する用語は,日本語では日本規格協会による『福祉関連機器用語[義肢・装具部門](JIS T0101)』が体系化された用語集として規定されています.個人的にはこれが標準と考えており,論文や書籍の執筆ではこの中の用語を用いるように心がけています.しかし,著書によって異なる表記がみられることもありますし,「四辺形ソケット」など,頻繁に用いる用語の記載がないものもあります.また,制度上の文書を作成する場合には厚生労働省(以下,厚労省)が定めた『補装具の種目,受託報酬の額等に関する基準』にある用語を用いることが原則です.そのほかに臨床的側面からみると,それぞれの地方で慣用的に,換言すると現場の共通認識として便利に用いられている用語は多々あろうかと思います.これらを統一することは不可能であり,その必要もないのではないかというのが私の考えです.用語というのは様々な場面ごとにコミュニケーション手段として用いられればよいものであり,決して強制できるものではないと思います.しかし,これらの内容を把握して使い分けることは必要であろうと考えます.例えば,学会で発表するときにはJIS用語を用い,見積書を書くときには厚労省の用語で,リハ室などの現場で装具について議論がなされるときは慣用語で,などの例が考えられます.
この使い分けに際して,義肢装具にあまり精通していない方は迷いながら専門用語を使うことになるのではないでしょうか.特にこれから学ぶ学生などは戸惑いや混乱を少なからず抱くと思います.義肢装具士の国家試験問題を出題する際に,記述する用語について議論する時間が多いことも事実です.
そこで,用語委員会では異なる用語体系の対比を行うことから作業を始めました.具体的には,前出のJIS T0101と厚労省の基準に加えて,日本リハビリテーション医学会から刊行された『リハビリテーション医学用語集』から収載した用語群の対照表を作成しました.さらに,用語委員会で推奨する用語を設定しますが,前述のように決して強制できるものではありません.1つの用語で表される義肢装具がもつ背景や内容について協議した上で,また慣用的に多く使用されているであろうといった事実も踏まえて選定されたものであり,新規に造語した用語はほとんどありません.
英語の用語体系としては,ISO TC168 WG1, WG2において用語の定義を行う各種の規格の制定と改定が行われているほか,P & O Lexiconでは各国語の対訳用語集を作成し,現在日本語対訳が進行しています.用語委員会では,まず日本語を取り扱うものとして作業を行っており,英語表記についてはその進捗状況を把握し,編集作業の参考とするに留めます.
推奨用語を提案した対照表というスタイルによって,学習や執筆の際,迷ったときに便利に役立つ用語集を編集することを当面の目標として作業を続けてまいります.
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