階級構造的な地方都都関係の理解には, 各階級に於ける中心都邑の都市 (広義での非田園) 構造としての適応形態の調査も必要である。機能的, 空間的, 社会的の3つの適応形態に分れるべく, その一部に関しては下層, 中間層について従来若干記載したが, 此処では上層体の例として
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を採り上げる。調査要素は商業種の構成, 所得, 及びそれ等の位置を中心とした。売上額は正確な資料を得る方法がないので所得額をもつて此れに代えた。商業種より飲食店と製造小売は最初より除外した。
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(旧黒沢尻町) は中心人口約2万, 1949年奥田氏調査でも花巻, 水沢, 一関と共に第I階級に分類されて居る。筆者は北上川低地帯に於ける商店数の配分, 及びカード調査による商業圏構成から,
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を花巻, 水沢, 一関, 岩谷堂の4中心と共に上層サーヴイス体と判断した。 (岩谷堂は種々な点で中間態) 猶, 福島県で例示した如き階級分類方法では不完全1級 (ic. 1) となり第III層として一致して居る。
商業機能の分析に当り, 商業種を仮に次の様に分類した。即ち, A…目常食品, B…稍専門化された日消耗品, C…農村生活に多用される比較的短期耐久の消耗物資, D…特殊 (都市的) 食品類, E…都市生活に伴ふ文化的要品又は長期消耗物資, F…一般世帯より事業所に多用される商業種, とすると, i) 農村地方にも普遍的に存在するもの-A, B, ii) 第II層 (地方町階層) 以上に存在するもの-C, iii) 上層 (小地方都市階層) 以上にのみ存在するもの-D, E, F, となり, 観点を変えると, i) A, B, D-中心町自体の人口に主に消費される, ii) C-中心自体及び附近農村地区に購入される, iii) E, F-全後背地に販路を有する, となる。
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の商業性の比率構成は, A, B, Dグループで全数の概ね半ばを占め, 残りをC及びE, Fで略均しく2分する。地方中心の性格が極めて濃厚で商業戸数率2割と一般基準を遙かに超える
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で, 猶商店数の過半が町自体の消費を主対象とするグループである事は特記出来る。しかし, ABの大半は営業所得低く兼業所得を有し, 開業年度や後述の分布位置より考えても, 戦後急激に増加した潜在失業的開店によるものを多く含むと考えられる。
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全体としての商業兼業所得合計の所得階層には20万円を中心とする頻度の高まりがあるが, 此れを30年度全国市部平均実支出31万円と考え併せて最低安定層と見れば全商店の62%はそれ以下の水準でありA, Bが主構成分子をなして居る。一方, DEFの各グループの存立は地方町階層と異つた位置にあるが, 此れ等も所得階層に於てABに類似した状態を示す。結局, 所得より見ると
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では地方町階層と同じくCグループが最も活発に行つて居り,
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の商業規模乃至商圏構造から見た階級付けと一致しない。年間所得40万円を超える店舖はAでは5%, Cでは20%, DEでは5%, 又
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商業所得の各類えの配分はABDに37%, Cに38%, EFに25%である。
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全体の所得階層より見ると商業者は30~70万円の中堅層に高い比率を示すのが特微である。
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は格子状小街路網を有し, その中に肋骨状商店街が走る。開業年度より見て, 奥州街道と此れに交る横手及び岩谷堂土沢に至る2旧街道沿いに店舖が早く展け、横手街道に繋る駅前通りが大正以降加つた。殊に奥州街道沿いは開店年度及び固定資産の分布の双方に於て, 全区間に亘る最近までの繁営を示して居る。しかし, 現在の商業所得分布は, 奥州街道と駅-黒沢尻-横手の2道の交叉点附近約100米範囲に明瞭な高所得地帯が形成されて居る。奥州街道沿いのその南北両側には却つて特殊な低所得地帯があり, 中心部分化に伴う没落を示して居る。従歩交通量調査は町の入口で一旦高まつた交通量が市内各道路に分散し中心部に再び集る事を示すが, 此れは都心分化と関連して・地方町階層と異る現象である。商業種の構成に於ては, Cグループは都心部に集り, DEFは都心部にも若干見られるが, ABと共に周辺部にも多く分散する。結局, 中心部ではCが, 周辺部ではABDEFが相対的高率となり, 所得と共にCが主体的商業要素である事を示して居る。商店の交替移動現象は肢節縁辺部と中心部南北縁に多い。縁辺部のそれは近隣地区よりの低所得開店が多く, 農村地方或は地方町階層のそれに類似するが, 中心両縁部のそれは所得も高く旧住地も市内商店街の他の部分又は遠隔都市が多い。都心分化に伴う純枠な商業上の意図による移動と思われる。
結局,
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はその規模や形態に於て都市構造の萌芽を持ち, 商圏構造に於て上層体としての活動事実を示して居るけれども, その機能の中心は中間層たる地方町と類似した内容を主体として居る。此の二重性格が総ての小地方都市階層と共通するか否かは速断出来ないが, 都鄙関係の階層構造が直ちに都市機能の階層的進化を意味するものではない証査を示す1例とはなるであろう。
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