社会の中に,生活に困っている人がおり,その人を援助する必要があ
るとして,私的な援助あるいは宗教的な慈善ではなく,なぜ, どのような
根拠で,国の責任で扶助することが要請されるのだろうか。本報告の目的
は,分配的正義の理論を参照しつつ,公的扶助の正当性をめぐる論拠を探
り当てること,より具体的には,フライシャッカーの批判を手がかりに,
ロールズ正義論とセンの潜在能力アプローチの射程を確認することにあ
る。個々人の必要に応じた格差的な資源分配を,無条件に,十分になすこ
とが,なぜ, どのような論拠で正当化されるのか, この間いに関する本稿
の暫定的な結論は,ロールズの「何人も,他の人々の助けにならないかぎ
り・・・,本人の功績とは無関係な偶然性から便益を受けてはならない」
という命題を,アリストテレスの拡大解釈に基づく「リスクの前での対称
性」,「広義の責任概念」,「広義の貢献概念」などで補助した上で,センの
福祉的自由への権利という考え方で補おうというものである。後者は,個
人の利益(interest) と意思(will)の尊重というきわめてオーソドックスな,
けれども両立困難な近代の概念を具体化しようという試みである。
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