明治末期から昭和中期、全国各地で
森林鉄道
が整備され、国有林内でも合計1,197路線、総延長8,374kmに及んだ。当初、木材運搬のみを目的として敷設された
森林鉄道
は、大正3年より「官材運搬の余力を民間の生産物輸送に許可」されたことで、とりわけ奥地山村における交通・運輸の生活インフラとしての役割も担うようになった。
本報告では、高知県東部の中芸地域一帯に敷設された魚梁瀬
森林鉄道
(開設1915年〜廃線1963年)を取り上げ、木材搬出のための「林業インフラ」として敷設された
森林鉄道
が、住民の「生活インフラ」として地域の暮らしのなかに組み込まれていった過程を、魚梁瀬
森林鉄道
と関わった経験をもつ地域住民や営林署関係者60名(平均年齢81歳)に実施したライフヒストリー・インタビューの知見、特に地域住民による
森林鉄道
の生活利用の実践(病人の緊急搬送、私的な「便乗」など)の語りに注目しながら考察する。
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