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クエリ検索: "検閲"
5,012件中 1-20の結果を表示しています
  • 山本 浩幾
    情報の科学と技術
    2007年 57 巻 12 号 567-574
    発行日: 2007/12/01
    公開日: 2017/05/09
    ジャーナル フリー
    早稲田大学演劇博物館に所蔵する資料群「九州地区劇団占領期GHQ
    検閲
    台本」は,戦後期の地方演劇文化を知る上で有用な資料である。「ダイザー・コレクション」とも呼ばれるこの資料群は,プランゲ・コレクションと同様,研究資料としてアメリカへ移送されたものである。歴史的背景を確認した上で,関連資料にもとづきコレクション成立の経緯をたどる。再整理作業では目録データと原物資料と突合しつつ,新たな情報の採取を行い,さらに電子撮影を行った。本資料群の資料性を,原物資料の特長や,目録データによる資料構成から考える。配架状況や運用方法についても触れる。
  • 内藤 千珠子
    人間生活文化研究
    2015年 2015 巻 25 号 131-135
    発行日: 2015/01/01
    公開日: 2020/03/14
    ジャーナル フリー

     

    検閲
    制度をジェンダー論的な観点から批評的に考察した研究についての報告である.近代日本においては,表記の一部を○や×に置き換える伏字が
    検閲
    の制度として採られていた.占領期にこの制度はGHQ/SCAP(連合軍総司令部)によって禁止されたが,現在の日本語のなかにも伏字的光景は残存している.
    検閲
    における二つの柱は,性的禁止と政治的な禁止であるが,そのイメージの構成からは,伏字自体がジェンダー化されていることがわかる.すなわち,
    検閲
    制度はマイノリティをジェンダー化する政治学を備えていたのである.

  • 宮本 聖二, アリアナ・ ドゥフゼル
    デジタルアーカイブ学会誌
    2018年 2 巻 2 号 115-119
    発行日: 2018/03/09
    公開日: 2018/05/18
    ジャーナル オープンアクセス
    J-STAGE Data 電子付録

    太平洋戦争の直前から戦後にかけて映画館で上映されていたニュース映画、「日本ニュース」。1940年6月に上映が始まり、戦争が終結した1945年夏までは、戦争遂行と国家総動員のためのプロパガンダを目的に制作された国策映画である。軍官当局の

    検閲
    を受け、あるいはその指導のもとで制作されていた。現在、デジタルアーカイブ「NHK戦争証言アーカイブス」でこの間の現存するすべての「日本ニュース」を観ることができる[1]。

    当時、人々が接していたメディアは、ほかにラジオや新聞、雑誌などもあり、ニュース映画はその一部でしかない。しかし、唯一の動画であり、映像の持つ独自の訴求力で人々の意識に強く働きかけたはずである。ここでは、1940年6月から太平洋戦争開戦までの18ヶ月間(毎週火曜日公開、第1号から79号まで)に「日本ニュース」が何をどのように伝えたのかを見つめ、人々が新たな戦争を受け入れるにあたってどのような役割を果たしたのかを考察する。

  • 小泉 真理子, 上條 由紀子, 寺田 遊
    デジタルアーカイブ学会誌
    2018年 2 巻 2 号 156-157
    発行日: 2018/09/03
    公開日: 2018/05/18
    ジャーナル オープンアクセス
    J-STAGE Data 電子付録

    2000年以降、経済や外交において文化の影響力が注目されている。その中で、戦後直後に現在の日本文化の基礎がいかに築かれたかを探究することは必須である。しかしながら、国内において当時の関係資料の多くは失われている。本研究では、米国大学所蔵の貴重な文化資料を、国内外で誰もが閲覧可能にすることを目的とし、グローバルな産学の連携により、デジタル化と公開作業を実施している。具体的には、ハワイ大学マノア校図書館の、連合国最高司令官総司令部が1945年から4年間に日本において

    検閲
    した歌舞伎脚本の英語版原本(“Stanley Kaizawa Kabuki Collection”)をデジタル化・テキスト化し、一部をインターネットで公開予定である。今後は資料の背景をヒアリング調査等により明らかにする。本研究が、占領期の日本における表現活動の実態を多面的に明らかにすることに寄与し、日本文化史の欠落を補う一助となるとともに、米国の対日文化政策等の関連研究を誘発することが期待される。

  • 杉森(秋本) 典子
    社会言語科学
    2008年 11 巻 1 号 103-115
    発行日: 2008/08/31
    公開日: 2017/05/01
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    第二次世界大戦敗戦後,天皇への新聞の敬語が簡素化したことが先行研究により指摘されている(渡辺,1986;西田,1998).本稿はこの変化が二十世紀全体からみるとどれほどの変化だったのか,また,その変化はどうして起きたのかを探る.まず朝日新聞(二十世紀に発行部数が全国一である年が多かった代表紙)を使い,二十世紀の天皇への敬語の主な変化を概観する.そのために,(1)毎年の天皇誕生日の記事のパラ言語的な分析として,記事を構成する要素(テキスト,写真,書道)などの大きさを字数に直して測り,敬語の出現率,そして頻度を調べ,占領初期から敬語の形態素の出現率と頻度が減ったことを示す.敬語の簡素化については,社会変化に伴う国民や新聞社の独自の判断(竹内・越前谷,1987),占領軍の
    検閲
    による削除(江藤,1994),宮内当局の要求に新聞社が妥協した(松浦,1984)などと様々な説明がされてきた.しかし,その変化のメカニズムを新聞の言語使用決定のプロセスから解明しようとする研究はまだされていない.そこで,本稿では,その変化が起きたプロセスを次の2点から探る.(2)天皇・皇族についての記事の,
    検閲
    に出されたバージョンと出版になったバージョンの比較.(3)新聞の言葉遣いに影響を与えたのではないかと思われる人々(米国と日本の
    検閲
    官他)への聞き取り調査.これらを調べた結果に基づき,本稿では,天皇・皇族への新聞の敬語は占領軍の
    検閲
    方針によって減らされたのではなく,新聞関係者と日本人
    検閲
    官独自の判断によって簡素化された可能性があることを論ずる.
  • ――検閲をめぐる攻防――
    越前谷 宏
    日本文学
    2016年 65 巻 12 号 36-47
    発行日: 2016/12/10
    公開日: 2022/01/08
    ジャーナル フリー

    『麦と兵隊』は、戦記文学の代表作であるにもかかわらず、基本的な校異作業も行われてこなかった。初出、初版、増刷過程、再録の各過程での異同をみたが、

    検閲
    によると判断されるものは、予想に反して少なかった。また、
    検閲
    に抗して、どのような戦略を取ったのかに関しても考察した。特に、兵士の〈性〉の問題と、孫圩での毒ガス使用の問題を取り上げ、
    検閲
    の網の目をかいくぐりながら、どのようにして、作品内に〈痕跡〉として留めたのかを明らかにした。

  • イギリスの映画検閲と公衆道徳国民協議会
    吉村 いづみ
    映像学
    2018年 100 巻 53-72
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     1917年、イギリスにおいて映画に関する一つの調査報告書が発行された。発行したのは、社会浄化運動団体の一つであった公衆道徳国民協議会である。優生学に基づく人種の劣化に関心を抱いていたこの団体は、それまで苦情が寄せられていた映画の影響について調査をすべく、1916年に映画委員会を設置し、膨大な調査を実施した。 

    一方、この調査の実施は映画の

    検閲
    方針にも影響を与えた。当時、映画の
    検閲
    を実施していたのは、映画業界の主導の下に設立された民間組織、英国映画
    検閲
    委員会であった。調査の開始には内務省も関与しており、調査結果によっては、内務省が、英国映画
    検閲委員会とは別の公的な検閲
    組織を設立することも予想されていた。

     そこで委員会は、

    検閲
    の方針を強化し、それまで策定されなかった
    検閲
    方針を明文化した。それが、後に「T・P・オコンナーの削除のための根拠」と呼ばれるようになったものである。委員会がそれまで拒絶してきた根拠とT・P・オコンナーの根拠の比較、そしてその後の動きを見ていくと、根拠と公衆道徳国民協議会の関心が重なっていることがわかる。社会浄化運動とは、実際には性の浄化を目指した運動であった。T・P・オコンナーが映画から取り除きたかったもの、それらも性についての表現であった。 450頁を超える膨大な報告書には、当時の人々が抱いていた映画に対する不安や期待など、様々な思惑が収められている。それは、映画と行政、社会浄化運動が交差した瞬間を捉えた貴重な資料である。

  • ―1950 年代前半の作品を中心に―
    岡本 淳子
    HISPANICA / HISPÁNICA
    2017年 2017 巻 61 号 185-208
    発行日: 2017/12/25
    公開日: 2018/09/18
    ジャーナル フリー

    1936年7月のスペイン内戦勃発後10日ほどして反乱軍側はすべての出版物に対する

    検閲
    を始める。その後、1938年4月に「出版法」が布告されて以降、全体主義的な
    検閲
    が約40年間続く。 多くの知識人がヨーロッパ他国やラテンアメリカ諸国に亡命する中、スペイン国内で執筆活動を続けたのがアントニオ・ブエロ・バリェホとアルフォンソ・サストレである。この二人は明暗を分けた劇作家として比較されることが多い。ブエロ・バリェホは、一作品を除いて全作品が
    検閲
    を通り、上演され、数々の賞を授与されたのに反して、サストレの作品は上演許可が下りないものや小劇場でのみ上演されるものが少なくなかった。 本稿ではサストレと
    検閲
    の関係に焦点を当て、総合公文書館に保管されている
    検閲
    書類を分析する。サストレ作品が上演禁止となったのはテキストに問題があったのか、あるいはそれ以外の理由があったのかを
    検閲
    報告書や関連文書から明らかにしたい。

  • ――一九四五―四六年・横光利一『旅愁』を中心に
    十重田 裕一
    日本文学
    2015年 64 巻 11 号 54-64
    発行日: 2015/11/10
    公開日: 2020/12/02
    ジャーナル フリー

    日本近代文学におけるメディア

    検閲
    は、近年もっとも関心を持たれている研究テーマの一つである。第二次世界大戦の戦前・戦中・戦後を通じて文学活動を展開した作家は、内務省とGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の
    検閲
    と無縁ではなかった。本稿では、改造社編集者であった木佐木勝の日記を手がかりに、横光利一『旅愁』刊行の過程に照明を当てながら、アメリカ軍占領期事前
    検閲
    と改造社文芸出版とのせめぎ合いの一端を考察した。

  • 明示的な積極面と黙示的な消極面
    川崎 良孝
    図書館界
    2019年 71 巻 3 号 174-188
    発行日: 2019/09/01
    公開日: 2019/10/25
    ジャーナル フリー

     第2次大戦後にアメリカ図書館協会が採択した1948年版『図書館の権利宣言』は,新たに2つの条を設け,

    検閲
    に反対するとともに,
    検閲
    には関係団体と協力して対抗すると宣言した。図書選択の原理を示した従来の『権利宣言』を乗り越え,憲法が保障する表現の自由の擁護を打ち出したという点で,1948年版は高く評価されてきた。1948年版の原案作成者はヘレン・E. ヘインズだが,ヘインズの原案から削除された部分があった。それは少数者の権利を重視するという内容の文言であり,この文言は1939年初版に盛り込まれてもいた。本稿は1948年版の作成過程を追求し,
    検閲
    にたいする明示的な積極面とともに,黙示的に広範な社会的問題を捨象したことを指摘することで,1948年版の理解に厚みを加える。

  • ―日本における戦争記憶の現在形―
    五味渕 典嗣
    人間生活文化研究
    2015年 2015 巻 25 号 353-360
    発行日: 2015/01/01
    公開日: 2020/03/14
    ジャーナル フリー

     戦後日本の文学,思想,映画,サブカルチャーなどの諸テクストに関心を寄せる者なら,それらのテクストに第二次世界大戦の巨大な影がしばしば見て取れることはすぐにわかる.〈先の大戦〉にかかる言葉やイメージは,日本語の言説の中に巨大なアーカイブを構成してきた.しかし,そのアーカイブは明らかな偏りを抱えている.奇妙なことに〈先の戦争〉をめぐる日本社会の集合的記憶は,アジアで戦われた戦争,とりわけ8年間に及んだ中国大陸での戦争をほとんど欠落させているのである.

     20世紀の日中戦争は,確かに過去の戦争である.だがそれは,敗戦後の日本社会がその記憶を十分に社会化・公共化してこなかった戦争でもある.東アジアの国際的な環境が1990年代以降最悪の状態にあると見える現在,日本語による戦争記憶のアーカイブを振り返り,現在の立場からその経験の語りと表象を問い直すことは,喫緊の重要性をはらんでいる.

  • *林 佑樹, 横川 毅
    人工知能学会全国大会論文集
    2014年 JSAI2014 巻 1J4-OS-18a-6in
    発行日: 2014年
    公開日: 2018/07/30
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    オンラインの投稿画像数は増加傾向にあるが、未だ固定人員による目視

    検閲
    が一般的である。コンピュータービジョンや深層学習等の進歩により画像の自動認識性能が向上しているが、100%の精度が求められる用途では目視による補完が必要である。我々は、画像の自動認識とHCを組み合わせたワークフローを、機械学習で最適化して、実用的な
    検閲
    精度を確保しつつコストを削減する手法を設計し、検証した。

  • 時野谷 ゆり
    昭和文学研究
    2012年 64 巻 156-159
    発行日: 2012年
    公開日: 2022/11/19
    ジャーナル フリー
  • 的場 かおり
    法制史研究
    2017年 66 巻 480-485
    発行日: 2017/03/30
    公開日: 2023/01/13
    ジャーナル フリー
  • ―アメリカ占領軍による歌舞伎検閲の実態
    ジェームズ ブランドン, 鈴木 雅恵
    演劇学論集 日本演劇学会紀要
    2004年 42 巻 145-197
    発行日: 2004/11/15
    公開日: 2018/12/14
    ジャーナル フリー
  • 井出 明
    情報の科学と技術
    2006年 56 巻 10 号 446-451
    発行日: 2006/10/01
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    本稿では,技術論として語られがちなフィルタリングを,社会制度の一環として捉えている。フィルタリングソフト導入の理念は青少年の健全育成のためであり,十分に合理性を持つ。しかし,無限定なフィルタリングシステムの導入は,社会に新たなる
    検閲
    制度を持ち込むことに他ならない。考察の方向性としては,インターネットを民主主義実現のためのインフラと認識した上で,フィルタリングが民主主義システムの根幹を支える"表現の自由"という価値概念を破壊しかねないという観点から批判的な考察をくわえたい。そして最終的には,今後のフィルタリングシステムをどのように運営していくべきかという視点から提言を行う。
  • 太田 一昭
    Journal of UOEH
    1990年 12 巻 2 号 239-249
    発行日: 1990/06/01
    公開日: 2017/04/11
    ジャーナル フリー
    ジェイムズ一世はイギリス国王として即位するとロンドンの主要劇団に王室の庇護を与えた. ジェイムズ朝の
    検閲
    制度はこの庇護という間接的支配とあわせて, 演劇の厳しい統制-少なくともエリザベス朝よりはるかに厳しい統制-を達成した-こう考える学者がいる. しかし実情はむしろ逆ではなかったか. ジェイムズ朝体制は劇作家・役者たちのともすれば転覆的な演劇活動を十分に抑え込めなかったのではないか. 当局の忌諱に触れた役者たちの違背行為・筆禍事件がジエイムズ朝には目立っている. おそらく
    検閲
    制度が十分に有効に機能していなかったのだと思う. それは, 宮廷における相対立する「派閥」の存在に象徴されるように, ジェイムズ朝権力構造が一枚岩的でなかったことに多少とも起因しているだろうし, あるいは「寛大」な国王ジェイムズの個人的性格によるのかもしれない. それともジェイムズは役者たちの大胆かつ奔放な行動を抑え込むことができずに, 寛容な統治者を演じることを選んだのだろうか一罪を許す権能が彼自身に帰属することを示すことによって, 己れの統治者としての限界を隠蔽するために.
  • *吉村 いづみ
    日本映画学会大会報告集
    2016年 12 巻
    発行日: 2016/11/26
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • 吉田 嘉高
    日本教育行政学会年報
    1987年 13 巻 205-222
    発行日: 1987/09/30
    公開日: 2018/01/09
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    The plaintiff wrote the textbook on Japanese history and made an application for an official approval to the Minister of Education. But his textbook failed in the official approval. There-upon, he presnted the minister's administrative disposition to the court as the minister's official approval corresponded to a censorship. Of course, the Minister of Education maintained that officicial approval did not correspond to a censorship. Since then. the plaintiff has been disputting against the Minister of Education in court of law over 24 years. At that time, someone was by chance disputing in another court of law as it was a censorship that the Superintendent of Customs inspecting freights by Arts. 67 of the Customs Law forbade an importer to import freights in agreement with Item 3 of Par. 1 of Arts. 21 of the Customs Tariff Law. However, the non-censorship discussion in two court had no common feature, what is more, the parties concerned in two court that is, the tariffs, the defendants, and the judges took no interest in another non-censorship discussion. But in Grand Bench, the judges of the Supreme Court adopted the non-censorship discussion which the Minister of Education had stated in the textbook trial, so as to declare that Item 3 of Par. 1 of Arts. 21 of the Customs Tariff Law did not correspond to a censorship and a violation of the constitution. I believe that the Supreme Court decided a united view with regard to a censorship. For example, the non-censorship discussion of the Supreme Court was adopted by the Tokyo Hight Court in the textbook trial after two years.
  • ―十七世紀まで
    清水 英夫
    出版研究
    1981年 12 巻 169-195
    発行日: 1982/02/20
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー
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