詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "男らしさ"
1,649件中 1-20の結果を表示しています
  • 飯野 晴美
    日本性格心理学会発表論文集
    1998年 7 巻 16B
    発行日: 1998/09/09
    公開日: 2017/08/23
    会議録・要旨集 フリー
  • 伊藤 公雄
    日本ジェンダー研究
    2006年 2006 巻 9 号 75-79
    発行日: 2006/09/16
    公開日: 2010/03/17
    ジャーナル フリー
  • 森 夏奈絵, 松田 伯彦
    日本教育心理学会総会発表論文集
    1995年 37 巻
    発行日: 1995/08/31
    公開日: 2017/03/30
    会議録・要旨集 フリー
  • 阿江 美恵子, 遠藤 俊郎, 三宅 紀子
    日本体育学会大会号
    2001年 52 巻
    発行日: 2001/08/10
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • ──安岡章太郎『陰気な愉しみ』──
    安藤 陽平
    日本近代文学
    2020年 103 巻 46-61
    発行日: 2020/11/15
    公開日: 2021/11/15
    ジャーナル フリー

    安岡章太郎『陰気な愉しみ』の「私」は、軍隊で〈男〉としての「欠陥」を自覚し、「劣等感」を抱く人物である。「私」は、「欠陥」・「劣等感」から目を背けたり、〈

    男らしさ
    〉を構築しようとしたりする。だが本作は、そうした「私」の行動が次々と失敗してゆくさまを描きとる。あるいは、〈
    男らしさ
    〉構築の末にむしろ落胆する「私」の姿を呈示する。そうした展開を重視することで、〈
    男らしさ
    〉の価値を相対化する作品として本作を解釈できる。同時代では、敗戦─占領による男性の敗北感や屈辱を〈去勢〉などのメタファーであらわすレトリックが流通していた。本作は、それに近接しつつもきわどく距離を取り、批判的な位置についているのである。

  • 金子 幸男
    女性とジェンダーの歴史
    2022年 9 巻 70-72
    発行日: 2022/02/28
    公開日: 2022/02/15
    ジャーナル フリー
  • 伊藤 公雄, 杉本 厚夫
    日本体育学会大会号
    1994年 45 巻
    発行日: 1994/08/25
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
  • ―ケアリング・マスキュリニティについての一考察―
    巽 真理子
    社会学評論
    2022年 72 巻 4 号 450-466
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿では,イクメンという父親像と

    男らしさ
    との関連から,現代日本がジェンダー平等に向かうためのケアリング・マスキュリニティの効果と課題について議論する.

    厚生労働省の父親支援政策イクメンプロジェクトにおけるイクメンについて,イクメンプロジェクトの啓発用資料を分析したところ,イクメンは子育てに積極的に関わる/関わろうとする一方で,その働き方には戦後日本のヘゲモニック・マスキュリニティである〈一家の稼ぎ主という

    男らしさ
    〉が大きく影響する父親像であることがわかった.そして,稼得責任も子育て責任も負う「二重負担モデル」であるイクメンの子育ては,母親と比較すると,質的にはほぼ同じだが量的にはかなり少なく,男女差は縮まっていない.

    このイクメンの分析結果をふまえて,EUでジェンダー平等に有効だといわれるケアリング・マスキュリニティの「ケアを

    男らしさ
    に含める」戦略を考察すると,
    男らしさ
    を手放したくない男性や企業に受け入れられやすいという効果はあるが,ヘゲモニック・マスキュリニティの支配的な特性を取り除くことが難しいという課題があることがわかった.そのため,日本が本当にケアのジェンダー平等をめざすのであれば,ケアリング・マスキュリニティのようにケアを
    男らしさ
    に含めて,ジェンダーをそのまま保つのではなく,フェミニズムのケア論が主張するように「ケアからジェンダーを外す」ことが重要である.

  • 中村 正
    社会学評論
    2000年 51 巻 1 号 179-180
    発行日: 2000/06/30
    公開日: 2009/10/19
    ジャーナル フリー
  • 男性性・女性性を中心にして
    高井 範子, 岡野 孝治
    太成学院大学紀要
    2009年 11 巻 61-73
    発行日: 2009年
    公開日: 2017/05/10
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    本研究では,大学生および成人が,「
    男らしさ
    」や「女らしさ」をどのように考えているのか,また,「異性に求めることは何か」を質問紙の自由記述欄において尋ねたものをまとめた。その結果,「
    男らしさ
    」としては,包容力,頼りがい,たくましさ・強さ,決断力・判断力,行動力・積極性,リーダーシップなどが,「女らしさ」としては,上品,気遣い・繊細さ,家庭的,かわいさ,愛嬌,色気,美しさといった内容が上位にあがっていた。これらの多くは,従来から示されているものとほぼ同様であり,男性性,女性性に関するジェンダー意識に余り変化がみられなかった。また,「
    男らしさ
    」「女らしさ」に共通してみられた内容としては,優しさ,包容力,忍耐強さ,誠実さなどがあげられる。さらに,異性に求めるものとしては,男女共に優しさが最も多かった。次いで,男性が女性に求めることとして,癒し・安心感,ルックスのよさや,自分にないものをもっている,話が合う,従順さや気が利くことなどが上位にあがっていた。一方,女性が男性に求めることとして,包容力,経済力,頼りがい,楽しさ・ユーモア,誠実さなどが上位にあがっていた。
  • 冨田 陽子, 竹林 征三, 山里 剛史
    砂防学会誌
    2005年 58 巻 1 号 37-42
    発行日: 2005/05/15
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • *高橋 翠
    日本認知心理学会発表論文集
    2011年 2011 巻 P3-17
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/10/02
    会議録・要旨集 フリー
    顔の魅力に対する進化的アプローチでは、ヒトは自身の繁殖に有利となる異性個体を見抜く適応上の課題として、望ましさに寄与する特性のシグナルを敏感に察知し、魅力という形で検出していく心的機能を備えていると仮定される。しかしながら、これまで「女らしい」印象を与える女性顔が常に高い魅力評価を受ける一方、男性顔における「
    男らしさ
    」は、健康や身体的強靭さといった配偶者として望ましい特性のシグナルであるにも関わらず、必ずしも魅力的と評価されないという。本研究では、「男らしい」印象を与えるような男性顔は、それが無表情時に知覚者に怒りが認知されることで覚知される脅威性が魅力評価を抑制していることを示した高橋(2010)の知見を拡張し、表情と視線方向の異なる条件における「
    男らしさ
    」と魅力の関係について検討を加えた。その結果、比較的笑顔や逸視といった脅威性が覚知されにくい条件においては、「
    男らしさ
    」が魅力評価に反映されるようになる可能性が示唆された。
  • 橋木 郁子
    日本ジェンダー研究
    2000年 2000 巻 3 号 45-57
    発行日: 2000/08/31
    公開日: 2010/03/17
    ジャーナル フリー
    Die Veröffentlichung der Tagebücher von Thomas Mann hat es der Forschung ermöglicht, seine Werke aus der Sicht seiner Homosexualität neu zu interpretieren. Seither geht kaum eine Arbeit über den Autor an seinem sexuellen Problematik vorbei. Im vorliegenden Aufsatz, der auf dieser Forschun gsrichtung basiert, wurde versucht, zuzeigen, daß sich sein Ich durch die Auseinander setzung mit seiner Homosexualitätent wickelt hat.
    Der am 19. Jahrhundert beginnende Dikurs um die gleichgeschlechtliche Liebe hat zurGleichsetzung von Homosexualität und Verweib-bzw. Verweichlichung geführt. Dadurch waren die Betroffenen dem fatalen Verdacht ausgesezt, homosexuell zu sein, heilße, kein Mann zu sein. In den friiheren Novellen hat Thomas Mann seine homoerotischen Gefüthle als unmännlich vernichtet, indem er die unmännlichen Protagonistenin den Tod treibt. Das zeigt zum einen, wie tief sich Thomas Mann in dasGender-System (männlich/weiblich) verwickelt, und zugleich daß er Männlichkeit alswertvoller als Weiblichkeit betrachtet.
    Auch in seiner politischen Schriften beschäftigt er sich mit der Problematik der Männlichkeit.In (Betrachtungen eines Unpolitischen) (1918) wurden die weiblich assoziertenAusdrücke als Schimpfwort verwendet, um seinen Gegner “Frankreich”und “Demokratie” zu entwürdigen. Dabei identifiziert sich Mann mit Deutschland, dasals mdnnliches Prinzip hochges chatzt wird. Hier, alizu klar geht es um seinen Antifeminismusund Männlichkeitskult.
    In seiner Rede (Von deutscher Republild) (1922) hat Mann die deutsche Jugend aufgefordert, die gefahrdete Republik zu retten. Inzwischen hatte sich sein Wandel vonkoservativ-nationalistisch zu fortschrittlich-demokratisch vollzogen, nicht aber in seinem Männlichkeitskult. Mit der Hilfe von Hans Blüher, des Theoretikers der Homosexualität, hat Mann auch in der Rede die Basis der Republik als homoerotisch-männlich verstanden. Vor dem Hintergrund der Worte Goethes, daß das Männliche der reinereund schönere Ausdruck des Menschen sei, konnte er seine Homosexualitat rechtfertigen.
    Allerdings verrät sein fanatischer Kult für die Männlichkeit einerseits auf ironischer Weise die große Schwierigkeit, mit der er seine Weiblichkeit überwindet, andererseitszeigt er den harten Druck der männlichen Gesellschaft, unter dem Thomas Mann also Homosexueller sein Leben fiihren mußte. In diesem Sinne, -das mag banal klingen, war Thomas Mann ein Opfer der Genderideologie.
  • 軍事領域の男性研究に向けて
    佐藤 文香
    社会学評論
    2010年 61 巻 2 号 186-195
    発行日: 2010/09/30
    公開日: 2012/03/01
    ジャーナル フリー
  • 御巫 由美子
    公共政策研究
    2005年 5 巻 108-118
    発行日: 2005/11/10
    公開日: 2022/01/18
    ジャーナル フリー

    本稿の目的はH本の安全保障政策研究にジェンダーの視点を取り入れることてある。対外政策,とくに安全保障政策に関して,政治家たちは,利益団体あるいは選挙区における有権者の息向を気にすることなく慈思決定がてきる(と少なくとも考えている)。その結果として,安全保筒政策は政策決定者の経験・教育・社会化にもとづく主観,柑界観なとの価値観が色濃く現れる領域てあるといえよう。日本のみならす各国において安全保障政染決定の場が長らく男性によって独占されてきたことにより,そこに反映されているのは主に男性の経験,主観,価値観などであると考えられる。男性の経験,主観あるいは価値観か「男であること」,「男らしいこと」の意味,すなわちジェンダーと切り離して名えられないことから,本稿ではまず日本社会における「

    男らしさ
    」のあり方に注目する。そして,戦後日本において出現した二つの「
    男らしさ
    」――「マイホーム・パパ」と「企業戦士」――において「企業戦士」が現在にいたるまで優位を誇ってきたことを踏まえ,このことと1990年代以降日本政府が自衛隊の役割拡大という形で日米同盟強化をすすめてきたこととの関連を考察する。

  • 高橋 準
    社会学評論
    2001年 52 巻 3 号 468-470
    発行日: 2001/12/31
    公開日: 2010/04/23
    ジャーナル フリー
  • サッカーにおける男らしさとホモソーシャリティ
    岡田 桂
    スポーツ社会学研究
    2004年 12 巻 37-48,106
    発行日: 2004/03/21
    公開日: 2011/05/30
    ジャーナル フリー
    英国や欧州におけるサッカー・リーグの試合では、時おり、男性選手同士がキスし合うパフォーマンスが見受けられる。こうした行為は、ゴールを決めた際の感激の表現として理解され、受け入れられてはいるが、通常想定される「
    男らしさ
    」の価値観からは逸脱している。近代スポーツは、その制度を整えてゆく過程で、
    男らしさ
    という徳目に重点を置いた人格陶冶のための教育手段として用いられてきた経緯があり、サッカーを含めたフットボールはその中心的な位置を占めていた。それではなぜ、
    男らしさ
    の価値観を生みだしてゆくはずのサッカー競技の中で、「男らしくない」と見なされるような行為が行われるのだろうか。この疑問を解く鍵は、近代スポーツという制度に内在するホモソーシャリティにある。
    男らしさ
    の価値観を担保するホモソーシャリティは、異性愛男性同士の排他的な権利関係であり、女性嫌悪と同性愛嫌悪を内包する。サッカーをはじめとするスポーツ競技は、ジェンダー別の組織編成によって制度上の完全な女性排除を達成しており、もう一方の脅威である同性愛者排除のために、ホモフォビアもより先鋭化された形で実践されている。こうして恣意的に高められたホモソーシャルな絆によって、スポーツ界は通常の
    男らしさ
    規範に縛られない自由な表現が許される場となり、キスのような、通常であればホモソーシャリティの脅威となり得るホモセクシュアリティを仄めかすようなパフォーマンスも可能となるのである。つまり、こうした行為は「自分たちは同性愛者ではない」という確固とした前提に基づいた、逆説的な「
    男らしさ
    」の表出であるといえる。また、男性同士のキスという全く同一の行為が、プロ・サッカーという特定の文脈では「
    男らしさ
    」を表出し、他の文脈では正反対の意味を構成するという事実は、ジェンダーというものが行為によってパフォーマティヴに構築されるものであり、ジェンダーのパフォーマンスとそれが構築する主体 (不動な実体) との間の関係が恣意的なものであること、即ち、行為の実践によってそれが構築する主体をパフォーマティヴに組み替えてゆくことができる可能性を表しているといえる。
  • *小浜 駿, 黒川 暁
    日本心理学会大会発表論文集
    2009年 73 巻 2PM024
    発行日: 2009/08/26
    公開日: 2018/11/02
    会議録・要旨集 フリー
  • 高峰 修
    スポーツ社会学研究
    2019年 27 巻 2 号 17-27
    発行日: 2019/09/30
    公開日: 2020/10/15
    ジャーナル フリー
     本稿では、スポーツ領域における女性の商品化の問題を男性学の視点から検討した。この問題を検討するための事例として“セクシーラグビールール動画”、“女子プロ野球の美女9総選挙”、“プロ野球における女性の始球式” が取り上げられ、その内容が分析された。ワールドカップやプロリーグというホモソーシャルな場において、女性という存在はそもそも馴染まないか異質な存在である。そうした場に女性は受け入れられたが、その場に生じる違和感を緩和するために、女性はパロディ化されていた。さらに3つの事例における女性の表象には、異性愛主義を前提とする、女性に対する男性からの性的欲求、そして女性嫌悪が描かれていた。
     次に、伊藤による
    男らしさ
    を示す三つの志向性(優越志向・権力志向・所有志向)と性的欲望との関係について検討した。これらの志向性が女性に向けられるとき、
    男らしさ
    は異性に対する性的欲求として表れる。スポーツの実践が現代社会における
    男らしさ
    を学ぶ場になっているとすれば、そして
    男らしさ
    に異性への性的欲求が含まれているのであれば、現代の男たちはスポーツを通じて、異性への性的欲求を自覚し、再確認し、あるいは実現しようとしていることになる。男たちがスポーツを通じて異性への性的欲求を実現しようとしている例として、始球式に登場した女性タレントが男子中学生たちに取り囲まれる事例を示した。
  • 男らしさの揺らぎのなかで
    須長 史生
    家族社会学研究
    2001年 13 巻 2 号 113-114
    発行日: 2002/03/31
    公開日: 2010/11/18
    ジャーナル フリー
feedback
Top