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クエリ検索: "真言"
7,177件中 1-20の結果を表示しています
  • —金剛峯寺諸院家析負輯を中心として—
    森本 一彦
    比較家族史研究
    2017年 31 巻 43-66
    発行日: 2017/03/31
    公開日: 2018/03/31
    ジャーナル フリー
  • 山岸 常人, 藤井 恵介
    建築史学
    1990年 14 巻 99-111
    発行日: 1990年
    公開日: 2018/10/24
    ジャーナル フリー
  • 田中 千秋
    日本佛敎學會年報
    1963年 28 巻 97-109
    発行日: 1963年
    公開日: 2024/11/01
    ジャーナル フリー
  • 小笠原 隆浩
    智山学報
    1994年 43 巻 169-183
    発行日: 1994/03/31
    公開日: 2017/08/31
    ジャーナル フリー
    弘法大師の思想の中において、
    真言
    に対する見解は重要であり、その中心であるとも考えられる。本稿においては、その直接的背景であると考えられる『大日経疏』の
    真言
    解釈を見てゆくことによって、弘法大師の
    真言
    観の一面をさぐることを目的とする。『大疏』については、
    真言
    の二諦、如来の
    真言と世間の真言
    の違い、
    真言
    の本性、本性とされる「空」の性格について順次釈文を追ってゆく。そして、そのような
    真言
    の如実相が、『声字実相義』における密釈や『十住心論』における
    真言と大真言
    の説に結びついていると考えられる。それを見ることによって大師の
    真言
    に対しての見解を考える上での、一つの視点を確認することが出来ると考えられる。
  • 上島 享
    洛北史学
    1999年 1 巻 4-46
    発行日: 1999/06/30
    公開日: 2023/03/23
    ジャーナル フリー
    事相・教相を両親とする空海教学が、日本的な環境のなかで、いかに歴史的に変遷してきたかを考察することが、本稿の目的である。空海が深く関わった東寺・金剛峯寺では、空海教学を体現する寺院として修学システムが整備されていくが、九世紀後半より建立された
    真言
    系の定額寺・御願寺では、顕教の影響を強く受け、学解重視の傾向が強い。しかし、一〇世紀後半の国家・社会の変化を背景に、
    真言
    系の定額寺・御願寺は、事相法流の拠点寺院となり、修法を重視することで発展する一方、東寺・金剛峯寺は衰退し、教相活動は停滞する。院政期には、顕教・密教の広範な交流のもと、仏教界全体が発展するが、
    真言
    宗の中心的な位置にあった仁和寺では、教相復興の気運が起こる。しかし、事相活動を重視する仁和寺は教相研究の拠点寺院にはなり得ず、教相活動は金剛峯寺で展開し、鎌倉後期に、金剛峯寺は教相研究の拠点寺院としての性格を明確にする。金剛峯寺での教学・法会のあり方が、東寺に移植され、東寺の教学復興も図られる。 平安後期以降、
    真言
    教相研究が復興・進展し、鎌倉後期には、
    真言
    教学は新たな段階を迎える。そのさい、教学研究方法として採用されたのが、談義・論義に基づく顕教的な修学システムであった点は重要である。学侶が顕教的な方法で研鑽を積むことで、彼ら共通の宗教的基盤が形成され、それが寺院構造に与えた影響も大きく、鎌倉後期以降、金剛峯寺・東寺は、南都権門寺院と類似の構造を持つようになる。 顕教も密教の影響を受けるとともに、密教も顕教の影響を受け、両者はその独自性を保持しつつも、均質なあり方を示すことになる。これが、日本における
    真言
    密教の変遷であり、顕密仏教の展開であったと考える。
  • 芙蓉 良順
    日本佛敎學會年報
    1963年 28 巻 79-95
    発行日: 1963年
    公開日: 2024/11/01
    ジャーナル フリー
  • ――月輪観・阿字観をめぐって――
    児島 啓祐
    日本文学
    2020年 69 巻 8 号 1-8
    発行日: 2020/08/10
    公開日: 2025/08/20
    ジャーナル フリー

    天台僧慈円にも

    真言
    密教の代表的観法、月輪観・阿字観を詠じた和歌がある。慈円は、この観法を重視し多数の注釈を残した
    真言
    僧覚鑁の影響を色濃く受けながらも、その思想を天台の学問の側から読み替え、新たな和歌表現を獲得していた。本稿は、従来「天台の高僧」ゆえに、
    真言
    僧「西行ほど徹底したものではない」と論じられ顧みられることの少なかった慈円の観法和歌をあらためて読み直し、むしろ天台の立場ゆえに創り出すことのできた表現として捉え返す試みである。

  • 松本 郁代
    日本文学
    2004年 53 巻 2 号 9-18
    発行日: 2004/02/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    真言
    密教法流には、異なる種類の即位法が複数存在している。本橋では、これら即位法の即位印明、伝授者である摂〓家と寺家との関係性、即位法に登場する天皇の異称を中心に検討、鎌倉時代の
    真言
    密教界における「帝王」の位相について考察した。
    真言
    密教界における複数の即位法の存在は、王統分立という実情に矛盾なく、コンパクトな即位印明によって複数の「帝王」を多元的に創出することを可能とし、寺家の内外で王法仏法相依を変容せざるを得なかった「帝王」の位相が存在していた。
  • 寺河 俊海
    密教文化
    1954年 1954 巻 27 号 17-29
    発行日: 1954/06/20
    公開日: 2010/03/16
    ジャーナル フリー
  • 藤井 恵介
    建築史学
    1986年 7 巻 2-23
    発行日: 1986年
    公開日: 2018/10/24
    ジャーナル フリー
  • 早川 礎子, 宮崎 清
    デザイン学研究
    2009年 56 巻 1 号 21-30
    発行日: 2009/05/31
    公開日: 2017/06/29
    ジャーナル フリー
    平安時代の伝統色彩文化を継承する成田山新勝寺は、成田不動の名で知られている密教寺院である。本稿は、成田山新勝寺における祭礼の現地調査を通して、伝統色彩文化にみられる階層機能と陰陽五行説の影響を受けた方位に関する象徴性を解析したものである。得られた結果は次の通りである。(1)法会における僧侶は、その僧階に従い、白衣の上に、黒・緋・紫・萌黄・浅黄・黄・黒または鼠色(僧階未得者)の袍服ないしは襲を着用する。緋色の袍は、大僧正のみが着用する。祖先供養等では、大僧正は黒い袍服に、木襴色の加法衣を身につける。(2)僧侶が着用する法衣の色ならびに立位には、陰陽五行説に基づく方位との関連がみられ、北と東が崇高な方位として位置づけられている。僧侶の参進は、南から北への方向性がみられる。(3)陰陽五行説の影響を受けた四神相応の思想に基づき、五色が仏具の色として用いられ、方位を守護している。
  • 泰地 翔大
    洛北史学
    2021年 23 巻 29-42
    発行日: 2021/06/05
    公開日: 2023/02/01
    ジャーナル フリー
    本稿では後七日御修法(以下、御修法)の分析を手がかりに、平安期
    真言
    宗における諸門流の分化とその意義を論じた。御修法は東寺長者―東寺定額僧により勤修される、
    真言
    一宗の基幹法会と言うべき密教修法であった。しかし、一二世紀の東寺長者は職権の範囲内で定額僧の人事に恣意性を発揮しており、自身の弟子をはじめとする非定額僧を御修法の修僧として多数動員していた。これらを通じて、長者は自派本位の御修法運営をおこなっていた。このことは、御修法の核心たる作法次第の相承および門流の成立・分化と連動していた。御修法の作法次第は長者加任の時点で現任一長者から相承することが原則であったが、一一世紀中後葉以降は師弟間で共有されるようになり、口伝が形成された。一二世紀前半には口伝の細分化と固定化が進み、西院流・勧修寺流・保寿院流など体系的な口伝を相承する諸門流が成立した。口伝に基づく御修法の勤仕は世俗側にも許容されていた。御修法は
    真言
    一宗の基幹法会という体裁を維持しながらも、諸門流の存在を前提とする運営形態へと変質したと言える。そのことは、国家体制の一翼を担う
    真言
    宗僧団の変容と評価しうる。
  • 佐竹 隆信
    智山学報
    2016年 65 巻 553-602
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/02/22
    ジャーナル フリー
        江戸時代後期、御室より安芸国の福王寺が有部律の道場として認められた。上田天瑞氏によれば(1)、その際、福王寺の僧学如(1716~1773)は御室に『
    真言
    律行問答』、「福王寺を有部律復興の道場とする願書」、『
    真言
    八祖有部受戒問答』の三書を提出したとされる。これらのうち『
    真言
    律行問答』、「願書」の二書についてはすでに些かの紹介を行った(2)。残る『
    真言
    八祖有部受戒問答』は左の二本の中に收められている。
     1 『小部類集』 (写本) 写年不明 福王寺蔵
     2 『
    真言
    律行問答』(謄写本) 昭和九年刊 高野山大学図書館蔵
     1は学如の自筆ではなく転写本と考えられ、いくつかの著作を一冊にまとめたものであるが、他の諸著作については別な機会を待ちたい。また2の高野山大学図書館本は『国書総目録』で活字本とされているが、電子複写された物をみると謄写本であると考えられる。また2の謄写本は前稿でも述べたように(3)、長谷宝秀氏が福王寺所蔵のものを書写し、後に謄写した本であるが、多くの誤脱箇所が確認された。福王寺所蔵本を写したものではあるが、それは1の本ではないと考えられる。
     今現存しているのはこの二本であるが、本書の奥書には(4)
      明和三年十一月於金亀山方丈書獨語
    とある。前述したように御室に三書を奏上したとすれば、他の二書の成立年代から考えると『
    真言
    八祖有部受戒問答』は少し遅れて成立したと言えるだろう。しかし、御室に提出したか否かは確実ではない。また本書は『
    真言
    律行問答』や「願書」の内容と大きく異なる点はないが、先の二書にはない論述もみられ、学如の主張を読み解く上で重要と思われる。また本書はこれまで二本しか存在が確認されず、広く普及しているとは言い難い。そのため資料として福王寺所蔵本を底本として翻刻を後半に付す。
  • 西田 幾多郎, 秋富 克哉
    西田哲学会年報
    2016年 13 巻 139-140
    発行日: 2016年
    公開日: 2020/03/21
    ジャーナル フリー
  • 山岸 常人
    建築史学
    1998年 31 巻 207-224
    発行日: 1998年
    公開日: 2018/08/18
    ジャーナル フリー
  • 岩原 諦信
    東洋音楽研究
    1954年 1954 巻 12-13 号 161-172
    発行日: 1954/10/30
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
  • 清水 擴
    建築史学
    1983年 1 巻 60-81
    発行日: 1983年
    公開日: 2018/10/24
    ジャーナル フリー
  • ー光明真言をかたちにー
    粕谷 隆宣
    智山学報
    2016年 65 巻 375-388
    発行日: 2016年
    公開日: 2019/02/22
    ジャーナル オープンアクセス
        寺院は全国におよそ75,000(1)あるという。コンビニよりもはるかに多いその数は、しばしば「次世代の新しい教化」の有力インフラとして、語られることがあったと思う。
     葬式仏教と揶揄されるがごとく、教化活動を行っていないとの批判やお布施(金銭)の問題、散骨、直葬、家族葬等々、昨今は次から次へと寺院に関する問題が浮上している。その中で七万五千という「その数」は魅力的であり、有効に活用していく方法が種々考えられてきた。寺院危機や僧侶不信が叫ばれて久しい現在、寺院自体が何か新しい方策のもと、自ら救世主となる道を模索するためである。
     しかし、この希望的観測とは真逆に「寺が消えてゆく」時代が間近に迫っているのかも知れない。
     2015年5月に発刊された『寺院消滅ー失われる「地方」と「宗教」ー』(鵜飼秀徳著 日経BP社)は、2ヶ月後の7月時点ですでに四刷。この種の書籍では異例の部数といえるだろう。この状況は世間(寺院側も含まれる)が、まさに「寺が消えてゆく」ことを実感しつつある証左と受けとることもできる。
     「25年後、高野山
    真言
    宗では40%の寺院が消滅する」(同上書、163頁)。この衝撃的なデータは、今後、仏教界がきわめて厳しい時代を迎えることを象徴している。確かに方々で過疎化の問題が取りあげられ、それに伴って寺院運営も厳しくなっていくことは承知していたが、これほどの予測が立てられていたのはショックである。ショックというよりも他人事でない。
     「だからこそ、寺院存続のため有効な教化方法を」と考えるのは極端かも知れない。何より過疎化という社会変動に、仏教界がすべて足並みをそろえるのは不可能だと思う。しかし、こうなっていくと予測されていながら、何も考えず、ただ素知らぬふりをしているというのもいかがなものか。
     そこで、今回は標記のタイトルで、今後の
    真言
    宗の教化について考えてみることにする。これを具現化する機会は「いつでも、どこでも、いたるところに、みち溢れている(2)」はずだが、まずは、その前提となる教理基盤をおって、密教精神を共有していきたい
  • 堀坂 性禪
    密教研究
    1924年 1924 巻 13 号 21-45
    発行日: 1924/06/05
    公開日: 2010/03/16
    ジャーナル フリー
  • 佐々木 憲徳
    密教研究
    1920年 1920 巻 5 号 73-79
    発行日: 1920/11/20
    公開日: 2010/03/12
    ジャーナル フリー
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