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4,212件中 1-20の結果を表示しています
  • 『行商研究』において残された課題の解決へ向けて
    中村 周作
    地域漁業研究
    2010年 51 巻 1 号 87-108
    発行日: 2010/10/01
    公開日: 2020/12/04
    ジャーナル オープンアクセス

    本稿の目的は,①魚介類の自動車営業活動が盛んな東京都の状況と,②かつて営業が盛んであった山間地域における営業活動の変容を把握することであった。要約すると,以下のことが明らかになった。

    1)営業者の増減率から各都道府県は,ⅰ.営業者増加地域,ⅱ.減少率が30%未満の地域,ⅲ.減少率が30~50%の地域,ⅳ.減少率50%以上の地域に分けることができた。

    2)東京都で活動の盛んな足立,江戸川,江東,大田の4区をみると,高齢者が多くて魚介類の需要が大きく,魚市場が存在するなどの共通点がみられた。

    3)山間地域においては,魚介類自動車営業がすたれたところと,現在でも活動が盛んなところにはっきりと分かれた。

  • 武市 伸幸
    新地理
    2000年 48 巻 1 号 37-44
    発行日: 2000/06/25
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 神野 由紀
    デザイン学研究
    2007年 54 巻 1 号 69-76
    発行日: 2007/05/31
    公開日: 2017/07/11
    ジャーナル フリー
    本論では、日本の初期消費社会のデザインの生成過程を、子供用品市場の出現とそれに伴いデザインされた商品群の事例によって検証した。明治末期、日本で子供用品市場が形成される際、大人と同様に流行を意図的に創り出し、人々に消費の欲求を喚起させるという手法がとられた。その契機となったのは、日本古来の子供のための行事である七五三であった。子供の成長を祝う風習を近代的な消費イベントに利用することで、子供の衣服に流行が存在することを消費者に認識させたのである。店頭やカタログで度々紹介される晴れ着としての子供服は、中流層が子供用品の消費に向かう上で、実際の消費量以上に大きな影響を与えた。衣服で用いられた流行操作の手法は、雛祭りのような同様の伝統的風習にも適用され、さらに新入学、クリスマスといった新しい消費イベントの創出へと発展していった。これらの事実から、非常に早い時期に、多くの消費財がファッションという近代的要素を含んでいたことが明らかになった。
  • 室岡 祐司
    日本観光研究学会全国大会学術論文集
    2022年 37 巻
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/06/23
    会議録・要旨集 フリー
    本論は、旅行業者の競争優位性を探索するために、「ツアーグランプリ」受賞の海外旅
    行商
    品を対象に、商品タイトルや審査員・商品造成担当者の評価コメントからテキストマイニングを行い、優れた旅
    行商
    品の特徴を分析した。結果、「シリーズ」「チャーター」という単語の頻度が高く、海外旅行者数の増減により商品傾向が異なる点、新方面・新市場開発の企画が多い中、現地発着周遊バスという新たな事業モデルの開発が評価された点が明らかになった。また、旅
    行商
    品は模倣され易いが、旅行業者の「リスク受容」と「超個人手配」「企画の困難さ」「特別仕様」「新方面」「信用・実績」からなる「専門性」が差別化要因となることを指摘した。
  • 山陰地方の事例を中心として
    中村 周作
    人文地理
    1985年 37 巻 4 号 310-331
    発行日: 1985/08/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
    Itinerant peddling has played an important role in the retailing of seafood predating shop-selling in Japan. The origins of peddling forms we find today go back to the early Meiji Period (the late 19th century). In this period, the goods dealt with by peddlers were salt, fish and shellfish, which included fresh, salted and dried varieties. The author has classified the retail forms from the viewpoint of the relationships in the goods, the place of purchase, and markets:
    I: salt-peddling.
    II: peddling of fresh fish and shellfish,
    II-a: from the suburban fishing villages to urban region,
    II-b: from the fishing villages located in the region which distibutes the salted and dried fish to urban region, to the neighbouring farming villages,
    II-c: from the remote fishing villages to their neighbouring farming villages,
    II-d: activity within the urban region.
    III: the peddling of salted and dried fish (from the remote fishing villages to the broader hinterlands).
    Since modern times, however, such trade forms of peddling have been largely transformed along with the changing socio-economic circumstances. For instance, first the salt-peddling disappeared through the enforcement of the salt monopoly-system. Also, the peddling areas of fresh fish expanded and the remote fishing villages were included in the distribution-networks of the cities with the development of transportation facilities.
    The aim of this paper is to consider the spatial pattern of such behaviour, because some past studies on peddling in Japan have been lacking in this viewpoint. For this purpose, the writer first tried to make clear the distribution and distinctions of the peddling forms all over Japan and next investigated in detail the distribution and behavioural patterns of peddling in the San'in District, Western Japan.
    The results are as follows:
    1. The peddling forms according to how the goods are carried are classified as follows; a), carrying poles with hanging bamboo baskets (“Ninaiuri”), b), bamboo baskets carried on the head (“Kaberi” or “Itadaki”), c), handcarts, d), bicycles, e), motorcycles, f), automobiles.
    But a) and b) disappeared about 1960; c) and d) have been used since about 1960; e) and f) since about 1965.
    2. The number of peddlers who can be observed today is estimated to be roughly 37, 600 persons. Among them, the number using automobiles is about 15, 500 persons.
    3. The peddlers, except for those using automobiles mostly distribute to the markets located at the place of seafood production and the fishing villages in the metropolitan suburbs. On the other hand, the automobile-using peddlers are mainly working in the inland and isolated regions. Furthermore, in the San'in District, the latter spread remarkably from seashore inland.
    4. The motives for forming a peddling group are to purchase the goods in the same place, or to use the same transportation facilities.
    5. Finally, the behavioural patterns of peddling are classified as follows according to the distinctions among peddling forms and purchase-place:
    I: peddling in the place of production,
    II: paddlinng in the place of consumption,
    A: peddling without automobiles,
    B: peddling with automobiles.
    Therefore, these combinations make four types; I-A, I-B, II-A and II-B. In the San'in District, with respect to the age structure of peddling groups, in general, A) consists mainly of an old-aged class and B) of a middle-aged class. Concerning the sex of the peddlers, females predominate in I-A. On the other hand, the number of males increases more in proportion as the types tend towards I-B, II-A and II-B. These groupings can be further divided into twelve behavioural patterns.
    I hope that such results gained from this case study can be applied to more general issues.
  • 近藤 紀章, 柏尾 珠紀, 中野 桂
    都市計画報告集
    2022年 20 巻 4 号 472-477
    発行日: 2022/03/03
    公開日: 2022/06/08
    研究報告書・技術報告書 フリー

    本研究は、移動販売の一部であり、小さな経済活動でもある「

    行商
    」に着目し、文献調査を通じて、
    行商
    が構築する社会経済圏を再解釈するための基礎研究を行うことを目的としている。 その結果、以下のことが明らかとなった。研究テーマとしての
    行商
    が衰退する過程で、流通研究や移動販売の研究に統合、包摂された。 次に、
    行商
    は生活を支える移動販売という「補完型」であった。小さな経済活動の意味や内容が変化するなかで、「補完型」を母胎として、社会問題の解決に対応する「救済型」と、新しい活動形態を積極的に生み出す「価値創造型」が生み出された。

  • 鈴木 久敏, 辻 真人, 平林 隆一
    日本オペレーションズ・リサーチ学会論文誌
    1987年 30 巻 4 号 472-492
    発行日: 1987年
    公開日: 2017/06/27
    ジャーナル フリー
    最短路問題は、数理計画問題において最も古典的かつ基本的な問題であり、多くの現実問題に応用されている。また、近年、各種の線形制約が付加された制約付き最短路問題に対しても多くの研究がなされているが、これらはすべて枝上の重みに関する制約を扱っている。一方、頂点上の重みに関する制約付き最短路問題、たとえば各頂点での需要が与えられたとき、訪れた頂点の需要量の合計がQ以内であるような最短路を見つける問題などはあまり議論されていない。本研究では、この問題を含むより一般的な問題を「水売り
    行商
    人問題」の名のもとに議論する。この水売り
    行商
    人問題は元々、供給量の制約を持つルーティング問題の部分問題として現れてきたもので、実用面でも意味のある問題である。本論文では、まず水売り
    行商
    人問題の定式化を与え、2つのアルゴリズムを提案する。1つは、現在の頂点と供給能力の残量で状態を構成するDPによる解法で、もう1つは第k最短路を用いた解法である。最後にランダムに生成した問題に対して数値実験を行なった結果を示す。数値実験の結果によれば、第k最短路を用いた解法のほうがDPによる解法に比して一部を除いては速い。
  • 伊藤 千尋
    地理学評論 Series A
    2015年 88 巻 5 号 451-472
    発行日: 2015/09/01
    公開日: 2019/10/05
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,滋賀県高島市朽木における

    行商
    利用の変遷と現在の特徴を,利用者や利用する地域社会の視点から明らかにすることである.これを通じて,過疎・高齢化が深刻化する現代の山村において
    行商
    が果たす役割を考察する.若狭街道に位置する朽木は古くから
    行商
    人が行き交う地域であった.聞取り調査の結果,1950年代後半までには,
    行商
    人は物資の供給だけでなく,便利屋や機会の媒介者などのさまざまな役割を担い,朽木の地域社会を構成する一つの要素となっていたことが明らかになった.しかし,1960年代前半からの社会変化により,住民による
    行商
    の利用機会は減少し,
    行商
    人との関係性は希薄化した.一方,現在の
    行商
    は,高齢者にとっての補完的・代替的な買い物手段として機能している.また,利用者と
    行商
    人との関係性は雑談や相談のコミュニケーションの場として機能するほか,高齢者の自立した生活を豊かにする相互行為としての側面をもつと考えられる.

  • 長山 いづみ
    数学
    1999年 51 巻 3 号 318-320
    発行日: 1999/07/29
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
  • *伊藤 千尋
    日本地理学会発表要旨集
    2013年 2013s 巻 511
    発行日: 2013年
    公開日: 2013/09/04
    会議録・要旨集 フリー
    1 はじめに自然環境による制約が大きい山間部に暮らす人びとにとって、買い物や通院などの日常生活における制約や不便さは、その地に住み続けることを困難にする最も身近な要因となる。このような地域において、
    行商
    は、物資の供給や地域間交流の重要な役割を担ってきたが、近代化とともに衰退の一途をたどっているとみなされてきた。しかし
    行商
    が、車営業へと転換するなかで、商圏を拡大させてきたにも関わらず、現代の
    行商
    の存続の意味やその成立背景に注目した研究はほとんど行われていない。本研究では、
    行商
    が存続している滋賀県高島市朽木において、
    行商の利用や行商
    人との関わりの変遷、そして現在朽木にて営業する
    行商
    の利用者の特徴を明らかにすることを目的としている。そして、
    行商
    という移動性をともなう経済活動の形態を、過疎化・高齢化をはじめとした現代の農山村が抱える問題群に位置づけて考察し、その意義を再検討したい。2 方法調査は滋賀県高島市朽木にて行った。朽木地域の3集落(33世帯)において、
    行商
    人との関わり合いに関する過去の記憶や経験、現在の
    行商
    利用の有無や日常の買い物について聞き取りをした。また、朽木地域で
    行商
    を行なっているA氏にGPSによる位置情報の記録を依頼し、
    行商
    ルートと顧客の把握、各家での滞在時間の算出を行った。3 結果と考察朽木は、福井から京都へとつづく「鯖街道」に位置し、古くから
    行商
    人が往来してきた地域である。林業や農業を生業にしている人びとが多いこの地域では、徒歩や自転車で訪れる
    行商
    人から魚や日用品を購入することは日常の光景であった。しかし、昭和30年代後半から40年代にかけて、近郊の都市部に雇用機会が増加し、生活スタイルにも変化が訪れた。これまで山村にとどまっていた人びとの行動圏は拡大し、
    行商
    からモノを買う機会は減少していった。一方で、
    行商
    も車営業へと転換し、一部の人びとには利用され続けていた。現在、朽木地域に定期的に訪れる
    行商
    は二組いた。食料品や日用品、衣料品など様々な商品を積んでいるA氏(岐阜県)と、魚を主に販売するB氏(福井県)である。
    行商
    利用者は、ひとり暮らしの高齢者が多かった。彼らのなかには買い物にほとんど出かけず、
    行商
    を「命綱」とみなしている利用者もみられた。また、
    行商
    と利用者の間には、経済的なつながりのみには留まらない関係性がみられた。例えば、
    行商
    は、定期的に訪れるものの何曜日に来るかはわからないため、利用者が、前日に買い物を済ませている場合もある。しかし、利用者の多くは「必ず何か一つでも買う」こと(義理買い)が、次も来てもらうために大事であると語った。そして、「A氏に話を聞くと他の人の様子がよく分かる」、「他の人が使っている薬の様子などを相談できる」といった声があり、地域の人びとの情報を繋ぐ役割も果たしていた。以上のことから、朽木地域における
    行商
    は、社会変化とともに衰退していったが、現在では、高齢者に買い物の選択肢を提供するだけでなく、雑談や相談の社会的な場として機能したり、散在する利用者間の関係を繋いだりする新たな役割を帯びていると考えられる。
  • 関 儀久
    産業教育学研究
    2015年 45 巻 2 号 9-16
    発行日: 2015/07/31
    公開日: 2017/07/18
    ジャーナル フリー
    修学
    行商
    は、近代商業学校の教育課程が摸索された明治期に限定して急激な普及・衰退を見た教育活動である。本稿では、修学
    行商
    の創始・隆盛から衰退に至る過程を考察し、当時の商業学校関係者による教育課程の摸索状況の一端を明らかにした。修学
    行商
    に対する商業学校関係者のニーズは、実地調査と商業実習を教育課程上補完することであった。しかし、明治30年代の商業学校内部における修学旅行の発達により、実地調査は主に修学旅行が担うようになると、修学
    行商
    はその取り組み中の弊害の側面がクローズアップされ、急速に衰退の途を辿ることになった。
  • 中村 周作
    地理科学
    1999年 54 巻 4 号 280-296
    発行日: 1999/10/28
    公開日: 2017/04/20
    ジャーナル フリー
    The purpose of this research is to grasp the moving pattern of stall-keepers at fair markets and make it clear how they have come to be these stall-keepers. To sum up, the results are as follows: 1. Rihe Daikokuya, who sold china and porcelain, traveled mainly around (1) his local area, (2) Saitama Prefecture, (3) Niigata Prefecture, and (4) Tohoku District. As for the time of the year, he traveled around his local area in spring and autumn, in Saitama Prefecture in January to March, which is the most important period for his business, and, in summer, to Niigata Prefecture and to Tohoku District where it is rather cool even in Japan. 2. Tadaharu Kitazono, who sold bananas, traveled mainly around (1) Saga Prefecture, (2) Nagasaki Prefecture and (3) Fukuoka Prefecture. He sold mainly in spring and autumn, and as he travels by his own car now, he mostly goes and returns in a day. His traveling area has become smaller compared with the time he traveled by trains and buses. 3. How has Rihe Daikokuya come to be a stall-keepers? He was born in an area where the pottery industry flourished, and worked as an apprentice in a pottery. But he was not contented as he could not get much money nor make much progress in his art, which made him decide to change his work. He became a member of an organization of stall-keepers (This kind of organization is called Tekiya.) and became a stall-keeper who sells china and porcelain. 4. How have these Tekiya-stall-keepers been born? Some of them have become stall-keepers when they wanted to get a job, and others, after some experiences of several jobs, have become ones with their longing for freedom. Thus they become members of a Tekiya group and stand on their own feet. Anyway, stall-keepers are typical "traveling workers" and we may be aware that they are important in playing the part of the prime mover to enliven fair markets.
  • ―ある華僑の回想録への解読を通して―
    張 玉玲
    日本民俗学
    2022年 309 巻 65-93
    発行日: 2022/02/28
    公開日: 2023/08/02
    ジャーナル フリー

     従来の華僑研究では、華僑の集中居住地である横浜、神戸などの開港場に焦点を当てたうえ、彼らをもっぱら中国の社会・文化の一部として捉え、その「異質性」についての分析に重点が置かれてきた。また日本の農村に関する研究においては、華僑について、ほとんど言及されてこなかった。この点を踏まえ、本稿では、一九世紀末期から戦前まで日本の農村地域で呉服

    行商
    をしていた福建省出身の華僑に注目し、彼らの生業・暮らしを含む生活実践の諸相を、その「生活世界の総体」としての日本(地域)社会という文脈から解読すると同時に、そこに映し出された日本の農村像の分析を試みた。

     一九二〇年に来日した福建の呉服

    行商
    人江氏の回想録を手がかりに、彼の足跡をたどることで、福岡の鉱業や足利の織物業など、明治以降の近代産業の隆盛が農村にもたらした物質的繁栄とともに、依然として生活必需品を
    行商
    人に頼らざるを得ない、近代化に取り残された「伝統的」な農村の一面を浮き彫りにした。逆説的に言えば、これらは福建出身の呉服
    行商
    人を引き寄せ、彼らの生業を可能にした要素であった。一方、市場経済と競争原理が農村まで浸透した結果、貧富の差が拡大し、子どもの売買、女性の「誘拐」(国際結婚)などの諸問題にも、
    行商
    人が何かしらの形で関わっていたことも明らかになった。

     「異文化」的な存在でありながら、村人と同じ生活空間を共有しつつ、「人間同士」の付き合いをしていた呉服

    行商
    人は、当時変貌しつつあった農村風景をなす一部であった。しかし一方、日本が国民国家、「帝国」として膨張していくにつれて、
    行商
    人は「日本人」の対極に置かれ、「よそ者」、「敵国人」として排除されるようになった。このプロセスも、
    行商
    人たちの実体験についての分析を通して明確にすることができた。このような福建の
    行商
    人と村人との多重的関係性は、今日の日本社会の多民族・多文化的状況を考える際の手掛かりにもなりうる。

  • *辻 貴志
    日本地理学会発表要旨集
    2017年 2017a 巻 P064
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/10/26
    会議録・要旨集 フリー
    1. はじめに
      本発表は、フィリピン・ラグナ州で行われている、スイギュウの伝統的チーズ加工と流通について報告する。ラグナ州ではスペインの統治が始まって以来、伝統的なスイギュウのチーズ加工が行われてきた。加工されるチーズはフレッシュチーズ(kesong puti)であり、酢やレンネットが発酵酵素として用いられ、塩味が効いている(塩には殺菌作用や脱水作用もある)。加工者はチーズを作ると、家のそばの売店で売るか、
    行商
    に出て売る。  本発表では特に、どこでスイギュウのチーズが販売され、
    行商人がどこにチーズを行商
    するのかという地理学的情報を提示し、チーズ加工の実態と併せて報告する。  

    2. 調査地と調査の概要
      調査は、ルソン島のラグナ湖周辺のラグナ州の州都サンタクルスのバゴンバヤン集落で行った。ラグナ州は、国際イネ研究所(IRRI)やフィリピン大学ロスバニョス校で有名な土地柄である。主な生業はラグナ湖の内水面養殖やパイナップルの栽培である。調査は、スイギュウの乳をチーズに加工し、
    行商を行う男性のチーズ加工技術と行商
    の様子について参与観察および定量的調査を実施した。2016年と2017年に行ったフィールドワークの結果をもとに報告を行う。
       
    3. 結果
      スイギュウの乳のチーズは、乳は別の地域から運ばれ、それを加工していることが明らかとなった。チーズ加工とスイギュウの搾乳は分離している。チーズ加工は各家庭の秘儀とされる。チーズは加熱式方法で、ヤシの酢を擬乳酵素として作成する。チーズは道路沿いの売店で売る人もいるが、
    行商
    に出る人もいる。道路沿いでチーズを売る人は観光客などを相手にしていると思われる。
    行商
    に出る人は売店を構える余裕がないと考えられる。チーズは地元の市場に並ばないが、一般の人びとの購買力が弱いためとされる。チーズの
    行商
    人はより強い購買力のある地域にチーズを運ぶ戦略をとっている。
    行商
    の範囲は、ラグナ州および隣接する州、そしてマニラにも
    行商
    に出ることがある。

    4. おわりに-まとめと考察
      ラグナ州では、伝統的なスイギュウのフレッシュチーズが加工され、
    行商
    されていることが明らかとなった。チーズは、
    行商
    人によって広く販売されている。  伝統的チーズは今日、国内4地点のみで加工されているが、ラグナ州でこの文化が残ってきたのは、スイギュウの乳生産者と加工者、そして
    行商
    人のネットワークが密に構築されてきたからであると考えられる。他の伝統的チーズ加工地帯でも。同じことが言えるか、今後の調査で比較検証していく計画である。
  • *橋本 暁子
    日本地理学会発表要旨集
    2012年 2012s 巻 408
    発行日: 2012年
    公開日: 2013/03/08
    会議録・要旨集 フリー
     本研究は,京都市北区上賀茂における野菜生産および
    行商
    の変化と実態を検討し,野菜
    行商
    が存続している要因を明らかにする.本研究では,1662年以降の集落は上賀茂地区,柊野地区,深泥池地区,3地区全体を上賀茂と記す.
     上賀茂では,明治期以降,本格的に野菜の栽培および
    行商
    が開始されたが,高度経済成長期を通じて変化が見られた.まず,1960年から1975年にかけて上賀茂全体で世帯数が急増した.これに伴い農地面積が減少し,離農あるいは兼業農家が増加した.また,農地をマンションや駐車場などに変える農家も出現した.1950年代後半から1970年代にかけては,農業器具の機械化と化学肥料の普及により農作業にかかる労働力が軽減し,替わりに野菜の栽培品目数が増加した.農業器具の機械化以前は,重労働であった農作業を男性が担い,結果として女性が
    行商
    を担っていたが,女性が
    行商
    を行うことが慣例化し,現在も女性が
    行商
    を行っている.また,1950年代から1960年代にかけて農家の若い女性が運転免許を取得し,リヤカーから軽トラックによる運搬に切り替え,
    行商
    範囲が拡大した.
     現在,上賀茂の世帯数は5,192,農家戸数は253で,
    行商
    を行っている農家は55戸である.上賀茂地区と深泥池地区では
    行商
    以外にスグキの生産,柊野地区では米による収入を得ており,不動産収入はいずれの地区の農家も得ている.
    行商
    従事者は女性が圧倒的に多く,60歳代の女性が最も多い.夫婦間での作業内訳は,主に夫が圃場を管理し,妻は
    行商
    と夫の作業の補助を行う.妻は野菜の販売量を夫に報告し,翌日の収穫量を夫が判断するため,妻の報告が重要な指標となる.農地面積は平均50.6aである.野菜の栽培品目数は,上賀茂地区の表作が約17.5種類,柊野地区の表作が約27.5種類,裏作は約17.8種類と,多品目を少量ずつ栽培している.しかし,所有する農地面積が少ないため大量生産ができず,共同出荷は行われてこなかった.購入客は,「作っている人の顔が分かるから安心して買うことができる」と話し,農家が直接販売することで野菜に対する信頼が維持されていることが分かる.
     流通機構が整備されている現代においても,上賀茂で
    行商
    が野菜の主な販売手段である要因は,1戸当たりの農地面積が狭小であるために大量生産ができず,共同出荷に適さない点に集約される.
  • 目黒 陽平, 大泉 和也, 古賀 毅, 青山 和浩
    設計工学・システム部門講演会講演論文集
    2011年 2011.21 巻 2407
    発行日: 2011/10/21
    公開日: 2017/06/19
    会議録・要旨集 フリー
    The tourist industry needs to increase the competitive power. Authors advance the collaborative research that tries to attract foreign tourists. My part on the collaborative research is to propose tour design method that can correspond to various needs of customer. To attain the aim, three conditions are required. The first is to design the platform that can supply various tours. The second is to reduce operation costs. The third is to guarantee implementation of tours. This paper focuses on the third element and proposes information model for tour service design considering service constraints. The model represents three constraints that tours should fulfill. Based on the calculation of these constraints, feasibility of tours is judged.
  • 溝口 常俊
    Geographical review of Japan, Series B
    1987年 60 巻 1 号 83-102
    発行日: 1987/06/30
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
    現在のバングラディシュの商品流通において,定期市とならんで重要な役割を果たしているのが
    行商
    人である.本稿は,従来ほとんど顧みられることのなかった
    行商
    人に焦点をあて,その空間的,時間的行動を明らかにすることを目的としている.種々雑多な
    行商
    人の中でも,最もポピュラーなアルミニウム食器の
    行商
    人を選び,
    行商
    先の村,販売額,掛売額等を聴き取った.
    アルミニウム食器の生産・流通経路は,まず諸外国から輸入されたアルミインゴットが,チッタゴンからダッカへと運搬され,工場で各種の食器が生産される.それが卸売店を経てマーケットタウンの小売店および全国に散らばる
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    人販売網を通して消費者にわたる.
    ミルザプール(ダッカ北西70kmの町)に拠点を構える
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    人の行動様式をみると,年間のスケジュールでは,乾期に出稼ぎ地で
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    をし,雨期は自村で漁業をおこなう.
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    活動は9人のグループを組み共同生活をしながらおこなわれる。食料,生活必需品は共同購入するが,
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    であげた利益は各自の財産となる.販売圏は根拠地からおよそ6km圏内で,それぞれ天秤棒を担いで売り歩く.各自得意先の村と顧客を持っており,一週間のスケジュールとしては金曜日(ムスリムの休日)に休みをとる傾向がみられる.仕入れはダッカおよび近隣の町カリヤクールの卸売店でおこない,グループの1人が交代で月に1~2回でかける.
    各自200人前後の顧客を持っており,彼等に対して,中古品を回収するとともに,掛売をしている.この販売方法が買手にとって都合がいいばかりでなく,売手にとっても結果的には高収益をもたらすことになっている.
    さて,ムスリムが多数を占める社会ゆえかムスリムの女性はもちろん,ヒンドゥーの女性すらめったに外出しない.高密度に分布している定期市への買物も男性がおこなう.それゆえ,戸別訪問してくれる
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    人が彼女たちに強く求められるのである.事実,筆者がある1日,
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    人につきそって取材した時,女性がいききと品定いめに現われた.また,
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    人の「未収金帳簿」の顧客リストに少なからず女性の名前が連ねられていた.サリー,腕輪などもその多くをほとんど
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    人から入手している.
    今後の課題として,アルミ食器以外の多種多様の
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    人の行動様式を,本稿で試みた空間的および時間的行動調査を通して分析し,明らかにしていきたい.
  • 平岡 昭利
    地理学評論 Series A
    2011年 84 巻 2 号 161-162
    発行日: 2011/03/01
    公開日: 2015/09/28
    ジャーナル フリー
  • 丹後野原部落における海産物行商の実態
    田中 方男
    人文地理
    1965年 17 巻 2 号 196-205
    発行日: 1965/04/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • ポカラ市の実態を考える
    倉田 亨
    流通
    1999年 1999 巻 12 号 166-177
    発行日: 1999年
    公開日: 2010/08/05
    ジャーナル フリー
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