1. はじめに
近年日本では建築物,道路等のバリアフリー化が進展している.しかし,外出移動の妨げとなる物理的バリアは依然として存在しており,特に視覚障害者にとってその問題は深刻である.情報障害者とも呼ばれる彼らは道路上のどこに,何が,どのように存在しているのかを事前に把握することが困難であり,外出時の衝突事故が後を絶たない.先行研究では行動地理学の分野において空間認知の観点から視覚障害者の移動について検討されてきた.しかし,障害の地理学の誕生以降,障害を病気や怪我としてではなく社会的,空間的に作り出されるものとして捉える見方が強くなっており,物理的バリアについてもその観点から検討する必要がある.以上を踏まえて本研究では,歩行空間を取り巻く社会状況の変化に着目し,視覚障害者の外出における物理的バリアの実態について考察する.
2. 研究方法
本研究ではまず,認定NPO法人ことばの道案内が作製している視覚障害者向け道案内文(通称「ことばの地図」)を分析し,視覚障害者の外出において何が物理的バリアとなっているかを明らかにする.対象地域は東京都である.「ことばの地図」とは最寄り駅・バス停から各種施設までを道案内するテキスト形式の地図であり,全国各地で作製されている.当事者による現地調査を踏まえて作製され,Webサイトを通じて公開されている.「ことばの地図」には注意文と呼ばれる経路上の危険事項を警告する文が記載されており,その中には物理的バリアの情報が多数存在する.本研究では2015年5月5日時点で公開されていた東京都の1,167ルートの「ことばの地図」(往路のみ)を使用する.
次に,視覚障害者や行政担当者への聞き取り調査で得られた情報,行政資料,新聞・雑誌記事等を使用して分析結果について考察する.
3. 視覚障害者の移動を妨げる物理的バリア
「ことばの地図」には1,468か所分の物理的バリアが記載されており,自転車,電柱,
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,段差,路上看板が特に多いことがわかった.自転車,電柱,段差,路上看板に関する問題は多くの先行研究で指摘されているが,
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について言及されたことはほとんどないため,出現頻度第3位という結果は注目に値する.
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とは高さ70㎝程度の細長いポールのことであり,主に歩道への車の侵入や駐車場に出入りする車と歩行者との接触などを防ぐために,歩道と車道の接合部分や歩道上に設置されている.しかし,それが視覚障害者の移動の妨げとなってしまっている.
4. 歩車分離から歩車共存へ
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という物理的バリアが生じる背景には「歩車共存」という道路設計思想があり,そのことが問題の解決を難しくしている.
日本では1960年代にモータリゼーションが進み交通事故が頻発するようになったため「歩車分離」の思想が広まった.1970年に東京都が行った世論調査では回答者の多くが歩道と車道の分離を訴えている.道路は車の通行が優先され,ガードレールや歩道橋が多数設置された.これは歩行者に閉塞感をもたらしたとされている.しかし多様な価値観が承認される社会へと変化していくにつれ,次第に歩車分離から歩車共存へと道路設計思想が転換していく.それは東京都の交通政策に如実に表れている.1982年に東京都交通安全対策会議が発表した『東京都交通安全計画』では「人車分離を積極的に推進する」と述べられていたが,1996年の『第六次東京都交通安全計画』では一転して「コミュニティ道路や歩車共存道路等の面的整備」が目標として掲げられている.また,1998年の土木・建築系雑誌『日経コンストラクション』においても歩車共存に関する特集記事が掲載されている.こうした流れに沿う形で道路の敷設物も変化していった.1985年発行の土木学会編『街路の景観設計』では歩車共存策として
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が挙げられている.車の侵入を防ぎつつ歩行者が自由に道路を使用できるようにするために
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が重宝されるようになったのである.しかし,それは視覚障害者の物理的バリアの増加にも繋がってしまった.
事故防止策としてはゴム製にするという方法もあるが,それには問題がある.東京都内のある自治体担当者によれば,当該自治体ではかつてゴム製の
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に寄りかかった高齢者が転倒するという事故が起きて以来,
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の軟質化には躊躇があるとのことである.
以上のような問題は近年注目を集めているバリアフリー・コンフリクトの一種として位置づけられる.
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