「地方創生」が有する政策的な方針と制度的な効力、すなわち公的「実践」を伴う影響力はわずか2~3年のうちに圧倒的なものとなった。ここで、「地方創生」によって根源的に求められているのが「生き方」そのものの再構築であると認識するならば、「地方創生」を実践するにあたっては、「生き方」についての「現在の思想」と「これからの思想」を適切に大別した上で、弁証法的思考(Hegel)を連続的に重ねること、すなわち解釈学的循環(藤井;H. G. Gadamer;中野;M・ハイデガー)の連続が不可欠となる。そこで、本稿では地方創生の契機となった「地方消滅論」を起点とする議論において、特に批判的論考を中心に整理することを通じて、「地方消滅・地方創生論」における弁証法的思考の初期段階としての「現在の思想」と「これからの思想」がどのように見い出され、解釈されているのかを探ることとした。その結果、主な批判的論考における「現在の思想」は、「新自由主義的なもの、グローバリズム的なもの」であることは窺えるものの、特に批判的論考におけるこれらに対する「理解と解釈」(H. G. Gadamer)は不明瞭なものであり、同様に「これからの思想」についてもその思想的な立脚点は不明確であることが示唆された。つまり、地方消滅・地方創生論における批判的論考は、「生きる思想」を形成する上で不可欠な弁証法的思考におけるアンチテーゼ(Hegel)を提起するに至っておらず、それゆえ、地方消滅・地方創生論を巡る主たる議論においては、弁証法的止揚を通じた「より望ましい生き方への漸進」という「生の過程」が生じることは、理論的にありえないだろう、という結論が示された。
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