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クエリ検索: "FILM STARS"
14件中 1-14の結果を表示しています
  • Subhash C. Arya, Nirmala Agarwal
    Tropical Medicine and Health
    2014年 42 巻 2 号 93-94
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/07/12
    [早期公開] 公開日: 2014/04/03
    ジャーナル フリー HTML
  • 1950年代のスクリーンにおける観客の欲望モードの文化的変遷
    北村 匡平
    社会学評論
    2017年 68 巻 2 号 230-247
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/09/30
    ジャーナル フリー

    敗戦から1950年代にかけて, 大衆娯楽として最も隆盛していた映画は, 多くの国民的スターを輩出した. この時代のスターダムにおけるスターイメージの変遷とそれを価値づける言説に, 大衆の欲望モードの変化がみられるのが1955年頃である. 本稿は, 原節子と高峰三枝子に代表される占領期的な欲望を体現する‹理想化の時代›から, 1955年以降の若尾文子を代表とする‹日常性の時代›への推移を見取り図として, 映画スターに対する大衆の欲望モードの偏差を浮上させることを目的とする.

    この転換期, 大衆の集合的欲望を最も引き受けていたのは若尾文子であった. 超俗的な美貌をもった占領期のスター女優とは異なり, 若尾文子を価値づける言説は, 「庶民的」「親近感」「平凡」であり, 大衆の‹日常性›を体現するペルソナを呈示していたからこそ彼女はスターダムの頂点にのぼりつめることができた. 本稿は, 娯楽雑誌におけるスターの語られ方を分析することによって, 経済発展だけでは説明できない言説空間の変容を捉える. そこで見出されるのは, 占領期の‹理想化›された社会を象徴するスターへの反動として, 大衆文化を具現する‹日常›の体現者を称揚する言説構成である. スターを媒介にして自己を見つめ返すようなまなざしの構造が生成する1950年代中頃, 若尾文子は「平均的」であることによって大衆の‹日常性›を演じ, 若者の「リアリティ」を体現したのである.

  • 杉本 良男
    人文地理
    2004年 56 巻 6 号 603-614
    発行日: 2004/12/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
    本論文では, インド映画の特徴およびその文化的特性, 地域性, グローバル化の諸側面に注目する。まず, (1)インドのメガ・シティを舞台にした大衆演劇から娯楽映画への系譜, とくに, イギリス大衆演劇の影響を受けながら, インド神話・ペルシア神話を題材にとった大衆演劇の影響を直接受けた独立前のインド映画の状況について紹介する。つぎに, (2)インド映画の多言語性, 地域的多様性について, とくに, 20近い言語でつくられているインド映画の地域性と, とりわけ, 政治との関係が深かった南インドの政治的娯楽映画とナショナリズムとの関係について論じる。さらに, (3) グローバル化時代のインド映画について, とりわけ, 1990年代のインドの経済自由化以後, グローバル化の波に乗り, ハリウッドにも進出して世界を席巻しようとしているインド映画の現状と課題についてそれぞれ述べる。
  • Shii OKUNO, Kenkichi NAGAO, Peter J. RIMMER
    人文地理
    2004年 56 巻 6 号 560-564
    発行日: 2004/12/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 横濱 雄二
    日本文学
    2007年 56 巻 11 号 2-13
    発行日: 2007/11/10
    公開日: 2017/08/01
    ジャーナル フリー
    昭和二七年から二九年にかけての菊田一夫『君の名は』のブームについて、映画のキャンペーンとロケの三事例を検討する。主人公二人の全国行脚は、それを演じた俳優たちの現前に注目すると、同時期に行われた昭和天皇の戦後巡幸と寓喩的関係にあることがわかる。俳優という人格を通じて作品の内外を連絡することで、典型的なメロドラマに見える『君の名は』にも、戦後日本を枠づけるという意味で国民国家を強化する側面が見出される。
  • 平野 京子
    Iconics
    1987年 1 巻 193-208
    発行日: 1987/12/21
    公開日: 2019/05/22
    ジャーナル フリー
  • 菅野 優香
    映像学
    2020年 103 巻 15-21
    発行日: 2020/01/25
    公開日: 2020/02/25
    ジャーナル フリー
  • 北村 匡平
    マス・コミュニケーション研究
    2016年 88 巻 77-96
    発行日: 2016/01/31
    公開日: 2017/10/06
    ジャーナル フリー
    The aim of this paper is to align Kyo Machiko's performance style as a vamp actress with the history of Japanese cinema, and explore postwar public consciousness and desire through her star persona. The voluptuous Kyo Machiko made her film debut in 1949 and went on to become one of the leading actresses of the postwar generation. Her rise to stardom was closely related to many of her roles that embodied social phenomenon amid a trend for kasutori culture, in the sexually liberated climate following the Second World War. In contrast to the intense characters on screen, she portrayed herself as modest and graceful, which enabled her to convey multiple messages within the context of her fame. She depicted a dual-star persona as a result of the contrast between her vamp characters in films and her modest, feminine personality in fan magazines; accordingly, she gained fame as a star across generations. Through the 1950s, she appeared in works by some of the greatest Japanese filmmakers, which catapulted her to international stardom. She was sometimes referred to as "the Grand Prix actress." Following the success of Akira Kurosawa's Rashomon (1950), a growing tendency to promote Japanese cinema overseas emerged, eliciting the gaze of Orientalism from Western spectators. International stardom led to an even more complicated gaze on Kyo Machiko's body. Star/Celebrity studies have developed certain methodological frameworks since Richard Dyer's Stars. From a theoretical perspective, this paper focuses on the film star Kyo Machiko as a cultural text, and analyzes how fans or critics viewed both her cinematic persona, performing acts of violence on screen, and her own persona, which represented traditional Japanese imagery in fan magazines. This research concludes that Kyo Machiko's cinematic body became a national body and functioned as an esthetic vehicle, reflecting both the desire of a trans/national identity and the desire to localize her star image for Japanese spectators.
  • 野間 晴雄
    人文地理
    2013年 65 巻 3 号 199-214
    発行日: 2013年
    公開日: 2018/01/26
    ジャーナル フリー

    日本の地理学者によるアジア研究,とりわけ東アジアと東南アジアにおける1980年代以降の研究をある程度網羅的に紹介・展望する。とりわけ,グローバル化によって,人もモノもアジア各地を流動した時代である。研究者が直接現地にいき,その国の研究者との共同研究がさかん行われた30年であった。とりわけ中国やベトナムに関しては,大きく研究環境がかわり,総合的な学際的学術調査(科学研究費等による国際共同研究など)や個人などの調査も一定の手続きをふめば可能になった意義は大きい。それまでの文献を中心とした研究から,発展する中国の現状を都市・農村で把握しようとする研究が増えた。台頭する地域研究と人文地理学がどう対峙し,研究を進めてきたかの回顧と展望を試みる。国としてもアジア諸国の研究重視の流れがあり,それをうけて人文地理学会でもアジア地域研究部会が設立され,さまざまな活動を行ってきた。この流れを紹介しながら,新しい人文地理学のアジア研究の動向を環境・資源利用,ツーリズム,ポストコロニアリズム,地域間交流研究)などと,調査・分析手法の進化(GIS,GPS)を見通しながらレビューする。

  • Hara Setsuko in Contexts
    菅野 優香
    Iconics
    2010年 10 巻 97-118
    発行日: 2010/03/31
    公開日: 2019/08/07
    ジャーナル フリー
  • 映画・テレビ・ネット映像配信からみる垂直統合・分離政策、レイヤー間接続問題
    内山 隆
    情報通信政策研究
    2020年 3 巻 2 号 25-52
    発行日: 2020/03/30
    公開日: 2020/03/31
    ジャーナル フリー HTML

    他国の映像メディア産業同様、わが国も2010年前後に放送産業の垂直分離が政策として意図された。産業の垂直分離(市場化)にも垂直統合(組織化)にもそれぞれ合理性がある。考慮すべきことは究極の差別化された財である映像の成果リスクを垂直ステイクホルダーの間でどのようにシェアしたり担保するかである。そのリスク・シェアのために、分離されている場合は垂直的取引に様々なオプションを付ける商慣習がある。

    垂直分離され水平的に融合した各レイヤーの競争促進は、容易なレイヤーもあれば困難なものもある。各レイヤー内の競争状態は、垂直的取引における民間契約の交渉力を背後から規定し、レイヤー間の接続契約に影響をあたえ、結果として社会的最適にも影響する。分離されたレイヤー間、セクター間の接続に関する政策的な議論は公益事業各分野で多く、映像分野においてもレイヤーの区切り方と接続問題は同時に考慮する必要がある。長期的には、市場競争自体が自律的にレイヤーを形成するダイナミズムが尊重されるべきで、政策がダイナミズムの基礎を形成することを意識していることは価値がある。

  • 占領期における原節子のスターペルソナ
    北村 匡平
    映像学
    2016年 96 巻 68-88
    発行日: 2016/07/25
    公開日: 2016/08/19
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     本稿の目的は、占領期のスターダムのなかでなぜ原節子の価値が最も高まり、どのような大衆の欲望によって彼女のペルソナが構築されたのかを、敗戦後の社会・文化的条件に即して実証的に明らかにすることにある。これまでスターを対象とする研究は映画の表象に傾斜した分析が多かったが、スター研究の視座から、スターを取り巻く言説、とりわけファン雑誌におけるイメージやテクストと映画との関係を重視し、複数のメディア・テクストにおける原節子の個性的アイデンティティ構築が、占領期のジェンダー・セクシュアリティ規範のなかでいかなる価値を形成していたのかを探究する。

     原節子は、敗戦後に求められる理想的な女性像としての「理知的」で「意志」の強い主体的なイメージを戦中から準備し、戦前と戦後の連続性を引き受けることで、占領期に最も人気の高いスターとなった。彼女の映画のパフォーマンスと、雑誌のパーソナリティに通底する他者の身体から「離れている」ペルソナは、日本女性の身体をめぐるアメリカと日本の占領の言説において、文化的価値を高めることになった。彼女は戦後に現れた敗戦の歴史的トラウマを喚起するパンパンなどの「敗者の身体」とは決して重なることない〈離接的身体〉としての理想的ペルソナを言説によって構築していたのである。本稿では、占領期という歴史的コンテクストのなかで原節子がいかに価値づけされ、欲望されているのかを分析し、アメリカへの抵抗を可能にする原節子のスターペルソナを通して大衆の戦後意識を解明する。

  • *雑賀 広海
    日本映画学会大会報告集
    2015年 11 巻
    発行日: 2015/12/05
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 オープンアクセス
  • *久保 豊
    日本映画学会大会報告集
    2015年 11 巻
    発行日: 2015/12/05
    公開日: 2024/03/25
    会議録・要旨集 オープンアクセス
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