抄録
十二神将は薬師如来の眷属で、日本では十二支と習合して昼夜十二時や生まれ年の守護神ともされたが、あくまで薬師如来の補佐役にとどまり、十二神将そのものに対する信仰はほとんど生まれなかった。そんな中、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に語られる北条義時にかかわる「戌神霊験譚」では珍しく十二神将自体が重要な役割を演じている。
鎌倉幕府第二代執権北条義時(以下義時)は承久の乱鎮圧の立役者であり、その後の北条氏独裁体制の礎を築いた人物として名高く、本年のNHK大河ドラマの主人公ともなっている。戌神霊験譚は義時が自ら造像した十二神将中の一体に危うい所を救われる話だが、それに因んで創案されたと思われる特異な像容を示す戌神の十二神将像が相模国周辺に相当数遺存している。これは義時創建の鎌倉大倉薬師堂に安置された十二神将像に範を取ったものと推定され「大倉薬師堂様」の呼称が定着つつある。
ここでは千葉県富津市東明寺で新たに確認された大倉薬師堂様の十二神将像(以下東明寺像)を報告しつつ、他例との比較の中でその特徴を明らかにし、義時の戌神霊験譚を反映した大倉薬師堂様十二神将の成立の時期や経緯を考えてみたい。