アジア民族造形学会誌
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18 巻, 01 号
アジア民族造形学会誌 第18号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • シュレスタ マニタ
    2022 年 18 巻 01 号 p. 3-11
    発行日: 2022/08/27
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    <はじめに> ネパールの内発的発展を考えるとき、女性を発展の担い手として位置づけ、ジェンダー問題の改善をめざす視点は必要不可欠であろう。なぜならば、家庭や地域で様々な役割を担っている多くの女性たちが男性や社会の支配の下で色々な問題を抱えながら日常生活を送っている。地域社会の一員である女性たちが抱えている問題を解決せずに、地域の発展は不可能になるからである。例えば、ネパールの農村部では女性たちは毎日のように森林に入って薪や草の採取をしているため、森林保全に重要な役割を果たしていると言われている。その女性たちに日常生活と森林保全の関係性について知識を与えない限り、森林保全が困難である。 現在では、ネパールの発展のため、技術の導入とともに、地域住民の環境に対する知識向上、意識の変容、価値観の見直しなどに向けて様々な取り組みが行われている。特に、地域住民が主体的・積極的に地域の環境問題への対応力を身につけることは重要であると考えられており、政府、NGO・NPOなどのステークホルダーによる環境問題に関するプログラムや研修が積極的に実施されている。しかし、男女差別によるジェンダー問題が根強く残っており、女性の参加には力がそれほど注がれていない。また、環境問題を取り上げる際に女性たちの問題に配慮していないことが多い。 環境問題への興味関心の内容が男性と女性とでは異なること、その背景には、それぞれが生活面で担っている役割の違いがあることなどが指摘されている(Gough 2013)。しかし、男女の違いを意識した研究は、これまでの環境教育研究では管見の限りみることはできない。したがって、本研究は、こうした課題を明確化するものである。 環境とジェンダーの因果関係を理解し、問題を解決していくためには、日常生活を中心に女性たちの生活改善、地位向上、エンパワーメントなどのジェンダー視点を含めた環境教育、すなわち「生活に根ざした」環境教育を行う必要がある。しかし、現在行われている環境教育は自然環境に特化しており、こうした生活面が薄く、ジェンダー視点が余り含まれていないため、従来型環境教育だけで問題を解決するには限界がある。
    Editor's pick

  • バンダリ ネハ, シュレスタ マニタ
    2022 年 18 巻 01 号 p. 12-20
    発行日: 2022/08/27
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    サミャク・マハダン・フェスティバルは、ネパールのカトマンズ盆地で祝われる仏教の祭典であり、最も壮観なニューアー仏教の伝統で仏と僧侶に与える習慣を祝われる。カトマンズ盆地で最初に記録されたサミャク祭は西暦1015年(ネパールの太陰暦では135年)に開催され、カトマンズでは12年に一度、ラリトプルでは5年に一度、バクタプルでは毎年観察されている。「サミャク・マハダン・フェスティバル」は1805年まで毎年ラリトプルのパタン、ナグバハルで祝われていたが、開催に膨大な費用が掛かるため、「サミャク・グティ」により5年に一度開催することになった。 「サミャク・マハダン・フェスティバル」の主な主催者は仏教徒であり、全体を主導している。一方、ディパンカラ仏を歓迎しながらマントラ唱えるのはヒンズー教徒の役目である。仏教徒とヒンズー教徒の両方が祭りの期間中、神々への崇拝と供物に参加するのである。様々なカーストの人々も特別な責任を果たすのである。つまり、「サミャク・マハダン・フェスティバル」は、宗教的差別やカースト的差別がないものである。
    Editor's pick

  • 濱名 徳順
    2022 年 18 巻 01 号 p. 21-43
    発行日: 2022/08/27
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    十二神将は薬師如来の眷属で、日本では十二支と習合して昼夜十二時や生まれ年の守護神ともされたが、あくまで薬師如来の補佐役にとどまり、十二神将そのものに対する信仰はほとんど生まれなかった。そんな中、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に語られる北条義時にかかわる「戌神霊験譚」では珍しく十二神将自体が重要な役割を演じている。 鎌倉幕府第二代執権北条義時(以下義時)は承久の乱鎮圧の立役者であり、その後の北条氏独裁体制の礎を築いた人物として名高く、本年のNHK大河ドラマの主人公ともなっている。戌神霊験譚は義時が自ら造像した十二神将中の一体に危うい所を救われる話だが、それに因んで創案されたと思われる特異な像容を示す戌神の十二神将像が相模国周辺に相当数遺存している。これは義時創建の鎌倉大倉薬師堂に安置された十二神将像に範を取ったものと推定され「大倉薬師堂様」の呼称が定着つつある。 ここでは千葉県富津市東明寺で新たに確認された大倉薬師堂様の十二神将像(以下東明寺像)を報告しつつ、他例との比較の中でその特徴を明らかにし、義時の戌神霊験譚を反映した大倉薬師堂様十二神将の成立の時期や経緯を考えてみたい。
    Editor's pick

  • 髙津 久仁枝
    2022 年 18 巻 01 号 p. 44-54
    発行日: 2022/08/27
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    <はじめに> わたくしは一山の墨蹟と禅宗史に関わってこれまでよりより立体的な一山像と日本禅宗史全体の中で一山が日本に与えた影響で何か提言することはできないかと思いそれを目的に研究をすすめている。その方法としては一山の年譜と墨蹟表をつくり、そして日本禅宗史とのつながり、また一山がどのような人とかかわりがありそれが墨蹟にどのように反映しているかなどを今後の課題として研究をしてゆきたい。 また最終的には一山の墨蹟の書法について論究することができたらと思っている。 一山一寧( 1247~1317)の行状を知るうえで最も基本的な史料として考えられるのは次であろう。 これまでの研究で今わかる範囲では、伝一山一寧墨蹟といわれるものは90種以上あることがわかってきた。それを指定、時代、歳、所蔵、形状、法量、品質、出典がわかりやすい墨蹟表を作りそれを基にして一山の紀年のない墨蹟をも一つひとつ入れるとともに、年譜の中には紀年のわかっている墨蹟を落とし込んでいく作業を行っている。今回は紀年のある一山の墨蹟を年代順に紹介したいと思う。
  • 前島 美江
    2022 年 18 巻 01 号 p. 56-63
    発行日: 2022/08/27
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    本研究は、ブルーノ・タウト氏が昭和初期に来日した際に高崎市で制作された工芸品「タウトの竹編み」に焦点を当て、タウト氏の思想を探ることを目的としています。 残された「タウトの竹編み」工芸品やデザイン、関係者への調査などからタウトの哲学を解明します。 まず、タウト氏を招聘した当時の高崎市の状況を明らかにする。 続いて、高崎の工芸運動と「タウトの竹編み」、「タウトの竹編み」の革新、高崎のバウハウスを目指す地域の工芸運動、日本の気候と「タウトの竹編み」の関係などの内容を追う。 本研究の課題は、来日後のタウトのアジアへの憧れと日本文化を理解することにより、「タウトの竹編み」を通じた哲学の深化を明らかにすることである。
  • 水野 通雄
    2022 年 18 巻 01 号 p. 64-65
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    <研究ノート> 一見して、インカ・アステカの戦士のように見えるこの人物像は調べていくと、なんと東洋の遺物であり、お隣の朝鮮半島の出土物であることを知らされた。朝鮮の三国時代5世紀にさかのぼり、同様の遺物が半島東部の新羅の古墳から多く出土されている。668年、大国であった高句麗は唐と新羅の連合軍によって滅亡し、新羅が半島を統一した。 この収蔵品は統一新羅の頃とされ、祈祷の際の水差しとして使われたとされる。同様の遺物が韓国の国立中央博物館、慶州博物館に所蔵されており、前者は国宝91号に指定されている。 収蔵品は馬の頭部に一角獣のような角があり、鞍に跨った戦士が鐙に足をかけている。ハーネスがめぐらされた馬体の胸のあたりには水を注ぐ長いくちばしがあり、左右に馬鈴がある。人物の後ろに漏斗があり、そこから水を注ぐと、長いくちばしから水が出るようになっている。祈祷の際、死者があの世へ導くために水かけをしていたのであろう。
  • ~農村文化から学ぶべきもの~
    中村 石浄
    2022 年 18 巻 01 号 p. 66-69
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/01/13
    ジャーナル オープンアクセス
    <研究ノート> 長野県は日本列島のほぼ中央に位置し、私の住む松本市はその中心にある城下町である。海のない山国である。従って、いくつもの盆地に集落が生まれ、そこには、それぞれの農村風景があった。しかし、この50年で特色ある村も民家も現代風に変貌してしまった。 今から10年ほど前韓国を旅してみて、ソウル等の都市は日本同様に近代的建物になっているが郊外から田舎の方へ行くとまだ昔ながらの民家をみることができる。更に、民俗村に行けば見事に在りし日の農村文化を知ることができる。韓国の伝統的な文化を守る姿勢には学ぶものがある。日本では、この点で考えなければならないこれからの課題である。今回韓国に残る民家のスケッチを通して農村文化の在り方や、その良さに気付くことができた。
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