抄録
吹上浜砂丘南部の万之瀬川低地は, 九州島西回りの海上交流の拠点として注目されている. 臨海部の砂丘地帯背後の低地は, 縄文海進最盛期以降広い潟湖となっていたが, その後の埋積過程の違いを反映し, 北半部には泥炭の分布する湿地がひろがり, 南半部では自然堤防の発達が顕著である. 北側の泥炭層中に見いだされた開聞岳テフラおよび貝塚分布から, 縄文時代晩期には潟湖がかなり縮小していたとみられる. 南側の自然堤防上には, 初現年代が上流から下流にかけて順次新しくなる4つの遺跡が配列しており, 潟湖から氾濫源への移行過程において自然堤防の形成に伴い人間が時間間隙をおかずに低地に進出してきたことが読みとれる. ここでの縄文時代前期∼中世の低地利用は, 沿岸環境の変化に対応しながら, 潟港ないし河口港を核として展開されたと考えられる.