抄録
1. はじめに
本研究の目的は,CORONA偵察衛星写真の解析から,その存在が明らかとなった高ヒマラヤ山脈を横切る活断層(ヤリ断層)の変位様式及び,地形面のOSL(光励起ルミネッセンス)年代に基づく第四紀後半のスリップレートを解明することである.
ヤリ断層は,チベット南西縁をかぎるカラコルム断層と,ネパールヒマラヤ西部において低ヒマラヤから主中央スラストに沿って発達する雁行性の活断層系(Nakata, 1982)とをつなぐ位置にあたる.近年,カラコルム断層をガイドレールとするチベット地塊の東アジア側への押し出し(extrusion)モデル(Peltzer and Tapponnier, 1988)に対して,スリップレートや断層の南延長の面でこのモデルと調和しないデータが報告され(Ratschbacher et al., 1994; Searle, 1996; Murphy et al., 2002),チベット南縁のアクティブテクトニクスの解釈を巡る議論が盛んである.ただし,これらの議論は,主に第三系堆積岩などのやや古い地層を基準として変位様式やスリップレートが推定され,アクティブテクトニクスであるかどうかは定かではない.また,カラコラム断層の南への延長についてもヒマラヤ山脈までを視野に入れた研究はほとんどない.
2.ヤリ断層の変位様式
ヤリ断層は,主中央スラスト沿いの活断層から高ヒマラヤを横切り,北西-南東の走向でネパール・中国国境まで,少なくとも長さ約50kmにわたって連続する.断層に沿って,扇状地や河成段丘面上で逆向き低断層崖や,河谷の右横ずれ屈曲が認められる.中国領内では,カラコルム断層の南東端と,南北走向のブラン地溝帯を介して連続する.ブラン地溝帯は共に右横ずれ変位をもつカラコルム断層とヤリ断層に挟まれることから,プルアパート・ベイズンと解釈できる.
ヤリ断層中央部にあたるパニパルバンでは,断層崖の直下に露頭が露出し,湖成堆積物と扇状地堆積物が断層で接する.この露頭では,断層に沿って砂礫層中の礫が断層に向かって直立している.また湖成堆積物中にも副次的な断層がいくつか認められ,断層と断層の間の地層は上方へ凸な変形をしている.主断層の走向傾斜はN48°W/73°Nである.この地層のOSL年代は後述するように23-29kaを示しており,この断層は活断層といえる.また,断層面にそって直立した礫の表面に断層変位によって生じた擦痕が認められた.断層面上で水平に対して約10°斜め上にすれており,垂直変位よりも右横ずれ変位が卓越する.
3.ヤリ断層のスリップレート
パニパルバンにおける上部更新統は,下部から河川性堆積層,層厚12-14mのシルト~粘土からなる湖成堆積物と,地形面を構成する層厚約20mの扇状地性の段丘堆積物からなる.OSL年代測定によると,湖成堆積物から23ka,25ka, 29kaの年代値が得られ,扇状地性の段丘堆積物からは12.6±5kaの年代値が得られた.この年代値に基づくと,湖成堆積物は最終氷期最盛期に堆積し,扇状地性段丘堆積物は,氷河後退の過程で形成される融氷河性起源のものであろう.
扇状地性段丘面を変位基準とすると,面形成後,垂直変位約20m,水平変位約100mの断層変位が生じている.変位量と扇状地性段丘堆積物のOSL年代から単純にスリップレートを見積もると,垂直1.1~2.6 mm/yr,水平5.6~13.2 mm/yrとなる.段丘面の離水時期が構成層の堆積年代より新しいことや,低下側が山側にあたり段丘崖の基部が二次的な地層に埋積されやすいため,断層変位量が過小評価されることを考えると,本断層はA級以上の活動度をもつことは確実である.
ただし,段丘堆積層の年代には誤差が大きいことを考えると,比較的安定した年代測定値を得た湖成堆積物の年代とその垂直変位(36m)をもとに垂直変位のスリップレートを求めると1.5mm/yrの値が得られる.スリップレートが後期更新世においてはほぼ一定とみなすと,1.5mm/yrの活断層が約20mの垂直変位を形成するのにかかる期間は13ka程度と見積もられ,地形面の年代(13ka)と水平変位量100mから,横ずれ変位のスリップレートは7.7mm/yr.と推定される.
4. アクティブテクトニクス上の意義
最近求められたカラコルム断層のスリップレートは,10mm/yr(Chevalier., 2005)や4mm/yr程度(Brown et al., 2002)とされるなど,定説をみない.しかし,両者とも本研究で得られたヤリ断層のスリップレートとオーダーでは同じである.従って,カラコルム断層の変位の大部分がヤリ断層に伝播し,さらにはヒマラヤ山地内にも及んでいることが,断層配置やスリップレートの点から推定される.