1.問題の所在
地理学における近現代都市社会史研究では、スラムや「不法占拠」地区を対象として、都市空間を誰が使うのか、という「空間の政治」の問題が議論されてきた(加藤 2002; 本岡 2019)。しかし、その空間を「いつ使うのか」という時間的側面は十分に意識されてこなかった。そこで本研究では、近代東京における露店を事例として、Lefebvre(2004)が論じるような「リズム」に着目しつつ、都市空間における「時間の政治」について検討する。
2.東京における露店のバワリ
近代都市において、露店は庶民が日用生活品を購入する場であるとともに、都市下層民にとっての生業の一つでもあった。東京の露店は、特定の日に開かれる縁日市(図1)と毎日開かれる平日市に分かれる。明治期には数度の露店撤廃令が出されたが、関東大震災と昭和恐慌には被災者・失業者による露店が多く出された。東京の露店はテキヤ組織によって管理されており、「親分」が店舗の配置を差配していた。露店市の店舗配置には、バワリ(店舗配置の決定)の時間を市ごとにずらしたり、数日ごとに配置を入れ替えたりといった、時間的な調整のシステムが存在した。昭和恐慌後には、警察や商業組合によってより平等なバワリの導入が試みられたが、次第に親分によるバワリが復活する傾向にあった。
3.東京の露店と「夜」
露店は、24時間周期の昼/夜もしくは1月ないし1年周期の縁日というリズムに沿って出店される。近代東京においては、多くの縁日市が新たに開設される一方で、干支に基づく市は相対的に数が少なくなっていた。縁日市の市日は必ずしも社寺の祭神・本尊と関わりの深い日に設定されるわけではなく、周囲の社寺の市日を勘案しながら設定されていたと考えられる。また、露店は夜に開かれることが多く、苦学生の副業、あるいは夜業の人力車夫が腹を満たす場になっていた。露店のかき入れ時は深夜であることから、明治期に警察から深夜営業を規制された際には、露店商たちは団結して抵抗した。 近代東京において、最も多くの露店が集まっていたのは浅草である。浅草の露店は常設店舗との競合を避けるように、早朝や夜に開かれていた。大正期に警察による露店排除が行われた際には、常設店でも営業している露店商と、露店専門の商人とがそれぞれ別の方向性で運動を行った。
4.おわりに
このように、近代東京の露店にはさまざまなリズムが存在し、それを調整するシステムが存在した。警察はしばしば露店に介入しようとし、それに対して露店商たちが団結して抵抗することもあったが、利害の食い違いから団結に至らない例もあった。そしてその利害対立の背景には、営業リズムの違いが存在した。公共空間における商業である露店にはこのような「時間の政治」があったのであり、それを分析する上ではリズムに着目することが有効である。