抄録
【はじめに、目的】 自身で認識している身体能力と実際の身体能力との誤差は「自己身体能力の認識誤差(以下認識誤差)」を示す指標と考えられ,脳卒中片麻痺者の転倒経験に関連すると報告されている.しかし認識誤差において,麻痺側と非麻痺側を比較し,さらに運動障害や感覚障害の程度による影響を検討した報告は少ない.そこで本研究は,脳卒中片麻痺者を対象に,転倒が起こりうると考えられる「物に手を伸ばす」,「障害物を跨ぐ」といった動作における認識誤差を算出し,麻痺側と非麻痺側との違い,運動障害や感覚障害の程度による影響を明らかにする事を目的とした.【方法】 対象は地域在住脳卒中片麻痺者26名(平均69.5±5.9歳,男性15名,女性11名,平均罹患日数1259±790日)であった.取り込み基準として,Mini-mental state examinationが24点以上,屋内歩行が自立または監視レベルとした. 用いた課題動作は,「Functional Reach Test(以下FRT)」,一側下肢を出来るだけ大きく前方に踏み出した時の両足尖間の距離を測定する「最大1歩幅(以下歩幅)」,自作のバー(高さ4~100cm)に対して先行肢のみ跨げる最高の高さを測定する「跨ぎ」の3課題であった.なお,FRTを両側行えた者は19名であった. 測定順序は,課題について説明を行い,次に課題において対象者が認識している身体能力を予測して頂き,この値を予測値とした.続いて,実際の遂行能力を測定し,実測値とした.測定回数は跨ぎの実測値のみ1回とし,それ以外は各2回計測し,平均値を代表値とした. 認識誤差の算出方法として,認識誤差の傾向を評価する予測値と実測値との差,認識誤差の大きさを評価する差の絶対値の2指標を用いた. 認識誤差の運動・感覚障害の程度による影響の検討では, Brunnstrom Recovery Stageの下肢が5以上を運動障害軽度群(全課題において14名)として,4低下を運動障害重度群(FRT麻痺側が5名,それ以外は12名)として群分けした.またStroke Impairment Assessment Setの下肢触覚・位置覚の合計点数が5点以上を感覚障害軽度群(FRT麻痺側11名,それ以外は12名)として,4点以下を感覚障害軽度群(FRT麻痺側8名,それ以下は14名)として群分けした. 統計処理は,麻痺側と非麻痺側の比較として,対応のあるt検定またはWilcoxonの符号付順位検定を行った.運動・感覚障害の程度による影響の検討として,t検定またはMann-Whitney検定を行った.【倫理的配慮、説明と同意】 前橋協立病院倫理委員会の承認を得た後,対象者に対して書面にて研究の説明を行い,署名にて同意を得た.【結果】 麻痺側と非麻痺側との比較では,予測値が全課題において有意差が認められ,非麻痺側がより大きかった(p<0.05).実測値はFRT,跨ぎにおいて有意差が認められ,非麻痺側がより大きかった(p<0.05).認識誤差の差と絶対値は,全課題で有意差が認められなかった. 運動障害の2群間比較では,予測値がFRTの非麻痺側,歩幅の非麻痺側,跨ぎの麻痺側と非麻痺側において有意差が認められ,重度群がより小さかった(p<0.05).実測値は,FRTの非麻痺側,跨ぎの麻痺側と非麻痺側において有意差が認められ,重度群がより小さかった(p<0.05).認識誤差は歩幅の非麻痺側の絶対値において有意差が認められ,重度群がより大きかった(p<0.05). 感覚障害の2群間比較では,予測値と実測値,認識誤差の差と絶対値において,全課題で有意差は認められなかった.【考察】 行為の前の準備である運動イメージは過去の運動経験をワーキングメモリーに移し,それらのイメージは維持・更新される.自己の身体能力を予測する際にも,課題に対する運動イメージを想起していると考えられる.認識誤差は,麻痺側と非麻痺側との間に有意差が認められなかったことから,身体機能に関わらず,運動イメージを想起する脳機能と関連がある事が示唆された. 運動障害が重度の者は,非麻痺側の歩幅の認識誤差が大きく,課題特異性が認められた.運動障害が重度の者は,日常的に非麻痺側を前方に大きく踏み出す機会が少なく,運動イメージを維持・更新する事が困難であったと考えられた.FRTが要求する姿勢制御は支持基底面内であり、運動障害の程度に関わらず経験しやすく,一方で跨ぎは長く片足立ちをとり,立位や平地歩行と比べて高度であり(山本1994),運動障害の程度に関わらず経験が困難な課題であったことが考えられた.【理学療法学研究としての意義】 森岡(2003)は運動の予測と結果を比較照合することが,運動の予測的制御を築き上げると述べており,転倒予防に繋がっていくと考えられる.今後は認識誤差の経時的変化や,転倒との関連性を縦断的に検討していく事で,転倒予測や運動学習過程の評価指標として認識誤差を用いる事が出来るのではと考えられる.