抄録
【はじめに、目的】高齢者の転倒予防やスポーツ障害後,障害予防などに,神経運動器の協調性を高め,関節を動的に制動する目的でバランスボードを用いた運動療法が取り入れられている.また神経栄養因子は,神経の生存や分化,維持に働く蛋白である.その中でもグリア細胞株由来栄養因子Glial cell line-derived neurotrophic factor (以下 GDNF)は,シュワン細胞,アストロサイト,運動神経細胞などに存在し,神経細胞の生存,分化,維持に重要な役割を果たしている.適度な運動を行うと,脳内での神経栄養因子の放出が高まり,その結果,神経伝達物質の放出やシナプス活動も高まることで,脳機能の維持,促進に関係していると考えられているが,脊髄神経への影響は不明である.本研究では,ラット腰髄におけるGDNF,その受容体である受容体チロシンキナーゼRET,GDNF family receptor α(以下,GFRα1 とGRFα2)mRNA発現量に対するバランス運動の影響を検討することを目的とした.【方法】Wistar系雄性ラット22 匹を対象とし,バランス運動群と非運動群はランダムに分けた(老齢運動群6 匹,老齢非運動群6 匹, 成体運動群5 匹,成体非運動群5 匹).運動群は,自家作製した外乱刺激装置(傾斜角± 7 0 ,振盪回旋数25 rpm)上で1 日1 時間,4 週間運動を負荷した.すべてのラットにおいて,餌や給水は自由に摂取させた.実験終了後,4%パラホルムアルデヒドで灌流固定後脊髄(L3 −5)を摘出し,OCTコンパウンドで凍結包埋した.脊髄をクリオスタットにて薄切後,RNeasy FFPE Kit (キアゲン)にて, total RNAを抽出した.逆転写反応により作成したcDNAを鋳型とし,リアルタイムPCR法(比較Ct法)にて発現量を検討した.ターゲット遺伝子はGDNF,RET GFRα1,GFRα2,内部標準遺伝子は,beta actinを用いた.各群のmRNA発現量を比較するために一元配置分散分析を用い,下位検定にはScheffe法による多重比較を用いた.有意水準は5%未満とした.【倫理的配慮、説明と同意】本実験は,大学動物実験倫理審査委員会の承認を得て行った.【結果】各群においてGDNFmRNAの発現を認めなかった.成体非運動群のmRNA発現量を1とすると,GFRα1は,老齢運動群1.1倍,老齢非運動群0.6 倍,成体運動群1.5 倍の発現量で,老齢運動群は,成体非運動群と比較して増加した(P<0.05).GFR α2 は,老齢運動群1.6 倍,老齢非運動群0.6 倍,成体運動群4.1 倍の発現量で,老齢運動群は老齢非運動群と比較して有意に発現量が増加し(P<0.05)し,成体運動群は,老齢非運動群と比較して有意に発現量が増加した(P<0.01).RETは,老齢運動群0.9 倍,老齢非運動群0.7 倍,成体運動群1.8 倍の発現量で,統計的に有意な差を認めなかった【考察】本研究では,ラット脊髄におけるGDNFとその受容体であるRET,GFRα1,GFRα2 mRNA発現量に対するバランス運動の影響を比較した.GDNFファミリー受容体は,RETとGFRαの受容体複合体によって構成される.RET単体でのGDNFへの結合はほとんどないか,非常に少ない.RETとGFRαが複合的に結合しリン酸化され,シグナル伝達が行われる.本研究では,脊髄内でGDNFmRNAの発現を認めなかった.脊髄運動ニューロンにRET-GFRα受容体複合体が存在し,神経支配されている標的組織の筋内でGDNFが高発現することから,GDNFは筋からの逆行性輸送により運動ニューロンに作用すると推察された.GFRα1 とGFRα2 は,老齢期に対し,バランス運動により,選択的に神経栄養因子受容体mRNA発現がアップレギュレートされる結果となった.また老齢期と成体期では,運動により受容体mRNAの発現様式に違いがみられた.Ulfhakeらは,老齢期の神経生存に関わる因子はBDNF-TrkBからGDNF-RETへ移行すると報告しているが,本研究においても同様の結果となった.今後は運動介入における時間,頻度,運動強度などの違いにより,蛋白産生量や他の神経栄養因子mRNAの発現にどのように影響を及ぼしているのか,脊髄における発現の局在性の有無について組織学的に検討する必要がある.【理学療法学研究としての意義】バランス運動により脊髄内神経機能が変化し,週齢による発現の違いが示唆された.神経生存に作用する因子の影響を多面的に解析する事により,神経可塑性に対するバランス運動の効果を明らかにできる可能性がある.