ジャーナル「集団力学」
Online ISSN : 2185-4718
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日本語論文(英語抄録付)
祭りを支える人々
博多祇園山笠の事例
日比野 愛子杉万 俊夫
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2011 年 28 巻 p. 42-65

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抄録

 本研究は、人口減少の中、いかにして伝統的な祭りを維持するかを考えるために、福岡市博多部で鎌倉期から続いている博多祇園山笠(以下、山笠)を事例に、山笠がいかなる人々によって支えられているかを調査、分析したものである。山笠は、7つの流(ながれ:一つの流は約600~1000人で構成)によって行われ、流ごとに重さ約1トンの山(大きな神輿)を担ぎ、ゴールまでの時間を競う。昔から山笠は地元(博多部)の住民によって行われてきたが、博多部の1970年代以降の人口減少により、地元住民だけで維持することが困難になった。こうした苦難の時代を乗り越え、現在でも、福岡の夏を彩る代表的な祭りとして大々的に営まれている。本研究では、2009年に実施した質問紙調査の結果を中心に、山笠がどのような人々によって営まれているかを検討した。具体的には、山笠を構成する7つの流の一つ、土居流で現場研究を実施し、「いかなる人たちがどこから集まってきているか」を調査した。
 調査の結果、土居流の参加者は、地元住民が2割、残る8割は地元外からの参加者であった。他の流では地元住民の比率が大きいところもあるが、いずれの流を見ても、山笠は実質的に福岡市の祭りになっていることが確認された。ただし、山笠の中核メンバーは、地元住民であり、地元住民を抜きに山笠は存在しえない。子どもの頃から自然に参加してきた地元住民にとって、山笠は、自らの生きがいになっていた。同時に、現在の山笠は、地元以外からの多数の参加者にも支えられている。山笠ならではの人間関係や達成感は、地元以外の参加者にとって大きな魅力となっていた。地元以外の参加者の中には、地元の人と同様の重要な役職についている人も少なくない。山を担ぐ重要な役割についても、地元の人と分担し合っていた。
 山笠を維持するには、地元住民の関与を持続するのはもちろんだが、他方では、さらに地元以外の人々を巻き込んでいくことが必要と思われる。本研究では、その基礎資料として、地元以外の参加者が、「どのようなきっかけで、いつごろから」参加し始めたのかを分析した。その結果、地元以外の参加者の約6割は、知人から依頼される(誘われる)か、あるいは、自ら申し込んで、「ここ10年以内」に参加し始めた人たちであることが見出された。大まかなイメージとして、「数年前から参加し始めた20、30歳代の人」というのが、地元以外の参加者の6割を代表するイメージと言える。言いかえれば、「つい最近」参加し始めたばかりの若い人たちというイメージである。
 山笠には、直接的な運営を担う人たちを中核にしつつ、多様な立場の人々が携わる重層的な構造が形成されており、こうした重層性が山笠の活気を支えていると考えられる。今後の山笠の継続には、人口構成の変化に伴い、山笠運営の仕組みをどのように再調整していくかが鍵となるだろう。

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© 2011 財団法人 集団力学研究所
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