抄録
序論:本稿は明治時代の大分県における薬学の近代化導入過程の解明を目的としている.筆者は過去に大分県の薬学史について複数の報告を行っている.本稿では 1899 年から 1911 年にかけて大分県立病院薬剤部長を務めた星田千代雄を調査した.
方法:次の資料の文献調査「薬学雑誌」「薬剤誌」等.結果と考察:星田は 1786 年に愛知県で士族として出生した後すぐに静岡県に転居した.1896 年から 1899 年まで東京薬学校(現:東京薬科大学)並びに模範薬局(現:東京大学医学部附属病院薬剤部)に所属し常にトップの成績を収めていた.その後 1899 年に大分県立病院薬剤部長に就任した.彼は大分県立病院薬局の業務を改革し,その結果大分県内の広い地域の薬局で近代的な医薬品を取り扱うことが可能となった.彼は県立師範学校,県立女学校,病院併設の産婆学校で科学の講義も担当した.さらには「薬学雑誌」(1907,1908)にも薬学に関する複数の論文を投稿した.星田が 1911 年に 36 歳で亡くなった際には,薬剤師や彼と交流のあった大分県の関係者が彼の死を悼み,また彼の功績を偲んだ.