抄録
本稿は,女性たちが歴史的に担ってきた営みと,その社会のなかでの位
置づけゆえに引き起こされる葛藤から見いだされた「ケアの倫理」を出発
点としながら,ケアの倫理と福祉社会学との架橋のための一歩を踏み出し
てみたい. とはいえ,福祉社会学を専門とするわけではない筆者は福
祉(広義には「より良い暮らし」という理想概念)」に対して社会学的に
アプローチするという福祉社会学の定義に即しつつ, 〈単に生きることで
はなく,善く生きることとはなにか〉という問いに単を発する政治思想史
の分野から「ケアの倫理」を読み解くことで,福祉社会学との接点を見
出したいと考えている.
ケアの倫理は,ホモ・エコノミクスや合理的存在として期待される市
民像,そして契約や交換によって織り成されていると考えられる社会像に
対していかなる代替案を提供しうるのか.まずは,中絶の議論から始まっ
たケアの倫理が示す相互依存的な人間存在のあり様の政治的インプリケー
ションと暴力の問題から論じ,契約社会を超えた社会をケアの倫理が目指
していることを明らかにする.ケア関係が要請する公的な倫理こそがケア
の倫理であると論じることで, 〈善く生きる〉ことを理念とする社会にお
ける福祉の実現にとって,ケアの倫理が果たす役割もまた示されるであろ
う.