2017 年 8 巻 3 号 p. 120-130
本稿は,20世紀初頭日本において国家レベルの社会政策が構想化される際,保育事業がどのように位置づけられたのか,また,これに関与した社会事業家の影響を明らかにする。 方法として『救済事業調査要項』(1911年)に関する文献調査を実施した。その結果,育児事業,幼児保育事業,児童虐待予防事業,貧児教育の概要が明らかになった。そこで,児童保護事業に占める保育事業の位置づけと内務省嘱託の影響を分析し,考察した。 結論として,第1に保育事業が「育児事業の病的膨張」の是正策として有望視され,経費節減と貧児の家庭養育を実現する「一挙両得の策」に位置づけられていた。第2に内務省嘱託・生江孝之が『要項』の幼児保育事業を執筆したと推察すれば,神戸市における一社会事業嘱託/社会事業家としての保育事業経験や欧米の知見が国家レベルの社会政策構想に反映されていったものと考えられる。