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クエリ検索: "えびす講"
31件中 1-20の結果を表示しています
  • −地域性豊かな四季折々の行事の食−
    *中澤 弥子, 吉岡 由美, 高崎 禎子, 小木曽 加奈, 小川 晶子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2021年 32 巻 P-k18
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/07
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    【目的】長野県の家庭料理の特徴を探ることを目的として、行事食について分析した。本発表では、その特徴を表し、昭和30年頃から長野県の各地方で大切に作り継がれている行事食について報告する。

    【方法】平成25年〜28年を中心に全県的な現地調査を実施した。調査方法は、主に聞き取り法で行い、可能な場合は、食材や料理、加工品の実物を撮影し、試食を行った。

    【結果】長野県には、地域で生産される季節の食材や保存食を利用した特色ある郷土料理が多く、地域や家庭によって代々受けつがれている行事食も多く残っていた。ハレの食材として、年取り魚の鰤や鮭、鯉、身欠き鰊など魚介類も利用されてきた。主な行事食は、年取りや正月料理として、鰤雑煮{中信・南信}、ひたし豆{東信}、鮭の粕煮{東信}、王滝なます{木曽}、しぐれ煮{下伊那}が、道祖神には、ねじ{上田市真田町長戸沢}、涅槃会には、やしょうま{北信}、ひな祭りには、からすみ{木曽}、草餅{全県}、春の彼岸には、ぼたもち{全県}、端午には、ほお葉巻{木曽}、田植えには、田植えの煮物{全県}、七夕には、小豆ほうとう{松本}、ナタまんじゅう{北安曇}、盆にはおやき{北信・中信}、えご[いご]{北信・中信}、こりんと{北信}、干し揚げの煮物{松本}、のたもち{諏訪}、十五夜には、おからこ{上伊那}、秋の彼岸には、おはぎ{全県}、

    えびす講
    には米粉のおやき{上伊那}、冬至には、かぼちゃだんご{南安曇}、祝い事には、笹ずし{北信}、鯉のうま煮{全県}、大平{木曽・南安曇}、五平餅{木曽・南信}、仏事には、おにかけ・おとうじ{北信}、冠婚葬祭には、寒天寄せ{諏訪}、大根引き{長野市鬼無里}、いもなます{北信}などである。

  • −粉ものときんぴら−
    *堀口 恵子, 神戸 美恵子, 永井 由美子, 阿部 雅子, 高橋 雅子, 渡邊 静, 綾部 園子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2021年 32 巻 P-k14
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/07
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    【目的】日本調理科学会平成24〜26年度特別研究で、群馬県各地域の家庭料理について、次世代へ伝え継ぐ資料として聞き書き調査を行い報告した。その後の追加調査や刊行資料調査も含め、群馬県の家庭料理 行事食の特徴について報告する。

    【方法】平成 25 年 10 月〜27 年 2 月に群馬県内の8地域において,特別研究の方法に従い,各地域 2 名以上の調査対象者に対して同意を得た上で,調査票に沿って対話したものを記録し,その後の追加調査の結果も加えた。

    【結果】群馬の行事食では、赤飯ときんぴらの組み合わせやけんちん汁の頻度が高い。赤飯にはもち米だけでなくキビやアワ加えることもあり、豆は小豆、ささげ、いんげん豆、花豆などを用いて色をつける。小麦の産地なので、日常食として手打ちうどんやそばを食するが、行事食としても供される。また、蒸かし饅頭も行事の折(田植え、農休み、七夕、釜の口開けなど)に作る。焼き饅頭は、初詣、初市、地域の祭りなどでは必ず屋台がたつ。代表的な年中行事の行事食は、正月(雑煮、きんぴら、なます、煮物、煮豆)、七草(七草がゆ)、小正月(小豆粥)、どんど焼き(まゆ飾り、餅花)、節分(しもつかれ、ざく煮、福豆、いわし)、ひな祭り(ちらしずし、菱餅、草餅、きんぴら)、お彼岸(ぼたもち、おはぎ、天ぷら)、端午の節句(柏餅、鯛の塩焼き、赤飯)、田植え(おにぎり、田植えにしん)、お盆(煮しめ、うどん、天ぷら、きんぴら)、十日夜(けんちん汁、もつ煮、だんご)、

    えびす講
    (ざく煮)、屋敷祭り(けんちん汁、いわし)、冬至(かぼちゃの煮物、おっきりこみ)、年越し(晦日そば、きんぴら、年越しそば)など,通過儀礼では初誕生(一升餅),結婚式(太巻き、ざく煮)などがある。

  • 川魚と海産加工品
    *堀口 恵子, 神戸 美恵子, 永井 由美子, 阿部 雅子, 高橋 雅子, 渡邊 静, 綾部 園子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2018年 30 巻 P-k14
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/08/30
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    【目的】日本調理科学会平成24~26年度特別研究で,群馬県各地域の家庭料理について,次世代へ伝え継ぐ資料として聞き書き調査を行い報告した。その後の追加調査や刊行資料調査も含め,群馬県の家庭料理の主菜の特徴について報告する。
    【方法】平成 25 年 10 月~27 年 2 月に群馬県内の8地域において,各地域 2 名以上(60 歳~80 歳代,居住年数 40 年以上)の調査対象者に対して面接調査を行った。その後,嬬恋村において追加調査を行った。
    【結果】群馬県は内陸県であることから,たんぱく質源としては,日持ちのする日持ちのする魚介類(身欠鰊,干鱈,塩鮭(しおびき),さば・さんまの開き・みりん干し・イワシの丸干し・めざし・イカの塩干等)や佃煮,油揚げ,缶詰,練り製品(ちくわ・さつまあげ)及び加工品(魚肉ソーセージ等),川魚(鯉,鮎,クキ,ヤマメ,ウナギ,カジカ,ナマズ),納豆・卵まれに肉類を食べた。購入した食材は贅沢品であり,家族全員で食べられるよう増量して食べる工夫をした。鶏卵は,鶏を飼育する家庭も多く病気の時の贈答品として用いた贅沢な食品の一つであった。生魚ではまぐろの刺身が売られ,祝い事や来客時のごちそうとして食した。正月には塩鮭,節分にイワシ,
    えびす講
    にサンマなどの尾のついたものを食べた。田植えの時には,「田植えニシン」といって身欠きニシンを切り干し大根やワラビなどと煮て食べた。日常食の代表では塩鮭の粕煮,里芋とイカの煮物,松前漬け,細切りイカのつくだ煮,さつま揚げの入ったきんぴら,厚揚げの煮物,卵焼きなどがある。畜産も盛んで,肉といえば豚肉を指し,副産物である臓物を使ったもつ煮やもつ焼きは,現在も好まれている。
  • −年中行事・儀礼等を中心に−
    *櫻井 美代子, 大越 ひろ, 増田 真祐美, 河野 一世, 津田 淑江, 大迫 早苗, 酒井 裕子, 清 絢, 小川 尭子
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2021年 32 巻 P-k9
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/09/07
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    【目的】 

     次世代に伝え継ぐ日本の家庭料理を掘り起こすことを目的とする。今回は神奈川県で行事においての特徴を明かにしたい。

    【方法】 

     神奈川県内の地域、横浜市中区・泉区・多摩区・鎌倉市・三浦市・横須賀市・大和市・相模原市・伊勢原市・秦野市・小田 原市・大磯町・山北町・真鶴町・清川村・藤沢市・綾瀬市等を中心に、その土地で生まれ育った方、嫁いでこられた年配者 の方に、1960年代頃の食生活について聞き取り調査を行った。調査結果から、行事にかかわる料理をまとめ、市史類からの文献 による補足調査も行った。

    【結果】 

     神奈川県での、行事時の食関係をみてみると、年中行事の正月には、雑煮など、なかには、暮れに打ったそばを正月まで食した地域や、正月にうどんを食する地域もみられた。一月七日、小正月には、それぞれ粥類が用いられ、どんど焼きには、繭玉など作られていた。端午の節句には、柏餅が蓬を用いていた地域もみられた。そのほか、仏事のお盆や彼岸で、ぼたもちや、酒饅頭などがみられた。また、人生儀礼の葬儀では、高齢者の場合、長寿を祝う意味から、祝い事と同様に赤い色の赤飯や白いおこわにささげ又は小豆を加えたものを配る習慣がみられた地域によっては、

    えびす講
    ・稲荷講などもみられた。氏神様を祀る祭りでは、太巻きや赤飯がつくられる地域もある。それら料理などは、行事以外でも人寄せや来客時に用いられる料理もみられた。それらの料理に使用された食材は、特別な時に用意する品もあるものの、その地域でその時期に手に入る食材や品でそれらの料理のほとんどを賄われることが多かったのが特徴といえる。

  • 石井 賢一
    日本教育政策学会年報
    2016年 23 巻 55-59
    発行日: 2016年
    公開日: 2017/09/27
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    Normally there is a school in a local community. Local people support schools and children learn traditional culture and history in/from the community. However, communities in Fukushima’ s Futaba-gun were shattered by the Great East Japan Earthquake and the accident at the Fukushima Dai-ichi Nuclear Power Station in 2011. In this situation, the role of the school is to make a local community in it. Every place where schoolchildren learn can be considered as a school. In other words, there is a community in a school. Children visit temporary housing to interact with senior citizens and invite people to the schoolhouse to learn local culture and tradition. It can help to rebuild relationships in the community. In the meantime, it was considered that a new educational program was crucial not only for the revitalization of communities but also for creating the future of communities. So education superintendents of 8 towns/villages worked out the policy vision for innovation in education at Futaba-gun. According to this vision, new“Futaba Future School”was established in 2015. Also we pursue the program to master the skills of problem solving etc. called “Furusato Souzou Gaku”at all schools of Futaba-gun from elementary school through high school. In this program students can learn their local culture and tradition, work with their local communities and try to plan the future of the communities.
  • 鈴木 秀夫
    地学雑誌
    1975年 84 巻 5 号 265-276
    発行日: 1975/10/25
    公開日: 2009/11/12
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    A small group of Kirisitan (Christian) has miraculously survived in Japan despite the severe oppression in Tokugawa Period. While the majority of Japanese used a lunar calendar, only these Kirisitan fishers knew Gregorian Calendar introduced by Portugese missionaries. During the oppression time their christianity has transformed into a polytheistic religion. Even so they have kept and used their calendar until today for their services with a day's delay from the Gregorian Calendar.
    Through this solar calendar, they have experienced that on their Christmas Eve, 23 rd of December, heavy storms often began, followed by calm days on 26th and 27th. These storms are confirmed by Fig. 1 to be the winter monsoon from Siberia and the calm days to be the result of the weakening of the Siberian High (Fig. 2).
    A problem arises whether these Kirisitans have discovered this “Christmas Storm” by themselves or they have learnt it from Portugese missionaries four hundred years ago. For it is possible that the Portugese missionaries knew something about the Portugese weather on these days of which equivalent is known in Germany as Wheinachtstauwetter (Christmas Bad Weather).
    Such a oversea spread of weather knowledge seems to be possible through a case study on the west coat of South America, where fishers know Viento de San Juan (Wind of St. John) etc which are not supported by the local meteorogical observations. In this case a spread from Spain seems to be probable.
    On the other hand, some of Japanese fishers have used a lunar calendar even until today with several knowledges on lunar singularities such as “8 th's Storm” etc. Against my working hypothesis that such knowledges reflect local weather differences, the distributions of lunar weather knowledges are almost uniform throughout Japan except “Daishiko Storm” and “Daishiko Calm” on 23rd of XI Month (Fig. 3 and 4).
    This uniformity may indicate that a spreading played more important role in the aquirment of weather knowledges than discovery. Since some similarities in lunar weather knowledges are found in Korea and Taiwan a spread from the mainland of China is possible.
    By such considerations a spread of “Christmas Storm” from Portugal still remains a possible guess. Informations from Portugal are most welcomed.
  • *春日 千鶴葉, 柏木 良明
    日本地理学会発表要旨集
    2016年 2016a 巻 215
    発行日: 2016年
    公開日: 2016/11/09
    会議録・要旨集 フリー
    郷土料理は以下のように定義されている(木村,1974)。
    (1)ある地域に古くから行われている食形態で他地方にはみられない特色をもち、その発生が明治以前であるものである。ただし、北海道に限り明治末期までに備わった食形態を取り上げる。
    (2) 現在は比較的広範囲の各地の人々に食されているが、江戸時代までは限られた範囲の地域の民衆生活のみ定着していた食形態であるものである。
    また、郷土料理は地方の特産品をその地方に適した方法で調理したものである(岡本,1987)。その中で、食の暮らしの知恵が育まれ、おいしく健康に良い食べ方などが工夫されている(成瀬,2009)。種類や調理方法における地域性は、地形、気候、地域ごとの生産物といった自然的要因だけでなく、地域の人々の気質、宗教、産業技術の発達状況、時代・地域社会の思潮などの人為的要因によっても形成される(石川,2000)。そして、郷土料理のタイプは
    (1)その土地で大量に生産される食べ物をおいしく食べようと工夫したことにより生まれたもの
    (2)地方の特産物を利用してできたもの
    (3)その地方で生産されない材料を他地域からもってきて、独自の料理技術を開発して名物料理に仕上げたもの
    に分類される(安藤,1986)。さらに、郷土料理は伝統行事に欠かせないものにもなっている。しかし、生活様式の変容などにより、その地域性が失われつつある(成瀬,2009)。
    長野県の郷土料理の一つであるおやきはもともと長野県北部の農村の発祥である。かつて、囲炉裏の灰で焼いたことから「お焼き」と名付けられた。作り方は味噌で味付けしたナスなどの野菜を餡として小麦粉の皮で包み、蒸すあるいは焼く。その後、1982年におやきが手打ちソバ、御幣餅、スンキ漬、野沢菜漬とともに「食の文化財」に指定された。現在では、長野市、小川村をはじめおやきの専門工房や販売店が県内全域の広範囲に多数存在している。その上、おやきは地域差が県全域を通じて見られ、地域性がよく見られるのも特徴である。
    おやきに関する研究では、ある特定の地域における特性は明確になっているが県内全域でのおやきの実態、特性を示す研究は少ない(水谷ら,2005)。故に、長野県内の中でどのような差異や共通点があるのかも不十分であり、おやきに関する明確なデータも少ない。
    そこで、本研究では長野県全域を調査地域として、各地域におけるおやきの特性について比較調査するとともに、なぜ地域差が見られるのかを明らかにする。また、考察の際に五平餅との比較も取り上げる。
    結果として長野県内は北信、中信、東信、南信の4つの行政区分である。調査方法は主に文献調査、聞き取り調査(25店舗)、おやきの購入・試食、写真撮影による。
    北信地方で119店舗、東信地方で27店舗、中信地方で49店舗、南信地方で20店舗、計215店舗あることがわかった。特に、北信地方だけでも全体の約5割をも占めている。東信・南信では店舗自体は非常に少ない。
    おやきの製法には、蒸かし、焼き蒸かし、焼き、揚げ焼きなどの種類がある。北信では小麦粉の味を生かしたおやきで蒸かしたものが多い。しかし、長野市から離れた山村地域に行くと、ほうろくの上にのせて焼く製法が見られる。東信地方では、蒸かす製法が多い傾向にあり、主に上田市に多く店舗が集中している。中信は南北に差異があり、北側は昔ながらの焼き製法、南側は蒸かし製法で作られている。南信では生地に砂糖を入れ甘く仕上げて、ふくらし粉を使用し蒸かす。
    全域を通してノザワナ、ナス、小豆あんである。また、山菜やクリなど地域でとれた素材を生かして作っている場合が多い。
    考察に関して、穀物において、米は盆地の河川流域に集中している一方で長野盆地には水田地帯が少なく畑作を行う傾向にある。小麦は、松本、安曇野で最も多く、全体的に収穫量は北側に集中していることから北側を中心に小麦の文化が定着しているといえる。また、県内では穀物を粉状にして食べる工夫が自然にできる環境にあった。
    北部ではおやきをお盆に食べ、南部では11月20日の
    えびす講
    で、あんこを多く入れたおやきを作って供える。このようにおやきを食べる習慣が各地域により異なる。
    五平餅とは南信地域で食べられる郷土料理のことである。名前の由来は、五平が始めた、神前に供える御幣の形に似ていることなどがあげられる。作り方はうるち米のみを使用して焼く。
    五平餅は、「塩の道」である伊那街道沿いの地域に分布しており、終点は塩尻で南北の分岐点となっている。それを境に、南信地方では五平餅文化が存在している。そのため、南信地域にはおやき店舗よりも五平餅店舗の方が多い。その一方で北信地方では五平餅店舗は見られない。
  • 鈴木 千惠子
    日本文学
    2012年 61 巻 2 号 84-85
    発行日: 2012年
    公開日: 2017/09/28
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  • 畑井 朝子
    日本食生活学会誌
    2012年 22 巻 4 号 271-276
    発行日: 2012/03/30
    公開日: 2012/04/26
    ジャーナル フリー
      The daily diet in Japan has recieved a lot of attention lately as a healthy one from across the world. Now in Japan, however, the traditional diet has changed and patients suffering from lifestyle related diseases have increased according to the westernization of the diet. So it is necessary for Japanese to rethink their present eating habits.
      It is said that we can find the essence of the Japanese diet in traditional dishes which local people had eaten from the late Taisho Era to the beginning of the Showa Era.
      I wonder if this diet has survived in Japan?
      A book “A collection of Japanese diets (48 volumes) ” shows traditional dishes from that time. It includes the chapter “The dishes of Hokkaido (The diet in the Matsumae area) which makes you rediscover the surviving wisdom of our ancestors and the scientific nature of their diet.
  • 大庭 弘子, 山村 孝夫, 宮崎 清, 坂本 勝比古
    デザイン学研究
    1981年 1981 巻 35 号 36-37
    発行日: 1981/10/01
    公開日: 2017/07/25
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  • 岡部 佳世
    日本建築学会論文報告集
    1979年 279 巻 153-159
    発行日: 1979/05/30
    公開日: 2017/08/22
    ジャーナル フリー
    This paper deals with the out-door recreation places, especially focusing on those in the people's residential area. First, various kind of recreation are classified into four categories, and their spatial locations are studied from "Edomeishozue". Second, two aspects of recreation area : extension of excursion are and formation of daily recreation area are pointed out. Third, in examining the literature of traffic in Edo, it is revealed that roads can be considered as potential recreation space in addition to hirokoji, hiyokechi, baba and jishakeidai, i.e. other public space. Last, recreation space in Nihonbashi district is calculated from "Koken-map" and "Tokyo 1/5000 map, Meiji 20", and it is obtained that the out-door recreation space per capita is around 4m^2.
  • ひとつの試み
    持田 智子
    美術教育
    1980年 1980 巻 235 号 4-7
    発行日: 1980/08/01
    公開日: 2011/08/10
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  • 鈴木 公威
    有機農業研究
    2014年 6 巻 1 号 25-35
    発行日: 2014/10/30
    公開日: 2024/01/06
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  • *高橋 秀子, 岩根 敦子, 魚住 恵, 笹田 陽子, 村元 美代, 山田 正子, 吉岡 美子, 長坂 慶子, 川村 仁子, 関口 コノエ, 菊池 真帆
    日本調理科学会大会研究発表要旨集
    2005年 17 巻 P-27
    発行日: 2005年
    公開日: 2005/09/13
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    目的 ドンコは東北地方の太平洋沿岸地域で食されている魚であり、その他の地域ではあまり利用例をみない。ドンコの料理も地域独特のものがあるように見受けられる。そこで、岩手県のドンコの地域性と調理例について検討した。
    方法 岩手県内陸部の盛岡市と一関市、沿岸部の久慈市と大船渡市の4地区の家庭の魚介類調査を実施した。その結果からドンコに関するデータを取り上げ、分布、魚名、料理名、調理法等について調べた。4地区の郷土料理の記述調査を実施し、ドンコの調理例を調べた。
    結果 ドンコ料理数は久慈が多く、一関、大船渡、盛岡の順に少なくなった。全料理数に占める割合は久慈および大船渡が多かった。魚名は多くがドンコとしていた。他の魚名としてエゾアイナメが久慈と盛岡に、クジメが大船渡にあった。エゾアイナメおよびクジメは地方名ドンコであると記されていた。主調理法は約半分が汁物で、煮物、焼物の順であった。汁物のうち3分の2は味噌味であり、大根、ネギ、豆腐と同時に用いられていた。煮物は、醤油味であった。塩味も1例あった。焼物は、久慈に多く塩焼きであった。焼く時に頭を下ではなく上にして逆さに焼くなどの特徴があった。一関で味噌味で田楽にするとあった。久慈では、たたき、ドンコ汁、逆さ焼き、干物のドンコ料理があった。大船渡では刈り上げ(畑の仕事が終わる日)にドンコ汁、一関では
    えびす講
    のときに味噌田楽という様に、季節の行事と結びついていた。地域により独特の魚名と調理例があった。
  • 畑井 朝子
    日本食生活学会誌
    2006年 16 巻 4 号 296-301
    発行日: 2006年
    公開日: 2006/08/04
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  • 江原 絢子
    日本調理科学会誌
    2015年 48 巻 4 号 320-324
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/09/05
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  • 荒川 有史
    文学と教育
    2010年 2010 巻 212 号 16-25
    発行日: 2010/08/03
    公開日: 2017/03/20
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  • 蛭田 道春
    佛教文化学会紀要
    1995年 1995 巻 3 号 47-65
    発行日: 1995/04/20
    公開日: 2009/08/21
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  • 岩鼻 通明
    人文地理
    1981年 33 巻 5 号 458-472
    発行日: 1981/10/28
    公開日: 2009/04/28
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  • 小泉 正太郎, 三国 政勝
    日本建築学会論文報告集
    1982年 312 巻 123-132
    発行日: 1982/02/28
    公開日: 2017/08/22
    ジャーナル フリー
    この研究は, ここでの目的にそって, 近代的思潮を背景として住居における個性化が進む中で, 近隣関係などを通じてどのような集性としての居住現象が生じているかを明らかにし, この漁業地区における住生活の実態の中にこれからの方向性をさぐり, 不備への対応などの解析を行なったものである。住居内における個性化の動向としては, 行為の機能分化のみによる個室化ではなく, 家族関係的な面をもちながら, 近隣関係としての接客性をも含めた住行為の集約の中に得られることを知る。ここでは間取りや住居規模などについて, それぞれの類型を介しての解析を行なった。このような近隣関係をもつ中において, ともすれば閉鎖的になりがちな漁業地区ではそれぞれの個性を伸ばすための空間形成の必要なことが窺われ, 前にみた部落集会所の解析や日常の余暇的施設への無関心の事情から更にこの面の深い追求が必要とされる。また, 過密居住のこの地において, 住居が個別に更新されていくとき, その歪ともみられる面を, 近隣空間の共同利用や新築, 増改築にあたっての, それぞれの室構成の相互理解によって克服している。地縁性といい, 共同体というも, このような施設の在り方を媒介として成立するものであることを, この漁業地区においても指摘することができる。
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