本報告の課題は,日清戦後期から両大戦間期に都市形成の進む小樽において,主に教育界で活躍した稲垣益穂(1858-1935)の日記から,彼の日常的移動行動を復原,考察することで,開拓地・北海道における小樽の都市的特徴を明らかにすることにある. 本共同研究における全体的問題意識は山根報告に譲るが,その前提とした
公権力
の空間認識から都市形成を読み解いた先行共同研究では,主として権力を握った支配者を含む組織の視角からの検証であった.それに対して本共同研究では,視角をより一般市民に近い位置に移行させ,さらにより個人の視点から検証しようとする点が特徴といえる.そうした共通した問題意識に立って検証するうえで有効な史料は,まず個人が残した日記,一部は日誌も含む記録で,ついで個人が自己を総括した回顧録や自叙伝,さらにそれを第三者が叙述した評伝,の順であろう.これらの史料の残存を満足する条件はむしろ
公権力
の立場に近い個人に多く,一般市民に近い位置にある者ほどそうした史料が残存しにくい. そこで,報告者は,研究分担対象地域のなかで,
公権力
に属さず,一般市民に近い立場にあって,かつ前述の史料を残した人物を探索した.その結果,浮上してきたのが日清戦後期から両大戦間期の小樽における教育界で活躍した稲垣益穂で,彼は非常に詳細な日記である「稲垣益穂日誌」(標題は「日誌」となっているが,内容的には「日記」である)を残している.稲垣益穂は,後述のように小樽区稲穂商業補習学校長を務めて退職し,さしあたり市井の一市民といえる.行政的な「
公権力
」や名望家,あるいは産業界で指導的地位に立った形跡はなく,小樽で市民に近い立場で生活した人物であった.
ところで,1990年代までは六大都市に集中する傾向にあった近代都市研究も,21世紀に入る前後から次第に地方都市へと関心が拡大し,近年は企業城下町や軍都など都市の属性にもとづいた研究へと発展してきている.そうしたなかで北海道の近代都市研究は,開拓都市としての属性に着目されることが多く,近世以前から日本人が関係をもっていた小樽や函館など港湾都市については最近年まで注目されてこなかった.そのため小樽の近代都市研究は,自治体史を別にすれば意外に少ない.本報告の視角に近いものとして,都市計画史の岡本ほか(2010)や都市社会学の立場から名望家と労働者や下層民との社会的関係に着目した内藤(2010)を得たにとどまる.
「稲垣日誌」からは,家族を宮城県に置いての単身赴任の長い彼が,道内の移動にとどまらず,長期休暇時に本州との間を移動しており,折からの道内鉄道網整備期の鉄道延伸とその経路の変化による影響も明らかになった.さらに道内移動では札幌への日帰り移動が頻繁に行われていたこともわかった.
文献岡本哲志・日本の港町研究会 2010.『港町の近代―門司・小樽・横浜・函館を読む―』学芸出版社.内藤辰美2010.「小樽における都市形成と階層・コミュニティ―名望家と労働者・下層民―」ヘスティアとクリオ 9:33-53.
抄録全体を表示