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クエリ検索: "民謡"
3,579件中 1-20の結果を表示しています
  • 秋田県の民謡大会を事例に
    *梶丸 岳
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2018年 2018 巻 B17
    発行日: 2018年
    公開日: 2018/05/22
    会議録・要旨集 フリー
    従来民俗学の流れに属する
    民謡
    研究は伝統的な場で歌われるうたのみを「
    民謡
    」と捉えてきたため、現在「
    民謡
    」として実践されている芸能の研究はほとんど進んでいない。そこで本発表では現在の「
    民謡
    」が実践される社会を捉える試みの一環として、秋田県における一曲
    民謡
    大会の運営と大会参加者に焦点を当て、大会が地域経済や
    民謡の規範化と民謡
    人の組織化、
    民謡
    の場の変遷といった要因が絡み合いつつ成立していることを示す。
  • *施 尭
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2020年 2020 巻
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/12
    会議録・要旨集 フリー
    本発表は都市化につれ、沖縄
    民謡
    がいかに脱文脈化し、また、
    民謡
    の協会により、
    民謡
    の基準化、組織化、権威化が進み、沖縄の都市を中心に、
    民謡
    に関する権威のある「アートワールド」が形成されたかについて報告し、さらに、「若狭公民館島うたの会」と「首里公民館クェーナ保存会」という
    民謡
    のサークルのメンバーたちの実践を紹介し、複数の
    民謡
    に関する意味付けと「アートワールド」が共存する可能性を提示する。
  • 佐川 馨
    日本教科教育学会誌
    2007年 30 巻 3 号 31-39
    発行日: 2007/12/25
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究は,秋田
    民謡
    を取り入れた授業実践およびその分析,考察を通して「郷土の
    民謡
    」の教材としての有用性を探ることを目的とした。そのために
    民謡
    を学習しない統制群(男子36名,女子38名)と,秋田
    民謡
    を学習する実験群(男子17名,女子19名),秋田
    民謡と沖縄民謡
    を学習する実験群(男子17名,女子19名)の三つの群により比較考察した。その結果,SD法(20項目)による質問紙1では,秋田
    民謡
    のイメージについて「親近感」「音楽的特質」「価値観」の三つの因子が見出された。また,質問紙2(26項目)では,「愛好心の高まりと音楽観の拡大」「音楽的特質と肯定感」「郷土の
    民謡
    の価値と誇り」の三つの因子が見出された。これらの考察から,
    民謡
    を学習した群には,それぞれの地域がもつ伝統的な音楽文化を理解し尊重しようとする態度の形成が認められること,また,郷土の
    民謡
    の学習にあたっては,比較する教材を同時に取り扱うことが効果的であることが明らかとなった。
  • 秋田民謡を取り入れた授業の分析を通して
    佐川 馨
    音楽表現学
    2006年 4 巻 41-48
    発行日: 2006/11/30
    公開日: 2020/05/25
    ジャーナル フリー

     本研究は、郷土の

    民謡
    を取り入れた授業実践の統計的分析・考察を通して、その音楽的価値と教材としての有効性を明らかにすることを目的とした。そのために、中学生146 名を対象に、①
    民謡
    を学習しない群、②秋田
    民謡
    のみを学習する群、③秋田
    民謡と沖縄民謡
    を学習する群の三つに分け、編曲教材による歌唱や和楽器の学習を行った後に質問紙による調査をし、分散分析、因子分析を行った。

     その結果、郷土の

    民謡
    の授業を受けた性とは、リズムや音階などの西洋音楽や諸民族の音楽とは異なる特質に気づき、一定の価値感情が芽生えること、また、異なる音楽的特質を持つ教材を閉講して学習することによってその効果は増大することが明らかになった。さらに、郷土の
    民謡
    の可変性や即興性を活かし、生徒の実態に配慮した編曲教材を用いることによって、「日本人としての音楽性の覚醒」「地域に特有の音楽的要素を基にした音楽的諸能力の獲得」「郷土理解」などに効果があることが認められた。

  • ――観光化とそのプロセスを通して――
    澤田 聖也
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2020年 8 巻 101-125
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/10/09
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文では、沖縄の
    民謡
    クラブ(復帰前)と
    民謡
    酒場(復帰後)のコミュニティに注目し、両者のコミュニティがどのように変化してきたのか、そのプロセスを明らかにする。一般的に、現在の
    民謡
    酒場は観光芸術の文脈で語られ、観光客が期待する「沖縄らしさ」を演出したものになっている。しかし、
    民謡
    酒場の歴史を辿ると1960年代に
    民謡
    酒場の前身である
    民謡
    クラブから始まり、そこでは、地元の演奏者と客の相互コミュニケーションを通した強いコミュニティが形成されていた。
    民謡
    クラブには、観光芸術とは無縁の空間が広がっていた。だが、1972年に沖縄が本土復帰を果たすと、沖縄には、観光客が訪れるようになったことで、
    民謡
    クラブの客層が徐々に地元民から観光客に移り、それに伴いながら
    民謡
    クラブのシステム、音楽、環境なども変化していった。
     復帰前の
    民謡
    酒場が、「演奏者―客」の連帯感が強い相互コミュニケーションがあったコミュニティに対し、復帰後は、「演奏者―客」の連帯感が弱いコミュニティーになった。それは客層の変化も大きく関係しているが、それ以外にもコミュニティの紐帯を強固にしたり、緩めたりする要素が含まれている。コミュニティの形成には、人と人の関係性だけでなく、モノと人の関係性も重要であり、ANT の視点も入れながら、本論文では、復帰前後のコミュニティの変化のプロセスを明らかにする。
  • 武田 俊輔, 武田 力
    生活学論叢
    2022年 42 巻 62-67
    発行日: 2022年
    公開日: 2024/03/31
    ジャーナル フリー
  • 近藤 鏡二郎
    民族學研究
    1962年 26 巻 4 号 298-299
    発行日: 1962年
    公開日: 2018/03/27
    ジャーナル フリー
  • −浜村温泉と賀露に着目して−
    鈴木  慎一朗
    教育実践学研究
    2019年 20 巻 2 号 41-53
    発行日: 2019年
    公開日: 2021/05/08
    ジャーナル オープンアクセス
    The purpose of this study is to examine the situation and problems of“ Kaigarabushi” (folk song in Tottori) in authorized textbooks on music focusing on Hamamura Onsen and Karo. First, I will review the features of “Kaigarabushi,” focusing on Hamamura Onsen and Karo. Second, I will examine“ Kaigarabushi” in authorized textbooks on music for elementary school as well as junior high and senior high school. The results indicate that “Hamamura Onsen Kaigarabushi” appears in authorized textbooks on music as morgue.
  • 宮本 聖二
    デジタルアーカイブ学会誌
    2020年 4 巻 1 号 16-21
    発行日: 2020/01/07
    公開日: 2020/03/02
    ジャーナル オープンアクセス

    鹿児島県奄美群島から沖縄本島、先島地方には

    民謡
    を始め琉球王朝の古典音楽、あるいは祭祀のための音楽が豊潤にあって、暮らしや様々な行事、あるいは盛んに行われるコンクールなどのためにいまも盛んに歌われている。さらに、そうした音楽をベースにした新
    民謡
    やポップスも次々に生み出されている。しかし、小さな集落や島で生まれた
    民謡
    や戦後次々に作られた新
    民謡
    などは、歌う人がいなくなったり、レコードが廃盤になったりするなどして消え去る危険に直面している。また、同じ曲でも時代や場所や流派によって演奏の仕方が変わる。これらの音源を収集し、何らかのプラットフォームなどで体系的に保管し、公開することでこの音楽文化をしっかり留めたい。現状と進められている様々な試みを調査・報告し、これからの南島の音楽のデジタルアーカイブの可能性を考えたい。

  • ギラン マット
    東洋音楽研究
    2007年 2007 巻 72 号 1-22
    発行日: 2007/08/31
    公開日: 2011/09/20
    ジャーナル フリー
    琉球列島の音楽には、同じ旋律が地域や流派ごとにヴァリアンテとして存在する。また、地域や流派によるヴァリアンテとともに、広く伝承されている演奏の中には、一つの地域、または流派の演奏において、ある一つの旋律に様々なヴァリエーションを付け加える技法も見受けられる。この地域の様々な音楽における演唱法や用語法の共通点の一つは、同じ節名で呼ばれる旋律において、「アゲ」や「サゲ」という用語で区別されるヴァリアンテが多数存在する事である。この演唱法は、無伴奏の仕事歌や儀礼の歌から、三線を伴奏楽器とする
    民謡
    や古典音楽に至るまで、様々なジャンルに見られ、また地元の演奏者や学者はこの演奏法に名称をつけ、意識的に区別している。
    本稿では、琉球列島に伝承される幾つかの音楽ジャンルにおいて、音楽そのものや、音楽世界に使用される用語のありさまの二面から「アゲ・サゲ」の概念を考察する。琉球列島の音楽における「アゲ・サゲ」は、三線の調弦、旋律の出だし、旋律全体の高さ、声質、曲想、の五つの意味を持つが、最も多く見られる例は、「揚出し・下出し」という、旋律の出だしを「高音」から始めるバージョンと「低音」から始めるバージョンの対立である。この歌い方を通して、琉球音楽の楽曲が形成されるレベルを幾つか検討する。まず、個人レベルで歌い手が「自由に」出だしを変えることができ、この「自由」な歌い方は、幾つかの影響で様式化される。集団で歌う場合は、各グループが「アゲ」と「サゲ」を歌い、また地域で見ると地域毎に「アゲ」と「サゲ」によるヴァリアンテが見られる。最後は、固定化プロセスで、「アゲ」と「サゲ」のヴァリアンテが譜面上に個別に記譜されるプロセスがある。また、それらのヴァリアンテが独立した歌として認識されるプロセスが見られる。
  • 関 鼎
    東洋音楽研究
    1967年 1967 巻 20 号 29-48
    発行日: 1967/12/20
    公開日: 2010/11/30
    ジャーナル フリー
    本稿は印度の
    民謡
    の単なる紹介であるということを最初に断わっておかなければならない。
    印度は亜大陸である。その面積はソ連を除いた全ヨーロッパの面積にほぼ匹敵し、その人口は前記ヨーロッパのそれよりも約一五パーセントを上回る。そしてこの亜大陸は、北のカラコルムの氷河地帯、南の熱帯の波の打ち寄せるコモリン岬、東の深いジャングルに覆われたアッサムの丘陵地帯、西の荒涼としたバルチスタンの砂漠地帯、あるいはヒマラヤ山系の高い山々と深い谷間、まったく平坦なヒンダスタン平原等その自然においてまったく変化に富んでおり、その住民は、風貌を異にし皮膚の色を異にしたさまざまな人種で、それらがこの異なった自然環境の中で異なった神に帰依し、異なった言葉を話し、異なった風俗習慣を持ち、そしてもっとも原始的なジャングルの奥の生活からもっとも近代的な都市生活までのさまざまな生活を営なんでいる。印度の
    民謡
    はこれらをそのままに反映して、それぞれ特色を持ち、変化に富み、そしてそれらが互いに入り交り縺れ合ってまったく複雑である。
    この亜大陸の文化は「印度文化」あるいは「ヒンヅー文化」と呼ばれ、しばしば中国文化および西アジア文化と並べられてアジアの三大文化とされる。そして、印度文化の特徴は「 多様性の中の統一」 という言葉で説明される。しかし
    民謡
    の場省は、少なくとも私の聞いた限りにおいては、その多様性は容易に見出すことは出来るとして、一つの印度民印度の
    民謡
    二九 (29 ) 印度の
    民謡
    三〇謡としての統一をそこに見出すことは出来ないように思われる。今日、パキスタンの文化はしばしば西アジアの文化として考えられているので、
    民謡
    もまたインドとパキスタンに分けて考えなければならないかも知れない。しかし、このように二つに分けて考え、それぞれに統一を見出そうとしてもその結果は同じであるし、また、古典音楽にならって南北二つに大別して眺めて見てもその答はやはり同様である。
    しかしながら、今日まで私が耳にすることの出来た印度の
    民謡
    は、莫大な数にのぼるこの亜大陸の
    民謡
    のごく一部に過ぎない。したがって、私の聞くことの出来た
    民謡を基にこれ以上印度の民謡
    を論じることは、盲人が象の脚をなでて象を論じるとなんら変りはない、現在ここで私が印度の
    民謡
    について出来る唯一のことは、私の集めることの出来た
    民謡
    を楽譜にして、出来るだけ多く紹介することである。
    今日、印度の
    民謡
    の音楽の面はあまり研究されておらず、したがって、これに関する著書や論文、それに資料となる楽譜は非常にその数が少ないので、私がここに紹介する印度の
    民謡
    の楽譜が、この方面に興味を持っておられる方々にとってなんらかの役にたつことが出来ればまことに幸である。
    以下紹介する楽譜について一言述べておかなければならない。
    これらの楽譜はすべてインド放送局およびパキスタン放送局の作製した録音テープより採譜したもので、録音テープはすべて武蔵野音楽大学および私の所蔵するものであり、市販されているレコードよりのものは二切含まれていない。採譜は福田芳野および私が共同で行なったものである。
    これらの
    民謡
    の中には、放送のためにいくらか整備されているものもあるが、それらも将来現地採集の際の一つの手がかりとなると考えられるのでここに紹介することにした。
    半音よりさらに狭い微分音程の記譜に関しては、その楽譜のところで説明を加える。 (30 )
    拍子記号および縦線は、ただ楽譜を読み易くするためのもので、したがって西洋音楽におけるように、縦線の次の音符は強拍となるとは限らない。
    一つの歌において、繰り返しごとに旋律の一部が多少異なっているものがあるが、その場合にはもっとも多く歌われている旋律を選んで採譜した。
    なお、ここでいう印度は地理的にみた印度である。この場合、セイロンやネパールも当然この中に含まれなければならないのであるが、紙面に限りがあるので、これらの国の
    民謡
    は省くことにした。また、チベット、アフガニスタン、イランなどの
    民謡
    を比較のためにここに紹介すべきであると考えたが、これらもまた同様の理由で省くことにした。これらの国の
    民謡
    は、機会があれば改めて紹介したいと思う。
  • 内藤 久子
    東洋音楽研究
    1996年 1996 巻 61 号 56-59
    発行日: 1996/08/20
    公開日: 2010/02/25
    ジャーナル フリー
  • 河瀬 彰宏
    情報知識学会誌
    2019年 29 巻 2 号 111-115
    発行日: 2019/05/25
    公開日: 2019/06/28
    ジャーナル フリー

     本研究では日本

    民謡
    の旋律と日本語の音韻の関係解明に向けて,言語研究に用いられているnPVI を日本
    民謡
    のリズム分析に適用した.nPVI は拍節の跳躍具合を定量化する指標であり,近年は西洋音楽史におけるリズムの比較分析に用いられている.本研究では日本各地の
    民謡
    に対してnPVI 値を比較することで,その跳躍の差異を明らかにした.

  • ─ その原曲の伝播と変容 ─
    村尾 忠廣, ゴチェフスキ ヘルマン, 奥 忍
    音楽教育学
    2021年 51 巻 1 号 36-46
    発行日: 2021年
    公開日: 2022/08/31
    ジャーナル フリー

     《山の音楽家》はドイツ

    民謡
    だとされている。しかし, 原曲とされるシュヴァーベン
    民謡
    Ich bin ein Musikanteとは旋律もリズムもあまりに異なっている。本研究の目的は, 《山の音楽家》がドイツ
    民謡
    であるか否か, その根拠を問い直すことである。結果は次のとおりである。1) Ich bin ein Musikanteはドイツ国内も含め, 世界各地に伝播, 変容していった。2) その中の一つに, カトリックの歌集として収められたDer Musikantがあり, これが《山の音楽家》の旋律, リズムと極めて類似している。3) 《山の音楽家》は, このDer Musikantを元歌として編曲されたものであろう。4) 伝播の過程でいかに変容したとしても, 「私は音楽家, 楽器が弾ける」と宣言し, 色々な楽器を弾く真似をして歌うということ, これだけは決して変わることなく, あたかも強固な遺伝子のように受け継がれた。

  • 1940 年代から1970 年代にかけて
    澤田 聖也
    日本オーラル・ヒストリー研究
    2020年 16 巻 149-167
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/12/20
    ジャーナル フリー
    This paper describes how the relationship between female Okinawan folk singers and Okinawan folk songs changed from the 1940’s to the 1970’s through their local performance spaces. The musical activities of today’s female folk singers cover a wide range, from participation in events and media to live performances at folk song bars. Today, the activities of these female folk singers are naturally accepted, but looking back on their history, the relationship between female folk singers and Okinawan folk songs has changed greatly. The author interviews Okinawan folk singers born in the 1930s, 1940s, and 1950s and examines how the relationship between female folk singers and Okinawan folk songs has changed.
  • 民謡クラブ・民謡酒場という『場』に着目して
    澤田 聖也
    島嶼地域科学
    2020年 1 巻 95-114
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/12
    ジャーナル フリー
    現在,唄者は沖縄
    民謡
    の担い手として,テレビ,ラジオ,レコードなどのメディアやフェスティバルやイベントなどの出演,
    民謡
    酒場での演奏など多岐にわたる活動をし,人々から高い支持を得ている。しかし,唄者の歴史を沖縄戦前後まで遡ると,現在の唄者のイメージや役割と大きく異なり,世間一般的に高い評価を得るような存在ではなかった。唄者のイメージは時代を下ることにプラスになり,それに伴い唄者の役割も変化していった。  本論文では,1945年から2000年代における
    民謡クラブと民謡
    酒場の専属唄者の活動を通して,第一に唄者に対するイメージの変化,第二に唄者の役割の変化を明らかにすることを目的としている。
  • 小菅 丈治
    CANCER
    2009年 18 巻 19-20
    発行日: 2009/05/01
    公開日: 2017/07/05
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 高木 昌史
    ドイツ文學
    1991年 86 巻 47-59
    発行日: 1991/03/01
    公開日: 2008/03/28
    ジャーナル フリー
    "…eine aussterbende Sprache von größter Schönheit, eine Volkspoesie von höchstem Reichtum, schon Goethe und Herder…“, so schreibt Johannes Bobrowski in seinem Roman >Litauische Claviere<. Es ist bekannt, daß der junge Goethe, angeregt von Herder, im Elsaß Lieder-darunter das berühmte "Röschen auf der Heide“-sammelte und sie diesem übersandte. Damit begann die Reihe der Volkslieder-Ausgaben in deutschsprachigen Ländern (>Des Knaben Wunderhorn< von Achim von Arnim und Clemens Brentano, usf.). Bobrowski deutet in seinem Roman auf diese literaturgeschichtliche Tatsache hin.
    Auch in Japan wird neuerdings die deutsche Volkskunde oder die volkskundliche Literatur intensiv erforscht. Dabei ist es notwendig, anzumerken, daß "schon Herder“ (Bobrowski) in bezug auf das Volkslied die Problematik des Themas der volkskundlichen Forschung anschnitt und wichtige Methoden dazu entwickelte. Im folgenden möchte ich die Grundzüge des Herderschen Gedankengutes über die Volkspoesie (mittels seiner drei Texte->Ossian<-Aufsatz, >Von Ähnlichkeit…< und >Volkslieder<-Sammlung-) in vier Themenkreisen zusammenfassen.
    (a) Über die Mündlichkeit des Volksliedes und die fast entscheidende Rolle des Gehörs. ("Nichts ist stärker und ewiger, und schneller, und feiner, als Gewohnheit des Ohrs“. >Ossian<-Aufsatz)
    (b) Über das Volkslied als "das Archiv des Volks“, worin man "die Denkart des Volks, die Sprache der Empfindung“ kennenlernen kann. (>Von Ähnlichkeit…<)
    (c) Über die poetische Struktur des Volksliedes, die sich in "lebhaften Sprüngen, kühnen Würfen“ typisch zeigt. (>Ossian<-Aufsatz)
    (d) Über die Methode der Sammlung und die Anordnung der Volkslieder, woran man auch die Eigenheit der Herderschen Gedanken erkennen kann. (>Volkslieder<)
    In allen diesen Themenkreisen der Volkslied-Forschung erscheint Herder heute noch als Vorläufer und Anreger, weil er besonders, in der Thematik (d), uns ein Modell für die vergleichende Forschung der Literatur und Kultur vorlegt.
  • *長尾 洋子
    日本地理学会発表要旨集
    2020年 2020s 巻 918
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/03/30
    会議録・要旨集 フリー

    近年、観光やまちづくり、文化芸術振興、オリンピックなどのメガイベントの文脈で地域伝統芸能の活用があらためて脚光を浴びている。にぎわい、すなわち祝祭的時空間を創出することで、認知の向上や経済効果が期待できるからである。だが、それは芸能に関わる人々や地域社会の活力の増進につながっているのだろうか。それとも、文化の消費的な傾向を助長し、活力を抑圧する制度の肥大化を促しているのだろうか。こうした問題意識をふまえ、本報告は越中

    民謡
    おわらに対する組織的取り組みに注目し、八尾町(富山市)の
    民謡
    行事おわら風の盆にどのような変化をもたらしたのかを考察する。一部の取り組みは「
    民謡
    おわらの街」という一種のブランドイメージを立ち上げ記号消費への回路を作ったが、
    民謡
    の“保存”を超えた、多岐にわたるおわらの組織的プロデュースは、それまでとは異なる祝祭的時空間を構築するようになったと考えられる。

  • 西谷 怜子, 大久保 和子, 荒木 美恵子, 磯島 紘子, 井上 邦江, 藤原 文江
    日本体育学会大会号
    1973年 24 巻 1220
    発行日: 1973/09/01
    公開日: 2017/08/25
    会議録・要旨集 フリー
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