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クエリ検索: "漢文"
7,699件中 1-20の結果を表示しています
  • 秋山四郎編『中学漢文読本』『第一訂正中学漢文読本』の分析を通して
    西岡 智史
    日本教科教育学会誌
    2014年 37 巻 3 号 51-60
    発行日: 2014年
    公開日: 2020/01/26
    ジャーナル フリー
    本研究は近代的な
    漢文
    教科書の草分けである金港堂刊・秋山四郎編『中学
    漢文
    読本』(明治27年初版・明治29年訂正再版)とその改訂版『第一訂正中学
    漢文
    読本』(明治33年初版・明治34年訂正再版)の分析を通して,近代的な
    漢文
    教育の形成過程を考察するものである。『中学
    漢文
    読本』と『第一訂正中学
    漢文
    読本』の比較から,教科書の改訂を通して学校制度に応じた学習内容の段階化が進められたことが指摘できる。また『中学
    漢文
    読本』の中国
    漢文
    教材は『史記』や『資治通鑑』『唐宋八大家読本』といった,旧来の
    漢文
    学習教材中心であったが,『第一訂正中学
    漢文
    読本』ではそれらが縮減され,代わって明代や清代の
    漢文
    などが加えられて内容の多様化が図られていた。そのため『第一訂正中学
    漢文
    読本』の方が近世漢学や明治10年代の「和
    漢文
    」科で用いられた丸本
    漢文
    教科書の内容から一段と脱却したといえる。
  • 小助川 貞次
    JSL漢字学習研究会誌
    2015年 7 巻 56-65
    発行日: 2015年
    公開日: 2017/05/29
    ジャーナル フリー
    漢文
    訓読は通常,学校教育の中で中国古典文(
    漢文
    )を読解する「きまり」として学ばれ,一種のツールとして機能する。一方,
    漢文
    訓読を研究する立場からは,
    漢文
    文献を読解する加点現象として,漢字文化圏の諸地域・言語を対象として広く観察する。ユーザーとしての立場は異なるが,
    漢文
    訓読は東アジア世界・漢字文化圏全体の歴史的構造体をどう把握するのかという大きなテーマに繋がる。
  • 冨安 慎吾
    日本教科教育学会誌
    2008年 31 巻 1 号 41-50
    発行日: 2008/06/20
    公開日: 2018/05/08
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は,昭和20年代後期から昭和30年代前期における
    漢文
    教育の必修化に際して,「
    漢文
    法」学習が学習内容として定着・固定化したことを指摘することにある。
    漢文
    教科書の検討を行った結果,(1)入門単元においては,返り点/送りがな,再読文字の学習が定着したこと,(2)入門単元以外の各単元では特殊句形に注目する学習が構想されていたこと,(3)巻末などに「
    漢文
    法」の系統的な理解を支える一覧表がふされたこと,が指摘できた。これらの変化の要因としては,(1)教科書編修の場に対し,実践者の側から「
    漢文
    法」を充実させることが求められていたこと,(2)実践者は,「
    漢文
    を訳読する力」の育成を重視していたこと,(3)大学入学試験が「
    漢文
    を訳読する力」を重要視していたことが考えられ,三者の相互作用によって,学習内容としての「
    漢文
    法」が定着・固定化したのではないかと指摘した。
  • ― 国語漢文研究会編『中等漢文読本』と第一期国定教科書との比較を通して ―
    西岡 智史
    日本教科教育学会誌
    2017年 40 巻 2 号 1-10
    発行日: 2017年
    公開日: 2020/01/26
    ジャーナル フリー
    本研究では近代
    漢文
    教材におけるメリトクラシーの特徴について,明治30年代の代表的な
    漢文
    教科書の一つである国語
    漢文
    研究会編『中等
    漢文
    読本』(明治34年・明治書院)に着目し,同時期の小学校第一期国定教科書(修身・国語)との比較を通して分析した。『中等
    漢文
    読本』では武将や大名,学者の史伝が比較的多く収録されており,「士規七則」や「西諺漢訳」などに勤勉性やメリトクラシーの内容を読みとることができる。一方,国定修身教科書では二宮尊徳(尋常小学校)や豊臣秀吉・リンカーン(高等小学校)といった人物の教材において,また国定国語教科書では社会制度に関する文章において勤勉や立身の内容が看取できた。明治30年代前半の段階では,
    漢文
    教材の方が武士教育の系統に結びついていたと考えられる。
  • タイ国における大乗系漢文経典の知識
    片岡 樹
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2015年 2015 巻
    発行日: 2015年
    公開日: 2015/05/13
    会議録・要旨集 フリー
     本報告は、タイ国における大乗系
    漢文
    経典を用いた読経方法、およびその知識の継承方法に関する調査の中間報告である。タイ国では
    漢文
    経典の読み方として最も普及しているのが、「五音」と俗称される特殊な人工言語によるものである。本報告では「五音」のタイ国での普及過程、および念仏会や寺廟儀礼での「五音」経典の用いられ方を検討することで、タイ国における
    漢文
    リテラシーの所在の一端を明らかにすることを試みる。
  • 杜 勤
    スポーツ教育学研究
    1989年 9 巻 2 号 77-87
    発行日: 1989/11/30
    公開日: 2010/08/10
    ジャーナル フリー
    The purpose of this study was to clarify the structural relationship between “SHE” (Chinese archey in ancient times) and “SHELI” (ceremonial system of Chinese archey in ancient times) in Confucianism and then to indicate its implication to sport education. The method of this study was to treat the fundamental literature in Confucianism. The author especially attached importance to Japanese interpretations, because they give us a definite interpretation.
    “SHE” was one of the cultural movement forms, while “SHELI” was a system of ceremonial form of “SHE”. In Confucianal education, the aim was to make students become a perfectman- “JUNZI” (ancient Chinese gentleman). The function of “SHE” was not only to enhance physical ability, but also to embody the virtue of “YU” (Brave) as “JUNZI”. Based on this function, the role of “SHELI” was to embody many virtues in Chinese society.
    The form and value of “SHE” and “SHELI” in the past were entirely different from modern sport. However, it seems that this research on “SHE” and “SHELI” will contribute to sport education studies because of the coincidence of the social function of the communities.
  • 中国との比較研究の土台構築を視野に
    CHEN XIN
    読書科学
    2023年 64 巻 3-4 号 130-147
    発行日: 2023/10/20
    公開日: 2024/02/29
    ジャーナル フリー

     本研究は中国との比較を視野に入れ,「基礎基本」と「情操態度」という二つのカテゴリーを用いて,戦後以降の日本国語教育課程を4つの時期に分け,それぞれの古典,とくに

    漢文
    教育の扱い方をまとめ,「変化」と「不変」を通時的に捉えた。第一期から第四期まで,
    漢文
    教育の目標は「古典の読解」という基礎基本が維持される一方で,「古典を尊重・親近」という情操態度は「伝統や文化を尊重・親近」という段階を経て,「伝統や文化を継承・創造・発展」という方向性へ発展していた。それに伴い,教材選択・指導上の注意点における固定化されている規定があると同時に,「古典を学ぶ」から「古典で学ぶ」へと学びの方針が変化したとまとめられる。

  • 丸山 孝一
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2008年 2008 巻 I-29
    発行日: 2008年
    公開日: 2008/05/27
    会議録・要旨集 フリー
     シボ族4000名は1764年、清朝の命により遼寧省瀋陽から新疆ウイグル自治区チャプチャルへ移住(西遷)した。イスラム系住民に囲まれた彼らは今日まで240余年民族文化を維持してきたが、原郷の東シボ(仮称)では
    漢文
    化等に同化された。本報告では、東シボの民族文化復興運動の兆しと西シボにおける
    漢文
    化への同化の傾向を紹介し、文化変化の過程を分析する。
  • 王 昊, 清水 博文, 河原 大輔
    自然言語処理
    2024年 31 巻 1 号 134-154
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/03/15
    ジャーナル フリー

    近年の自然言語処理の研究は,現代語を中心に行われ,多くのタスクで高い性能を達成している.一方,古文やそれに関連するタスクにはほとんど注意が払われてこなかった.

    漢文
    は約 2000 年前の弥生時代に中国から日本に伝えられたと推測されており,それ以降日本文学に多大な影響を与えた.現在においても大学入学共通テストの国語において
    漢文
    は 200 点の内 50 点を占めている.しかし,中国にある豊富な言語資源に比べ,日本にある
    漢文
    の書き下し文資源は非常に少ない.この問題を解決するために,本研究は漢詩文を対象とし,白文と書き下し文からなる
    漢文
    訓読データセットを構築する.そして,
    漢文
    理解において重要視される返り点付与,書き下し文生成の二つのタスクに対し,言語モデルを用いて精度向上を試みる.また,人間の評価結果と比較することで,最適な自動評価指標について議論する.データセットとコードは https://github.com/nlp-waseda/Kanbun-LM で公開している.

  • 西岡 智史
    国語科教育
    2014年 76 巻 39-46
    発行日: 2014/09/30
    公開日: 2017/07/10
    ジャーナル フリー
    This paper discusses a teaching method employed during the Meiji era for Kanbun, literature written entirely in kanji, by analyzing "KANBUN KYOUKASYO" (1902) and "KANBUN KYOUKASYO BIKOU" (1902), edited by Shiro AKIYAMA. The analysis indicates that Shiro AKIYAMA criticized traditional learning methods. Furthermore, research on "KANBUN KYOUKASYO BIKOU" clarified that the Herbartianism teaching method was introduced into Kanbun education during the Meiji era.
  • 『雲養集』所収『東槎謾吟』と『芝城山館納涼唱和集・輕妙唱和集』を中心に
    魯 耀翰
    立命館アジア・日本研究学術年報
    2020年 1 巻 1-27
    発行日: 2020年
    公開日: 2021/06/07
    ジャーナル オープンアクセス

    Kim Yun-sik(金允植, 1835-1922)visited Japan with Ito Hirobumi(伊藤博文, 1841-1909) as an ambassador to prince Yeongchin(Lee Eun 李垠, 1897-1970)in 1908. On July 29th, he attended a banquet held at Suematsu Kencho’s(末松謙澄, 1855-1920)Shiba Shiroyama Hall(芝城山館)to exchange poems with eminent Japanese figures. In the middle of August, he exchanged poems with Suematsu Kencho and Mori Kainan(森槐南, 1863- 1911)while travelling in the Nikko(日光)and Myogi mountain(妙義山)areas. These poems were compiled as Shibasankan noryo showashu(『芝城山館納涼唱和集』)and Keimyo showashu(『輕妙唱和集』)and published in one volume by Shueisha(秀英舎). Kim Yun-sik also compiled a collection of poems of that time and named it Tongsa manum(『東槎謾吟』). Among his poems exchanged with the Japanese figures, there are many poems that have a strong tendency so-called “pro-Japan” that the evaluation of him is on the whole negative. This paper also argues that his poems should be re-evaluated as a sort of diplomatic poetry composed in a place of diplomacy.

  • ―漢文表現へのXMLの適用―
    内海 淳
    コンピュータ&エデュケーション
    2005年 18 巻 34-39
    発行日: 2005/06/01
    公開日: 2014/12/01
    ジャーナル フリー
    漢文
    のデジタル・アーカイヴズはこれまで
    漢文
    の出力形式に関して限られた選択肢しか持っていなかったため,非専門家を排除する形になっていた。本稿では,XML(eXtensible Markup Languge)の技術を
    漢文
    に適用し,XML技術に基づいたシステムを使用することにより,単一の
    漢文
    ソースから,5段階の読みやすさのレベルに対応した,5つの出力形式へと変換できることを示す。このシステムを用いることにより,様々な非専門家の利用者が容易に
    漢文
    を利用することができるデジタル・アーカイヴズを構築することが可能になる。
  • ――『御堂関白記』のテクスト生成――
    中丸 貴史
    日本文学
    2013年 62 巻 1 号 11-24
    発行日: 2013/01/10
    公開日: 2018/01/31
    ジャーナル フリー

    本稿では

    漢文
    と和文の混じりあう地点に存在する日本
    漢文
    、なかでも『御堂関白記』を主たる対象として古代日本のリテラシーについて考えた。特に和文のリテラシーが
    漢文
    のリテラシーに与えた影響について、考察を加えた。また、そのうえで、従来、著者自筆本とその写本といういわば主従関係におかれた二つのテクストそれぞれの論理を見出し、単純に「
    漢文
    」「和文」と住み分けのできない、複雑に関係しあったリテラシーの在り方を指摘した。

  • グリブ ディーナ
    専門日本語教育研究
    2016年 18 巻 61-66
    発行日: 2016/12/25
    公開日: 2020/09/08
    ジャーナル フリー
    日本学研究に携わる日本語学習者は、研究分野によって
    漢文
    訓読の知識が求められる。そこで専門教育課程に進学する準備でもある文語文および
    漢文
    訓読教育の入門段階の重要性が指摘されている。本稿では
    漢文
    訓読の入門教育における題材の一つとして四字熟語の活用を提案し、それに向けての分析および考察を行う。まずは、学研辞典編集部(2014)『四字熟語辞典 改訂第2版』の悉皆調査により、訓読文が掲載されている四字熟語を1377語抽出した結果を紹介する。次に、これまで主に国語の視点から行われてきた四字熟語の分類を専門的な日本語教育の視点から実施し、加点パターンによる分類を試みる。そこで、辞典によって訓読文における活用形などの異同があることを指摘する。また、『現代日本語書き言葉均衡コーパス』を用い、1377語の使用例を収集し、一つ以上の使用例が確認できた108語のうち上位15語を紹介する。最後に、漢字の難易度の測定を含めた分析結果に基づき、学習者のニーズおよび到達目標に応じて、活用することを提案する。現代語に定着した四字熟語は実用的であり、また一句が短いため、学習者への負担が抑えられる。四字熟語を
    漢文
    訓読または古典文法の導入における用例・練習問題として活用することによって、先行研究に指摘された例文不足という問題の解決に貢献できると考えられる。
  • ――『鎌倉遺文』所収願文を中心に――
    山本 真吾
    日本文学
    2014年 63 巻 7 号 2-11
    発行日: 2014/07/10
    公開日: 2019/07/20
    ジャーナル フリー

    仏教儀礼文の一つである願文は、元来、対句を基調とする

    漢文
    体で記され、鎌倉時代になっても基本的には継承される。しかし、この時代になると仮名書きの願文が出現するようになる。鎌倉時代の願文における
    漢文
    体から仮名書きへの表記体の変換は、文体のうえでも変化をもたらし、
    漢文
    訓読体を基調としつつも和文の語彙、語法の混入を許容する契機を与えた。そして、この傾向は平仮名書き願文において早く進み、片仮名書きの願文はこれに比してなお
    漢文
    訓読体にとどまることが分かった。

  • 築島 裕
    帯広大谷短期大学紀要
    1970年 8 巻 Humanities_SocialScience 号 1-6
    発行日: 1970/12/25
    公開日: 2017/05/30
    ジャーナル フリー
  • 毛利 正守
    日本語の研究
    2014年 10 巻 1 号 1-15
    発行日: 2014/01/01
    公開日: 2017/07/28
    ジャーナル フリー
    現在,古事記などの文章は,「変体
    漢文
    」であると一般に把握されている。「変体
    漢文
    」という呼称は,橋本進吉によって提唱され,
    漢文
    を記すことを志向しながらもその用法を誤って「変則な書き方」になったもの,それを「変体
    漢文
    」と命名した。一方,橋本は,古事記などの文章については,漢字を用い慣れるに従って日本語をも漢字で書くようになり,その文章は「変体
    漢文
    」ではなく「和文」であると把握した。それ以降の研究史を辿ってみると,橋本の道理に適った「変体
    漢文
    」という捉え方が正確に継承されず,橋本の主要な発言を見過ごし,また誤解したまま今に至っているというのが現状である。が,その捉え方がすでに長く行われているのだからそれでよしとするのではなく,もう一度,理に適った論に立ち返り,考え直すべきであると筆者は考える。本稿は,研究史の実態を炙り出すところにその主眼をおき,あわせて研究史と関わらせつつ倭(やまと)文体についてとり挙げることにする。
  • 永澤 済
    言語研究
    2021年 159 巻 37-68
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/03/30
    ジャーナル フリー

    中国

    漢文
    において助動詞「令」は〈使役〉を表すが,日本中世の和化
    漢文
    では,本来の〈使役〉用法から派生したとみられる独自の非〈使役〉用法が非常に広範囲に使用されている。この「令」の機能について,従来,取り除いても文意に影響しないとの見方や,〈謙譲〉〈再帰〉〈意志動詞化〉等の意を表すとの見方が示されてきたが,統一的な結論は出ていない。本稿では,従来の意味中心の分析ではなく,構文機能に目を向けることで次のように結論した。非使役「令」の機能は動詞マーカー/動詞化である。助詞や接辞を表し得ない和化
    漢文
    で,和語の軽動詞「する」を代替した。その起源は,本来使役を表す「S令V」構文が(他)動詞文と意味的に隣接するケースにおいて,「令」の表す使役の意が後退して単なる動詞マーカーと解釈されたものと推定される。Vの位置には,意志行為,非意志現象,無生物主体の事象,形容詞まで幅広く立つ。先行研究で「令」は「致」との類似性が指摘されたが,「致」の後続語は意志行為に限られかつ「令」の場合のような動詞化はせず名詞的性格にとどまる点で,両者の機能は異なる。

  • *佐藤 剛, 市川 毅
    日本地理学会発表要旨集
    2011年 2011s 巻 P1422
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/05/24
    会議録・要旨集 フリー
    ■はじめに 明治27年に発行された『中學
    漢文
    讀本』巻之四には,幕末の漢学者鹽谷誠 (号簣山,1812~1874)の「信州地震記」が掲載されている.明治期における旧制中学の
    漢文
    教育において自然災害が扱われていることに興味をもった発表者らは,上記著書を口語訳し,その内容と在り方について考察した. ■訓読・口語訳と記載内容 「信州地震記」本文(図)の訓読および口語訳は,ポスターで掲示する.ここでは主となる内容を紹介する. 1)災害の中で震は最も悲惨な状況を生む. 2)弘化4年(1847年)に発生した信州地震(善光寺地震)では様々な現象(亀裂,噴砂,火災,水害)が見られた.また,地震動は北越高田にまで及んだ. 3)善光寺詣のために信州を訪れた旅行者が,地震による家屋倒壊にともない被災した. 4)地震により地すべり(岩倉山地すべり)が発生した.それにともない地すべりダムが形成され河川の水位が上昇した.その後,決壊にともなう洪水により,松代城下および川中島が浸水した. 5)「伏陽」が蓄積して極限に達した時,「天」(大気)においては雷,「地」(地下)については「振動」(地震)が発生する.また,西洋の説によれば,山の多い国,火山の多い地域に発生する.天明期(本文執筆時期の60数年前)に発生した浅間山の噴火(天明3年(1783年)にともない火山灰が広い範囲に降下した.それにともない人畜が多数死んだ.これは「伏道」が地底に貫通し,硫黄や硝石が「伏陽」と相互反応を起こすことで,激しく爆発した結果である.天明期にはこれが地上に現れ(浅間山噴火),今回は地下に現れた(善光寺地震).両者は異なるように見えるがその原理は同じである.あえて両者についてかたり今後の戒めとする.合わせて有識者にこのことを伝える. ■考察 ・自然災害の被災状況をただ記載するのではなく,陰陽五行説など東洋的な知識・思想を援用しながら地震および火山の発生プロセスについて論じている.加えて,西洋自然科学の視点からも議論されている.本文の記述に従えば,「信州地震記」は浅間山噴火後60数年を経過した時期,つまり日本がまだ鎖国状態にあった江戸末期に執筆されたものである.この時期に,
    漢文
    学者が西洋自然科学の知見を取り入れている点は興味深い. ・現代の高等学校における
    漢文
    教材は,漢詩と哲学,思想および歴史を中心としており,自然災害を記述した内容は皆無である.当時の
    漢文
    教育においては,
    漢文
    が持つ客観的な状況描写力を踏まえ,このような自然災害に関する文章も教材として評価されていた. ・『中學
    漢文
    讀本』巻之四には,「信州地震記」のほか,同じ著者による「火災記」も掲載されている.教科書編集において,過去の災害について記述した文章を取り上げていることは,
    漢文
    の教材としてだけではなく,防災教育の意味もあったと考えられる.
  • 冨安 慎吾
    全国大学国語教育学会国語科教育研究:大会研究発表要旨集
    2008年 114 巻
    発行日: 2008/05/28
    公開日: 2020/07/15
    会議録・要旨集 フリー
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