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クエリ検索: "社会科学研究会"
164件中 1-20の結果を表示しています
  • バイオフィリアリハビリテーション学会高齢市民が活躍するための社会技術に関する研究担当
    バイオフィリア リハビリテーション学会研究大会予稿集
    2013年 2013.3 巻
    発行日: 2013/03/01
    公開日: 2017/07/21
    会議録・要旨集 フリー

    主催:バイオフィリアリハビリテーション学会研究部会

    共催:高齢市民が活躍するための社会技術研究会

    共催:横浜国立大学研究推進機構人機能再建のための工学支援研究拠点

  • 牛澤 賢二
    バイオフィリア リハビリテーション学会研究大会予稿集
    2013年 2013.3 巻
    発行日: 2013/03/01
    公開日: 2017/07/21
    会議録・要旨集 フリー

    社会科学、リハビリテーション研究になぜ社会科学がかかわるのか、疑問に思う人が多いでしょう。私もその一人でした。

    私が最初にかかわったのは、当時産能大学といった私の所属大学の松岡幸次郎教授からアンケート分析を頼まれたのがきっかけでした。その後滝沢さんと交流するうちに、医学面の治療効果評価の統計的検定を実施しました。既実施の統計的検定に不備があり、私が再検定して、その効果を明らかにしたのです。

    リハ医学は、これまで「障害の受容」という諦めさせることに重要な視点がありました。実施した統計検定を通じて、この点を改善させられる可能性が開けたのです。

    このことから、経営学視点で、虚弱高齢者の社会生活を守ることができれば今後の高齢者増に社会が対応できるのではないかと、平成14-15年度で「高齢者及び軽度痴呆高齢者の消費者教育の実際と将来像調査研究」を実施しました。

    今日ではこうした科学研究は文部省関連のWEBサイトから研究内容が明らかになりますが、当時はこうしたことがおこなわれていませんでした。月日を経ても、我々の研究結果は社会にまだ反映されていることはなく、内容は陳腐化していません。

    今回、バイオフィリアリハビリテーション学会と横浜国立大学のご協力で、我々の研究結果が予稿集という形で世に問われることになりました。

    またリハビリテーション医学のパラダイムシフトを目的としていることから、リハビリテーション医学分野の研究費はこれまで、一度も取ったことがないと聞いています。

    私は2012年定年で産業能率大学教授を辞しましたが、今回の研究会を良い機会として、新たな社会科学分野の関係者の参画を得られるよう願っています。

    それぞれ担当者から行う報告内容は次に示すとおりです。

    1. 平成17-18年度 文部科学省科学研究費補助金(萌芽)(新潟医療福祉大学牧田光代教授):介護保険出来高報酬制度の可否と変更する場合の諸要件の研究(17651094)

    2. 平成14-15年度 文部科学省科学研究費基盤(C)(産能大学牛澤賢二教授):高齢者及び軽度痴呆高齢者の消費者教育の実際と将来像調査研究

    3. 平成13-14年度 文部科学省科学研究費基盤(C) (産能大学松岡幸次郎教授):寝たきり高齢者削減に向けたリハビリテーション手法普及に関する研究

    4. 平成13年度 中小企業総合事業団課題対応新技術研究FS調査:創動運動用上肢訓練器兼用リフト機器開発に関する研究調査(滝沢茂男バイオフィリア研究所教授)

    リハビリテーション研究の発展のためには、社会科学的視点も欠かすことができません。これまでの研究成果を踏まえて、一層の社会貢献が図られるためにも、皆様のご協力が必要です。本研究会へのご参加をお待ちしております。

  • 滝沢 茂男
    バイオフィリア リハビリテーション研究
    2017年 2017 巻 1 号 101-103
    発行日: 2017/10/03
    公開日: 2018/01/26
    ジャーナル フリー

     リハビリテーション(リハ)医学の再構築を通じ、持続可能な超高齢社会の構築を目指している本会は2013年10月15日に、在日本イタリア大使館と在イタリア日本大使館の後援の下、イタリア共和国キエーティ市で第10回国際大会「2つのパラダイムシフトの実現にむけて;リハ医学の再構築と持続可能な超高齢社会への高齢者の貢献を可能にする意識転換」を開催しました。

     本大会は、在日イタリア大使館からも評価されており、科学技術担当官からの感謝状に反映されています。以下日本語で記載された内容をご紹介します。

    感謝状

     「貴学会は各国においての国際学会を行い、リハ医学向上を通じ、各国国民の福祉の向上に貢献しています。その寝たきり老人等の高齢障害者の機能回復に関する活動は、各国政府から高く評価されています。

     本年、イタリア国キエーティ市において、第10回国際バイオフィリアリハビリテーション学会大会が開催されることとなりました。今回の大会の御成功と今後共この分野での二国間の協力関係の増進が益々強化されることを心から祈念いたします。

    開催に当たる関係者のご努力に敬意を表し、ここにイタリア政府を代表し、開催関係者を代表される国際バイオフィリアリハビリテーション学会理事長滝沢茂男氏に本感謝状を贈呈します。」以上全文をご紹介しました。また、甘利明経済再生担当、社会保障・税一体改革担当内閣府特命担当大臣から祝電を頂きました。本年2月に発行した「英文ジャーナル、バイオフィリア」には、国立大学法人岡山大学森田潔学長からご祝辞を頂いています。

     こうしたご支援から、我々の活動が社会のお役に立つ日が近づいているように思われます。読者諸兄の我々の活動へのご参加を期待します。

  • —未来予測シナリオから見た宇宙の価値再考—
    亀井 信一
    日本航空宇宙学会誌
    2022年 70 巻 10 号 210-213
    発行日: 2022/10/05
    公開日: 2022/10/05
    ジャーナル 認証あり

    宇宙人文・

    社会科学研究会
    では,地球で進化してきた地球生物としての人間が,地球と本質的に異なる新たな環境「宇宙」に生活圏を拡大するとき,心と意識,記憶,知覚や五感,そして,価値判断にどのような影響を及ぼし,また変容させていくのか.今後,ロボット,人工知能,アバター,ヴァーチャル・リアリティなどの技術が進化・発展し,有人・無人の分担と協調が進む中で,宇宙と人間の関わりはどう展開していくのか.人間とは何かについての理解と認識がどのように深化していくのかを検討している.本稿では,人間拡張技術を「空間」の拡張と「能力」の拡張という二つの立場から検討し,宇宙の価値を考察した.具体的には,未来予測シナリオを援用し人類の破滅シナリオから見た宇宙の価値を再認識し(空間拡張),最近の人間拡張技術の観点から見た宇宙の捉え方(能力拡張)を示した.

  • 高柳 雄一, 柳川 孝二
    日本航空宇宙学会誌
    2022年 70 巻 9 号 192-194
    発行日: 2022/09/05
    公開日: 2022/09/05
    ジャーナル 認証あり

    「JSASS宇宙ビジョン2050(増補版)」では,「地球と月の人間社会」が建設されることを想定し,その活動目標として,「人類の課題解決/産業構造の変革/新しい価値観の醸成/知の獲得/人類の生活圏拡大/宇宙活動の持続性確保」を掲げている.地球規模で全人類の関わりが必然となる「地球と月の人間社会」を実現するには,地球・月圏をグローバル・コモンズと見做し,文理融合の総合的な取り組みが不可欠になるだろう.そこで,これまでの宇宙開発利用に係る研究の中核である理学・工学・技術開発・医学の分野,そして,近年研究が進む宇宙法・国際政治の分野に加えて,人文・社会科学の分野に配される多彩な専門分野が連携した総合的な取り組みで,この壮大な課題の検討を開始した.この連載で,順次,その成果を伝える.

  • 滝沢 茂男
    バイオフィリア リハビリテーション研究
    2017年 2017 巻 1 号 63-67
    発行日: 2017/10/03
    公開日: 2018/01/26
    ジャーナル フリー

     わが国の介護保険制度は定着し、利用者は当初の149万人から5年を経て2005年には329万人と増加し、総費用は急速に増大しています。高齢化の進む日本は、介護に関する問題について世界の手本になる可能性を持っています。こうした状況を踏まえ、「介護保険革新のための日本発の提案」、副題を「脳の傷害された部位の活性化の為の健側主導のリハ医学の提案」と題して第5回オーストラリア国際大会を2006年9月1日に実施しました。大会長の武藤佳恭慶応大学環境情報学部教授は、「新しく発見される物理現象を応用して、社会に役立てようと考えている」と述べました。国際大会ポスターをぜひ送ってほしい、福祉の先進地域とされる北欧からは次にヨーロッパで開催されるときには必ず参加するとした連絡回答が相次ぎました。「私たちの研究が、高齢までの生存を獲得した世界の人々の希望につながる。」との実感を強めています。今大会挨拶では学会副会長・国際部会長として、「リハ医学の革新による障害の克服が、人口ピラミッドが逆転するという人類にとって未曾有の変革期に、超高齢社会に佇む人類の救済に他のどのような手段にもまして意義があり、我々の学会の活動がその実現を可能にする」と述べました。

     我々の学会は、「障害を受容するリハ医学、言い換えれば障害を残して寝たきりになる事を受容するリハ医学から、脳の損傷部位を回復にまではいたらないとしても、改善し、身体機能を取り戻すことの出来るリハ医学・医療の確立」を期して、多面からの研究を行っています。

     脳卒中合同ガイドライン委員会(委員長篠原幸人(東海大学神経内科学・教授)は、我が国においては確立された脳卒中ガイドラインはなく、欧米のものをそのまま利用しようとしても認可されている薬剤も異なり、脳血管障害の発症率・死亡率が高く、病型にも差違があるとして、調査を行ないました。

     班長千野直一教授(当時慶應義塾大学リハビリテーション医学)のリハの部会も、調査結果を発表しています。そこでは、「我が国において、脳卒中患者の多くがリハ医療の対象となり、事実、寝たきりの原因の約30%が脳卒中で、後遺症に悩む患者数は約170万人」とし、上下肢麻痺の機能回復に対する種々のリハ治療法に関して調査結果を述べています。また「リハ医療では治療効果が機能・能力評価で判定されるために、機能・能力評価測定方法そのものの妥当性まで検討されている」としています。そして「脳卒中リハビリ医学・医療での治療法、訓練手技などは臨床経験に基づいて行われてきた領域が多く見られ、全般的にはエビデンスの面からは妥当性が十分とはいえず、今後のさらなる研究が待たれるといえよう」と結んでいます。

     日本では、障害を残して寝たきりになり、施設空間と主にベッドを生活範囲にさせられる高齢障害者は、厚生労働省の予測によれば、2025年には230万人に達します(要介護高齢者予測数520万人)。障害の受容を容認するリハ医学の革新が急がれます。

     リハ医学は、障害の受容を一側面に持っています。医学という名称を冠しながら、広範な医学に望まれる疾病・傷害の診断・治療・予防とは異なっているのです。改革に向け、4件の公的研究費を得て、研究を進めています。

  • 日本社会学史と大杉栄を中心に
    渡辺 克典
    ソシオロジ
    2008年 52 巻 3 号 3-18,218
    発行日: 2008/02/29
    公開日: 2015/06/06
    ジャーナル フリー
     The aim of this paper is to consider the concept of “Shakai Kagaku (Social Sciences)” prior to 1923. Yasutaka Ichinokawa examines the concept of “The Social” in his book Shakai (The Social) (2006). He insists that (1) the phrase “Shakai Kagaku” was not popular in Japan before 1923, and (2) this phrase was used to mean the bundling of sociology, law, politics, economics, and so on, only after 1923, in keeping with the use of such terminology in Marxism. In this paper, Ichinokawa’s claims are examined by looking at the history of sociology and the concept of “Shakai Kagaku” in the writings of Sakae Osugi, an anarchist in the Taisho era. An examination of the above revealed the following: First, in the Taisho era, a distinction was not made between “Shakai Kagaku” and “Shakaigaku (sociology).” In so-called synthetic sociology, “Shakaigaku” meant the highest conception of the social sciences. In the history of sociology, in pre-1923 Japan, “Shakai Kagaku” was a phrase which occupied a position critical to synthetic sociology. Second, under the influence of anarchists such as P. Kropotkin and M. Bakounine, Osugi’s concept of “Shakai Kagaku” had been used to criticize the sciences prior to 1923. Moreover, their movements influenced Shinjinkai (an association antecedent to the Social Science Society). However, little light was shed on their attempts because their movements were suppressed.
  • ドイツで第4 回国際大会を開催
    滝沢 茂男
    バイオフィリア リハビリテーション研究
    2017年 2017 巻 1 号 57-62
    発行日: 2017/10/03
    公開日: 2018/01/26
    ジャーナル フリー

     介護保険を1995年に実施し、2000年の日本の介護保険法施行に先行して実施しているドイツでは、連邦社会保険庁の報告によれば、介護保険会計は1999年赤字に転落し、その後赤字が拡大し、2006年の末には流動性を確保するためのリザーブ(準備金)が底をつくと予想されています。創設から10年にして抜本的な改革が避けられない状態に追い込まれています。

     日本の団塊世代は800万人生まれ今でも700万人以上生きています。平均余命が90歳以上になるといいます。平均余命の伸びを予測せず設計しているすべての社会福祉制度は崩壊に向かいます。現在の推計では高齢者数は2015年には3188万人、約25%です(国立社会保障・人口問題研究所の推計)。もっと増えるのでしょう。

     人口ピラミッドが逆転するという未曾有の社会だからこそ、「高齢障害者が自立生活をおくれるようになり、社会保障負担が減って、人類が皆希望をもち豊かに暮らせる」事が重要です。高齢障害者の自立の獲得を基礎とした新たな生活文化の確立が重要です。

    他者依存、寝たきりになった方が儲かる、介護に依存すればすべてうまくいく、こうした考えを打破し、慶應義塾大学の創始者の福沢諭吉氏の「文明論の概略」に述べる「半開社会」から、自立した人々の「文明社会」に転換する機会にしなければなりません。

     次世代に過度に依存せずに社会を持続可能にするための手段は「リハビリテーション(リハ)医学の革新」として提供されつつありますが、真に提供できると言うためにはさらなる研究が必要です。そしてその上で、それを前提に、次世代に過重な負担を掛けずに済む社会構築の為の意識改革が必要です。

     リハ医学は、障害の受容を一側面に持っています。医学という名称を冠しながら、広範な医学に望まれる疾病・傷害の診断・治療・予防とは異なっているのです。我々の学会は、障害を受容するリハ医学、言い換えれば障害を残して寝たきりになる事を受容するリハ医学から、脳の損傷部位を回復にまではいたらないとしても、改善し、身体機能を取り戻すことの出来るリハ医学・医療の確立を期しています。リハ医学の革新の基礎は、以下の事実によっています。1987年に藤沢市において行われていた機能訓練会において障害を克服し職場に戻った人が何人も出ました。この機能訓練会は藤沢市と藤沢市医師会の間で「決して治らない人」をこの訓練会に受け入れると合意して設立された経緯があり、にもかかわらず、何人もの方々が障害を克服し、職場復帰しました。

     当時私は藤沢市会議員で「決して治らない人」が、障害を克服し、職場復帰するという異常な事態に気づき、この手法「タキザワ式リハ」を科学的なシステムとして社会に提案すべきであると認識したことから、取り組みが始まりました。機序解明に向け、2005年は4件の公的研究を実施しています。

     私はご挨拶に当たり、国際部会長・開催責任者として、「リハ医学の革新」による障害の克服が、人口ピラミッドが逆転するという人類にとって未曾有の変革期に、高齢社会に佇む人類の救済に他のどのような手段にもまして意義があり、我々の学会の活動がその実現を可能にすると述べました。本大会が、記念すべき、その嚆矢となったのです。

  • 上村 協子, 亀高 京子
    家政学原論研究
    2008年 42 巻 182-187
    発行日: 2008/05/30
    公開日: 2017/04/07
    ジャーナル フリー
  • 中澤 篤史
    体育学研究
    2008年 53 巻 2 号 315-328
    発行日: 2008/12/10
    公開日: 2009/02/25
    [早期公開] 公開日: 2008/10/10
    ジャーナル フリー
    The Undoukai (Athletic Association) at the Imperial University of Tokyo was a student association that consisted mainly of sports club members. The Undoukai was a departure point for Japanese sports, and led to the establishment of school sports in the Meiji period, being incorporated as a foundation in 1934. The purpose of this study is to describe the process of how the Undoukai was organized as an incorporated foundation from the late Taisho era to the early part of the Showa era, focusing on interactions among students and the university. The main documents are gathered from the Imperial University Newspaper.
    The results of this study are summarized as follows.
    1) This study describes the history after establishment of the Undoukai, which was integrated into the Gakuyukai (Athletic and Cultural Association) at the Imperial University of Tokyo in 1920. The Gakuyukai was an all-university association that included cultural activities. However, the members of the sports clubs left the Gakuyukai and organized the Undoukai again in 1928.
    2) This study clarifies two oppositional relationships among students during the organizational process of the Undoukai. One was between sports club members and the other students, and the other was between the left-wing students and the right-wing students. In both relationships, sports club members would win the understanding of non-athletic students and would distance themselves from the left-wing students. Both practices enabled the Undoukai to become independent from the Gakuyukai.
    3) This study clarifies that strong assistance from the University contributed to the reorganization of the Undoukai. There were two problems that the University needed to address: one was how to prevent students' illnesses, and the other was how to discourage students from becoming inclined to the politcal left. Therefore, the University expected general students to aspire to “healthy body” and to have “healthy idea”. While the University would recommend sports to general students in order to realize the expectation of “healthy body”, at the same time it would separate general students from left-wing students in order to realize the expectation of “healthy idea”. These expectations and practices of the University provided the impetus that nurtured the Undoukai.
  • 新地理
    1979年 27 巻 3 号 52
    発行日: 1979年
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 渡瀬 典子
    日本家庭科教育学会誌
    2002年 45 巻 3 号 255-263
    発行日: 2002/10/01
    公開日: 2017/11/22
    ジャーナル フリー
    This study aims to explore the "houshi-teki (Community Service) "activity in FHJ (Future Homemakers of Japan) with descriptive data about participation activities for about forty years (1963-2001). During 40 years or so, its role has become much valued in the course of studies for high school level and the meaning of the "houshi-teki" activity in FHJ has changed gradually not only to community service but also to welfare education activity. Another finding of this study indicated, statistically significant relation-ships between the content of "houshiteki" activities and the series of course of studies revisions are not so clear, though the need for students to develop collaborative leadership skills, family and community roles are more required to FHJ activity.
  • 岡田 浩樹
    インターカルチュラル
    2023年 21 巻 3-4
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2023/05/01
    ジャーナル フリー
  • 学術の動向
    1997年 2 巻 6 号 16-18
    発行日: 1997/06/01
    公開日: 2009/12/21
    ジャーナル フリー
  • 三宅 立
    現代史研究
    2004年 50 巻 1-3
    発行日: 2004/12/26
    公開日: 2019/08/10
    ジャーナル フリー
  • 杉田 孝夫
    哲学
    2011年 2011 巻 62 号 57-71_L4
    発行日: 2011年
    公開日: 2011/12/09
    ジャーナル フリー
    Zwischen 1780 bis 1820 standen die drei Elemente, die den modernen deutschen Familienbegriff konstituierten, zur Verfügung. Besonders in den drei Familientheorien Kants (1797), Fichtes (1797) und Hegels (1821) finden wir die theoretische Entwicklung des Konzepts der Familie als die moderner Kleinfamilie (engl. nuclear family). Einerseits lässt sich der Entstehungsprozess der Vorstellung der Familie begriffsgeschichtlich nachvollziehen. Andererseits lässt sie sich auch in Beziehung zwischen der Familie und der modernen individualistschen und liberalistischen Gesellschaft erklären. Die Vorstellung von der Familie symbolisierte die neue freie individualistsche Gesellschaft in Abgrenzung zur alten ständischen und häuslichen Gesellschaft (ancien régime). Die Eheschließung des freien Mannes und mit der freien Fau, die einander herzlich lieben, schafft eine Familie, und sie produzieren freien Menschen (Kinder), ziehen sie groß und pflegen sie. Wenn das Kind erwachsen wird, unabhängig und frei, kommt die Rolle der Familie an ihr Ende.
    Aber die neue Gesellschaft hat eine neue moderne Geschlechterdifferenz produziert und strukturiert. Der Mann repräsentiert seine Familie in der öffentlichen Sphäre, und die Frau wird die Zentralfigur der Liebe und des Glaubens in der Familie, also in der privaten Sphäre. Das ist die Geburt des Mythos der Mütterlichkeit. Gerade zu Beginn war Die Vorstellung von der Familie die Basis für die Menschenbildung, die Freiheit und die Gemeisamkeit der Geschlechter, aber mit der Vergrößerung der Entfaltungsmöglichkeiten für Frauen und der Verbesserung der Bedingungen für sie in Ausbildung, Arbeit und allen anderen Tätigkeitsfelder wurde die Familie in der Vorstellung so etwas wie ein Symbol für die Hinderniss, welche die Freiheit der Frauen einschränkten. Warum?
    Aus der Gender-Perspektive und im Dialog mit der feministischen Kritik werden die Möglichkeiten und Problematik der Familie als Basis der Bildung und Freiheit des Individuums in unserem Zeitalter diskutiert.
  • 柳川 孝二
    インターカルチュラル
    2023年 21 巻 42-63
    発行日: 2023/03/31
    公開日: 2023/05/01
    ジャーナル フリー
  • 北村 由美
    図書館界
    2015年 66 巻 5 号 312-324
    発行日: 2015/01/01
    公開日: 2017/05/24
    ジャーナル フリー
    本稿は,アメリカで最も重要な東南アジアコレクションの一つであるコーネル大学図書館ジョン・M.エコルス・東南アジアコレクションの分析を通して,冷戦下におけるアメリカの学問の進展と大学図書館の役割について考察することを目的としている。冷戦下における学問の発展については,冷戦終了以降数多くの批判的検討がなされてきているが,図書館という学術情報基盤を通した考察はほとんど見当たらない。本稿では,第2次世界大戦後からベトナム戦争期にかけて東南アジア研究発展の経緯を俯瞰した後,ジョン・M.エコルス・東南アジアコレクションの設立と発展の経緯を辿る。
  • 学術の動向
    1998年 3 巻 7 号 15-17
    発行日: 1998/07/01
    公開日: 2009/12/21
    ジャーナル フリー
  • 人口学研究
    2019年 55 巻 117-122
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/10/25
    ジャーナル フリー
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