日本地理学会発表要旨集
2003年度日本地理学会秋季学術大会
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大田植の習俗と地域社会
*三浦 宏
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キーワード: 大田植, 儀礼, 地域社会, 広島県
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p. 98

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抄録

 儀式、儀礼、祭礼、祭りなど、さまざまな言葉で表現される神と人との交流の場は、それと同時に人と人との交流の場でもある。ことに、「村の祭り」と称されるような、地域社会として行う儀礼においては、そうした社会的な側面が一層強く顕れる。人々は、共通の宗教的経験を通じて共同体としての連帯感を強めたり、儀礼の準備から後片付けにいたる過程のなかで社会集団内部における自己の位置と役割を再認識したりする。また、経済的な相互扶助が儀礼に伴ってなされることもある。 このような儀礼の社会的な側面については、それが明らかに存在するものであるにもかかわらず、あまり注目されてこなかった。それは、儀礼を非日常の特別な行為として捉えることが一般的であり、それを普段の社会生活との繋がりのなかで把握しようとする姿勢が希薄であったからであるといわれる(山路,1999)。しかし、儀礼の多面的な全体像を把握するためには、これまで充分試みられてきた儀礼の宗教学的解釈もさることながら、儀礼とそれを執り行う地域社会との関係を明らかにしておくことが重要ではないかと思われる。 このような問題意識から、報告者は2002年立正地理学会秋季例会(岡山)において、かつて中国地方で盛んに行われていた大田植の習俗を事例として、儀礼が地域社会のなかで政治的、もしくは経済的な機能を果たすことがあることを主に報告した。しかし、儀礼と地域社会とが互いに影響を与え合うものとするならば、これはそのうちの一方の作用を示したにすぎないことになる。 そこで、本報告では先の発表とは逆に、地域社会の在り方が儀礼の構成(日取り・式次第など)という、その聖性に関わる部分をどう規定していたのかという点について、同じく大田植の習俗を事例として報告したい。 そして最終的には、この大田植の習俗と地域社会の間における相互作用を示すことによって、地域社会との関わりのなかで醸成されるものであると同時に、地域社会そのものを動かす歯車のひとつでもあるという、儀礼の多面的な全体像の一端を導き出せるものと考えている。 なお、本報告では、調査対象として広島県豊松村下豊松と広島県西城町八鳥での事例を取り上げ、その2つの事例の比較によって論を進めることにする。また、対象とする年代は、文化財保護などの外部要因をなるべく排除する必要があることと、聞き取り調査を行うことのできる限界を考慮して、昭和10(1935)年ごろに設定した。

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