心理学は心的概念を量産し続けている。その一方で、行動分析学は心を行動の原因として想定しない方略を採っている。心を想定する研究プログラムと心を想定しない研究プログラムはどちらがよいだろうか。哲学や科学では古くから、「オッカムのかみそり」と呼ばれる原理を用いて知的活動に邁進してきた。オッカムのかみそりは、対象を不必要に増やすべきではないという注意喚起であり、哲学や科学で使用され、多くの発見をもたらしてきた。人間の知的活動はその正当性にまでおよび、対象を不必要に増やすべきでない根拠を解き明かそうともしてきた。そして、20世紀の近代統計学の台頭により、その正当化の役割は統計学が担うことになる。本稿ではとくに統計的な検定理論に注目し、科学哲学の観点からその論理を分析し、心を想定しない研究プログラムは心を想定する研究プログラムよりもよいことを示す。そして、科学的方法論として、行動分析学がましであることを主張する。