抄録
本稿はある個人がボディビルダーとなり、ボディビルへと専心していく過程とその論理について検討したものである。先行研究ではこれまで、生活の全てをボディビルに捧げるというような極端なまでの専心性をもってボディビルダーがボディビルに身を投じる様相が報告されてきた一方で、そのような専心性が招来される機制については十分に論じられてこなかった。そこで本稿は、ある個人がボディビルへと専心していく過程とその論理を明らかにすることを目的とし、ボディビルダーという存在の身体的次元における変容、特に身体的経験に着目しつつ検討を行った。
その結果、第一に、調査協力者らは結果が確約されない不確実な現実において、自身の努力に必ず成果をもたらしてくれる筋肉に対し「筋肉は裏切らない」という心的態度を形作り、それを動因にボディビルへと参入していることが明らかになった。
また第二に、ボディビルへと参入した彼らは、筋肉を発達させるために自身の身体の反応をつぶさにうかがい、それに準じて生活を規律するようになること、ここにおいて身体はその反応を介して生活に絶対的な規範を授ける超越的な他者としての機能を果たすようになることが明らかになり、以上の過程において調査協力者らは生活をボディビルへと収斂させ、ボディビルへと専心していったと推察された。
そして第三に、身体の反応に敬虔に従うようにして自身の行為を規律するボディビルダーの営為は、「こうでなければならない」という絶対的な指針が存在しない不確定な現実の中に、価値や行為に関する規範を生み出し、調査協力者らの生活、さらには人生に確固たる意味と目的を産出するという秩序化の機能を果たしていることが示唆され、ボディビルへと専心すればするほど自身の生活、そして人生の意味が明快で確実なものとへと秩序化されていくというこの論理こそ、ある個人がボディビルへと専心していく論理であろうと推察された。