生活大学研究
Online ISSN : 2189-6933
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6 巻, 1 号
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  • 菅原 然子
    2021 年 6 巻 1 号 p. 1-23
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    本論では、1944年8月から翌45年10月まで実施された、自由学園初等部(以下初等部)の学童集団疎開について、記録資料を手掛かりにその全体像を概観することを試みる。学童疎開の研究は主に1980年代末より始まり、特に当時の都内区部の国民学校については実施自治体や研究者等の調査研究により内容が明らかにされてきている。しかし、私立小学校の学童集団疎開については、学校数自体が少なかったこと1、また個別性が高かったことなどから、未解明な部分が多い。当時の学童集団疎開がどのようなものであったのか、その全容を明らかにするためにも、各私立学校での疎開の実施状況の調査分析は重要である。初等部は東京都北多摩郡久留米村(当時)に位置し、ここはそもそも疎開受入地であった。しかし区部から通学する児童が多かったために、学童集団疎開を決断。44年8月より学内の女子部(高等女学校相当の各種学校)寮内に「南沢疎開寮」を開設、最遠地区に住む児童から入寮させた。同時に地方への疎開についても検討し、栃木県那須郡狩野村に那須疎開寮を開設、同年9月より5, 6年が疎開した。区部に属さなかったことで、疎開場所の選定や輸送等、学校独自に決定する必要があったこと、そこには保護者の協力があったこと、区部の管轄下ではなかったものの、国や都の学童疎開政策にはおおよそ則った疎開であったこと等が明らかになった。
  • 原始エルサレム教会から後二世紀まで
    大貫 隆
    2021 年 6 巻 1 号 p. 24-43
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    生前のイエスによるエルサレム神殿倒壊の予言(マルコ14, 58)は,復活信仰成立後間もない原始エルサレム教会の中で再び活性化された.それは使徒言行録と全書6–7章に記されたステファノ殉教事件から読み取られるように,復活のイエスが天上から再び到来するという待望と結びついていた(第I節).その待望は満たされずに終わり,ステファノを含むギリシア語を話すユダヤ人キリスト教徒はエルサレムから離散した.しかし,アラム語を話すユダヤ人キリスト教徒は残留した.やがてペトロに代わって「義人」(主の兄弟)ヤコブが指導権を掌握した.以後その系譜に連なりながら後二世紀までさまざまな分派として存続したパレスチナのユダヤ人キリスト教のことを「ユダヤ主義キリスト教」と呼ぶ.第II節で取り上げる『ヘブル人福音書』の断片は,ユダヤ主義キリスト教のキリスト論が初期の「人の子」キリスト論であったことを推測させる.それは義人ヤコブに顕現する復活のイエスを「人の子」と明示している.第III節では,義人ヤコブの最期に関するヘゲシッポスの報告から,ヤコブとその仲間が「人の子」イエスの再臨を待望していたことが論証される.そこでは,生前のイエスが織り上げていた「神の国」についてのイメージ・ネットワークが,原始エルサレム教会の復活信仰によって補正された上で,継承されていることが証明される.同時に,ヤコブが時の大祭司によって「律法を犯したかどで」処刑されたというユダヤ人歴史家ヨセフスの証言から,ヤコ ブがモーセ律法の中の「供儀」条項を拒否していたと推定される(仮説1).第IV節では,AD 70年のローマ軍によるエルサレム神殿の陥落直前に,原始エルサレム教会がヨルダン川東岸のペラ(Pella)へ脱出したこと,その根拠となったのがキリストによる「天啓」あるいは「命令」であったという証言が取り上げられる.その証言はヘゲシッポス,エウセビオス,エピファニオスという教父たちの他,後二世紀のユダヤ主義キリスト教に属する外典文書『ペテロの宣教集』の中に見出される.そこでも,イエスは「人の子」とされ,二回にわたる到来が語られる.一回目は生前のイエスのことで,彼は「真の預言者」として「供儀の廃止」を予言したと言う.二回目は差し迫った再臨のことで,その時初めて「供儀の廃止」が実現されると言われる.おそらく,ローマ軍によるエルサレム陥落の直前には,生前のイエスによる神殿陥落予言(マルコ14, 58)がまたもや活性化され,それがキリストによる「天啓」あるいは「命令」と解釈されたものと推定される(仮説2).第V節では,皇帝ドミティアヌスがイエスの親族(ひ孫)を直接尋問して,その終末待望について問い質したという,またもやヘゲシッポスの報告が分析される.イエスの親族が語る「神の国」は,「人の子」イエスの再臨によって実現されるという点で,原始教会の復活信仰による補正を経ているが,生前のイエスの「神の国」のイメージ・ネットワークをよく留めている.
  • 自由学園資料室の親組織への資料活用活動から
    菅原 然子
    2021 年 6 巻 1 号 p. 44-55
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    アーキビストとは、ある組織体の記録資料を管理し活用するための任務にあたる専門職員のことを指す。歴史ある私立学校の多くは、常に創立者の理念を継承し、その現代的な意味付けについて考察することでアイデンティティの確立を行っている。それは、教職員、在校生、保護者など、組織に属するすべてのメンバー内で共有され、検討されていく。本論は筆者の勤務先である私立自由学園をフィールドに、私立学校の組織運営に、アーキビストがどのようにかかわっていけるかを、親組織への資料活用活動を主軸に検討する。1921年、ジャーナリストである羽仁もと子・吉一夫妻によって創立された自由学園は、2021年に創立100周年を迎える。創立者を直接に知る卒業生が少なくなる中、本校教職員中卒業生は約半数となり、過去を知るための道具として学校アーカイブズズの必要性は増している。機関アーカイブズ、収集アーカイブズ1から成る、トータルアーカイブズを、どのように提供していくことが親組織のためになるのか、具体的方法も併せて検討する。なお本論は、同タイトルである2019年度アーカイブズ・カレッジ(国文学研究資料館主催)の修了論文を一部改訂したものである。
  • 国語科・地理歴史科の教科横断型実践を事例に
    高野 慎太郎, 津山 直樹
    2021 年 6 巻 1 号 p. 56-75
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    本研究は、子どもの声を反映した教科横断型カリキュラムの創発過程を分析することによって、生徒と教師における中動態的関係を明らかにするものである。そのために、アクティヴ・インタビューによって得られたデータの分析を行う。教科横断型の授業においては、生徒と教師の間だけでなく、教師と教師の間にも中動態的な関係性が現れる。アクティヴ・インタビューからは、そうした輻輳化した中動態的な関係の中から新たな実践が創発される様子が明らかとなっている。また、教科横断型の授業による効果としては、「地理で情報を得て、考察を国語で行う」「教科横断によって問いを持ち越すことができた」といった生徒の語りに象徴されるような、各教科の特性と限界を補完しあう形での相乗効果が見受けられた。
  • 村上 民
    2021 年 6 巻 1 号 p. 76-90
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    本稿を含む二つの論考によって、戦時下における自由学園の教育を二つの観点から検討する。(1)学則変更や各種認定申請といった制度整備が各種学校たる自由学園にとって存続問題に関わる課題であったことを明らかにし、(2)戦時下の「生活即教育」の諸相を学徒勤労動員も含めて概観する。こうした制度と教育実践の両面から、戦時下における自由学園の全体像の把握を試みる。ここで取り扱う「戦時」とは、1937 年7 月7日の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していく時期から1945 年8 月15 日の終戦前後までの時期とする。羽仁もと子、吉一夫妻の教育事業は、1921年創立の自由学園(高等女学校相当と高等科)から始 まり、1930年代にかけて、初等教育、男子中等教育へと広がっていた。1937年時点で、自由学園(女子教育)、同小学校(1927年設立)、同男子部(1935年設立)の計3つの学校が設立されていた。女子部および男子部は高等女学校令・中学校令に拠らない各種学校の7年制中等教育で、専検指定(上級学校への接続、兵役上の特権等)を受けていなかった。自由学園は当時の学校教育制度の周縁部に位置し、教育行政の規制を受けにくく自由度が高かった一方、制度的には脆弱な立場にあった。戦時体制下の教育政策は統制を強め、自由学園は学校存続の危機に複数回直面した。青年学校男子義務化(1939年)に伴う男子部存続問題や、中等教育令(1943年)による各種学校整理(廃止)方針に伴う自由学園存続問題、校名変更要求がそれであり、その都度自由学園は学則変更等を試みつつ、教育の独立性や校名「自由」についてはあくまで堅持する姿勢を貫いた。
  • 村上 民
    2021 年 6 巻 1 号 p. 91-117
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    1937年7月の盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が全面化していくが、政府は戦争遂行に「挙国一致」してあたるため「国民精神総動員運動」を展開し、学校教育にも積極的な参加をもとめた。こうした戦時下国民生活の「刷新」の動きに対して、自由学園は、1930年代から顕著になっていた「自由学園教育の社会化」の動きとも連続した形で、生活教育、工作教育、農業、音楽、体操、工芸など多方面にわたって取り組んだ。この背景には近衛体制を支える昭和研究会の社会改革・教育改革との関わりもあった。自由学園女子部・男子部(中等教育)における「勤労奉仕」や「学徒動員」は、男子部の「工作」(工業、つづいて農業)と接続して実施され、女子については衣食住研究や農村セツルメント実践とも連続的に行われた。つまり、自由学園で行われてきた戦時の様々な「勤労」は、単に形式的あるいは強制されて実施したものではなく、自前の方法で主体的かつ積極的に行われた側面がある。とはいえ、こうした実践を国や文部省が指示してきた勤労奉仕・勤労動員の措置と併せてみると、明らかに対応関係がみられる。戦争の長期化に伴い学校教育は年ごとに圧迫され、1945年にはついに授業停止の状況に陥った。この間自由学園は存続問題への対応に苦慮していたが、勤労奉仕・動員、男子部修業年限短縮、学校工場化、学童疎開、幼児生活団休止等に直面した。学徒動員や疎開、男子卒業生の出征によって生徒・卒業生の命が失われた。戦時の生活のなかに学びを見出そうとする努力が重ねられたが、敗戦により、戦争遂行のための「学徒勤労動員」と「学童集団疎開」は終了し、その片付けやまとめにも生徒自身が深く関わった。戦時下に自由学園の教育に関わった人々によって、多くの記録が作成された、それらを記録群として丹念に注意深く再構成していく作業によって、戦時下自由学園の教育のなかにある様々な継続と切断の実相に迫る可能性がある。
  • 学校設立と交流の歴史
    早野 曜子
    2021 年 6 巻 1 号 p. 118-128
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    2020 年5 月1日にデンマークにあるオレロップ体育アカデミー(旧称:オレロップ国民高等体操学校)が創立100周年を迎えた。1920年に創立されたオレロップ体育アカデミーと1921年に創立された自由学園は1931年以来90年に亘り学校間交流が続いている。デンマークのフォルケホイスコーレ(国民高等学校)として創立されたオレロップ体育アカデミー(以後オレロップ)と自由学園の教育理念を検証すること、学園生のオレロップへの留学経験がその後の人生にどのように影響しているか、また90年間の国際交流の変遷・今後の課題について留学生へのアンケートとインタビューから検証する。本稿「(その1)―学校設立と交流の歴史―」では、オレロップ体育アカデミーおよび自由学園の創立の背景と教育理念、またデンマーク留学について歴史的変遷を概観する。
  • 自由学園・全国友の会・婦人之友一体となって
    遠藤 邦子
    2021 年 6 巻 1 号 p. 129-142
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    本稿は、自由学園が「婦人之友」「全国友の会」と一体となって行った社会活動のうち、農村への運動について述べる。この運動は、自由学園南沢キャンパスの地元・当時は純農村であった東京府下久留米村での「自由学園農村セットルメント」に始まり、昭和恐慌以降、「全国友の会」が中心となって『婦人之友』と共催した「東北農村生活合理化運動」「東北セットルメント」に展開し、戦後の「農村文化運動」へと継続した。自由学園・全国友の会・婦人之友社の3団体は、同じ創立者羽仁もと子・吉一夫妻のもとに新しい社会建設の理想を共有し、教育機関、社会活動団体、出版社とそれぞれの特質を活かして、共にこの運動に携わった。特に農村への運動と災害救援の分野では一体となって活動した歴史がある。学園では戦前期には主として女子部卒業生、戦中から戦後は主として女子部最高学年の生徒・学生が携わり、まさに「学校から社会へ」働きかける、大きな経験となった。ここでは、当時用いた「セットルメント」の表記を用いる。なお、本稿は2021年刊行予定の自由学園100年史(書籍版)第III部第3章の詳細版としての位置づけを持っている。
  • 吉川 慎平, 村上 民
    2021 年 6 巻 1 号 p. 143-147
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    1921年創立の自由学園は、2021年に100周年を迎えることを記念し年史編纂事業を進めている。その成果の一部はWebでの公開を計画しており、100余年分の詳細な基礎年表(レコード数約3,000件)がコアのコンテンツとなる予定である。一方、自由学園は小規模学校ながら全国各地で教育活動が展開したという特色があり、これを効果的に表現する方法として、各レコードに位置情報を付与し、Web GIS等の技術を用いることで、100 年間の教育活動を時空間的に可視化できないかと考えた。本稿では100年史関連論考として、自由学園基礎年表情報の空間分析結果と空間的可視化の試行結果について示す。
  • 染料植物・薬用植物栽培と戦後の自然誌報告
    大塚 ちか子, 下野 明子, 松田 こずえ
    2021 年 6 巻 1 号 p. 148-156
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    武蔵野南沢の自然誌(I)に記した自由学園女子部18回生による『南澤花鳥暦』(1940年完成)とほぼ同時期から男子部2回生によって行われた武蔵野百花園と、その後の染料植物・薬用植物の栽培について、当時の『学園新聞』(自由学園出版局発行)の戦時下(1939~1941)の記事から紹介する。武蔵野の美しい植物を残そうという努力であったと言えるが、次第に空き地農業による食料増産に移っていく。自然誌の学びが伺える。なお、この武蔵野南沢の自然誌についいて、さらに南沢キャンパス移転後の自由学園の自然誌資料を紐解くことになり、連載として報告を重ねることになった。そのため、現在および今後の武蔵野地域の自然誌研究に資することを願って、戦後の自由学園の自然誌報告から紹介した。
  • 遠藤 敏喜
    2021 年 6 巻 1 号 p. 157-161
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    2019 年度最高学部(大学部)4年課程卒業研究は16人が13のテーマに取り組んだ(個人研究12・共同研究1).2年課程卒業勉強は3人がひとつのテーマに取り組んだ.成果はそれぞれ論文にまとめられ,2020年2月22日(土)開催の報告会で学内の関係者ならびに学外からの招待者にむけて発表された.この時期,新型コロナウイルス感染症が世界的に蔓延し始めていたが,国内でも感染者が確認されたことから,報告会は来場者数を縮小し,常時換気をするなどの対策を講じての開催であった.学生の代表は1年間の研究活動を振り返って「"いのち"を燃やして研究に取り組んだ」と語った.
  • 神 明久
    2021 年 6 巻 1 号 p. 162-163
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/04/21
    ジャーナル フリー
    自由学園最高学部(大学部)の2019年度生活経営研究実習報告会は2020 年2 月28 日に行われた.1年生と2年生の全員が,所属する研究実習ごとに,活動内容や考察を口頭発表した.
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