周知のように、内観は屏風という非日常の空間に籠って、静座しつつ、自分自身と向き合うことが求められる。その結果、様々な声や音が現出することがある。それは沈黙が生んだ作品であり、「音霊」と言ってよいだろう。
それは言葉(言霊)とおなじく人間存在に欠かせないものだ。ここでは、内観面接の陪席中に逆転移による頭痛を発症した陪席者がそれを鎮めるために自分の中から生まれてきた言葉(詞)に音を乗せたところ頭痛が治まった。それを音楽療法の視点から考察を加えて報告することにした。
われわれは、西日本にある13少年院における内観法(集中内観)の実施について調査したところ実施施設が減少していることが判明した。その一方で、内観法を実施している少年院では、内観法は、日々の矯正教育と一体化することで、相乗効果を発揮しており、内観法がメタ認知能力と自分と他人に対するグッドイメージを育成していた。近年では、虐待経験のある在院者が増加しており、それら在院者は、虐待経験を想起させる理由から、内観法が不適切と考えられている。そこで本稿では、内観法がマインドフルネスへの置き換えが可能かどうかについて検討した。検討した結果として、メタ認知能力の育成の観点からは、内観法の代用としてのマインドフルネスの活用も十分に考えられる。ただし、人間の心の発達にとって必要不可欠なことは、心の中にある自己と他者のグッドイメージをいかに育てるかということであり、これは内観法に備わった優れた特性であることが示唆された。
本研究では、大和内観研修所で立ち上げた「つながりの会」のメンバーを対象として、研究1のアンケート調査及び研究2のインタビュー調査を行い、日常内観を継続するための「つながりの会」の意義を検討した。研究1では、「つながりの会」に入会する動機・目的として7つのカテゴリー、継続的に「つながりの会」に参加する理由として9つのカテゴリーをまとめた。研究2では、3つの事例を取り上げ、「つながりの会」に入会してから現在まで起こった変化プロセスをM-GTAで分析した。さらに、「居場所としての存在」「自己開示できる場」「勉強になる場」「仲間同士と繋げる場」といった主な「つながりの会」の意義を考察した。
真栄城(2005,2006)は、第1回~第27回大会、辻田ら(2011)は、主に第28回~第34回大会の日本内観学会大会一般演題の動向を分析し報告している。本研究はその後、第35回~第44回大会までの10年間の続報である。真栄城(2005,2006)、辻田ら(2011)との比較をしつつ動向を分析した。調査内容は、報告数、報告者数、報告者の所属の内訳などの形式的側面と、各報告の研究方法や使われた内観の種類、心理検査の種類、研究テーマなどの内容的側面である。また全44大会の報告数・報告者数をまとめ、今回は単独研究と共同研究数の調査も加えた。形式的側面では、共同研究の増加、女性の報告者の増加などが見られ、内容的側面では、実践報告、日常・分散内観を扱った研究の増加、内観の種類と研究テーマの多様化が見られ、時代の変化に合わせた新たな取り組みや工夫がなされていることが示唆された。
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