科学基礎論研究
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23 巻, 2 号
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 柏端論文「行為と道具」およびデイヴィドソン型分析をめぐって
    鈴木 美佐子, 藁谷 敏晴
    1996 年 23 巻 2 号 p. 53-58
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    柏端氏は論文「行為と道具」において, 道具を表す副詞句を含む行為文の興味深い分析を展開している。その分析は, デイヴィドソン的な論理分析を基本的には保持する仕方で, デイヴィドソン的な分析によっては扱うことのできない行為文に論理形式を与えるものである。しかしわれわれは, デイヴィドソン型分析それ自体に関して基本的な疑義を感じることから, 本論を柏端氏への反論として発表する次第である。われわれの感じている疑義及びそれに関する考察の結果を端的に言うなら, 主に以下の三つの論点においてデイヴィドソン型の分析が妥当ではないということである。すなわち, デイヴィドソン型分析は (1) 因果関係を含む推論を十分に明らかにしないまま遂行され, なおかつ (2) 出来事存在論に立脚しているが, それは不自然であり, (3) 行為の個別化について十分な考察が行われていない, ということである。われわれの主張は, 行為に関する推論に関して, 出来事存在論を仮定する必要はなく, それらは単に因果関係を含んだ三段論法として処理できる, ということである。
  • 八杉 満利子
    1996 年 23 巻 2 号 p. 59-64
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 渡辺 恒夫
    1996 年 23 巻 2 号 p. 65-71
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2010/05/07
    ジャーナル フリー
  • ヤスパースによる「超越」的思考の意義
    今本 修司
    1996 年 23 巻 2 号 p. 73-78
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 佐藤 英明
    1996 年 23 巻 2 号 p. 79-84
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    従来, 絵画的描写は言語的記述と異なり, その対象との間に何らかの「類似性」が存在するものと考えられてきた。だが, N.グッドマンは『芸術の諸言語』において, そのような考え方が誤りであることを指摘し, 言語的記述と絵画的描写との違いは, その記号系が「稠密」か否かに求められるとした。本稿は, このグッドマンの理論の難点を明らかにし, その克服の方途をフッサールの像理論に見いだそうとする試みである。そして, それによって, 逆にフッサールの像理論をグッドマンの理論に基づいて再構成し, そこに「類似性」を考察する新たな視点を求めたい。
  • 真船 えり
    1996 年 23 巻 2 号 p. 85-90
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 横山 (中村) 幹子
    1996 年 23 巻 2 号 p. 91-96
    発行日: 1996/03/31
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    日常生活では, 自分が見ているものと他人が見ているものが違うものであると考えることはあまりない。たとえば, チョークの場合を考えてみよう.自分の目の前にあり, それを手で持ち上げ, それを使って黒板の上に文字を書くことができるチョークについて,「このチョークは, 私にはあるように思われるけれども, 他の人にとっても同様にあるとは限らないんだ」と言う人はそんなにはいないだろう。しかし, 哲学的と言われる話になると, そのような考えを論じることは, 非常に一般的なものになる。ここでは, そのような相対主義から逃れることができるのかを考えたい。その際, 以下のような順序で考察する。まず, どのような理由で, 相対主義的な考え方がでてくるのかを考える。それから, 相対主義がでてくる状況を認めたうえで, そのような立場をとらないことができるのかを考える。そして, その際, パトナムが「デユーイ・レクチャー」のなかで提出した「自然な実在論」という考えがその候補になりうるのではないかということについて考察する。(1)なぜなら, 彼はそのなかで, 知覚作用は外的な対象と心との間の中間領域を含んでいるという考えがどのようにしてわれわれの心が外的な世界と関係するかという問題を引き起こし, それによって形而上学的な実在論や観念論や相対主義などのいろいろと問題の多い考えが生じるとし, そのような誤りを犯さない道として「自然な実在論」という考えを提出しているからである。
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