科学基礎論研究
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29 巻, 2 号
選択された号の論文の10件中1~10を表示しています
  • 鈴木 延寿
    2002 年 29 巻 2 号 p. 53-59
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 中山 康雄
    2002 年 29 巻 2 号 p. 61-67
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    Quine (1951) の後半部は, 経験主義的全体論の構想を描いている.クワインの描いた描像は全体論の一つの形を示している.デイヴィドソンは, 概念枠と内容の二元論を否定し経験主義的でない全体論の道を取ろうとしたが (Davidson (1974) 参照), 科学活動の発展に注目する時, それがクワインの描いた全体論を超えるものとは必ずしも言えない.それは, デイヴィドソンの全体論には, 発展し変貌していく信念のダイナミズムが欠けているからであり, この点に関してはクワインの全体論の方が優れているからである.
    しかし, クワインの経験主義的全体論は, この立場が取りうる一つの形態にすぎない.それは, 信念変更に関する保守主義を含んだ経験主義的全体論である.本稿では, 'ローダン (Larry Laudan) が唱える進歩主義を経験主義的全体論に取り入れることができることを示し, これにより経験主義的全体論者が複数の戦略を取りうることを示したい.
  • ファーマースとディークスの様相解釈の検討
    佐藤 俊治
    2002 年 29 巻 2 号 p. 69-74
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
    近年, 哲学者の関心をひいている量子力学解釈の1つに, 様相解釈modal interpretationがある.様相解釈は次のことを狙った解釈である : シュレディンガーの猫のパラドクスに陥ることなく, 収縮なしの理論を構築すること.そのための戦術として, 様相解釈は量子系を特徴づける2種類の概念装置を用いる.すなわち, 通常の (量子力学的) 状態stateのほかに, 新たに性質propertyを導入する.これら二重の記述を巧妙に使いわけ-誤解を恐れずあえて一言でいえば, 状態をもちいて予測をし, リアリティについては性質をもちいて語る, ということをおこなう-いま述べた目的を果たそうとする試みが, 様相解釈の研究プログラムである.
    現在, 性質を具体的にどう定義するかにかんし, 複数の提唱が並存している.様相解釈という語はそれらの総称であり, 多くの論者がいずれか/いずれものアイディアを, あるいは展開し, あるいは批判する議論を戦わせている.しかし, 中でもとくに議論の俎上にのぼる機会が多いのが, ファーマースとディークスによる提唱である (Vermaas and Dieks 1995, ファーマース-ディークス様相解釈とよぶことにする).本論では, これを取りあげ, 論じる.
    ファーマース-ディークス様相解釈は次の2点をその基本アイディアのうちに含む.一方で, ある時刻に1つの合成系を成す諸部分系が, おのおのに, 自身の性質を所有するさいの (同時) 結合確率が, 明示的に定義される.他方で, 性質のダイナミクスが認められる.そのさい, 性質ダイナミクスが安定性テーゼstabilitythesisとよばれる条件を満足することが, 通常, 要請される.安定性テーゼを認めるとき, 本論のいう相互独立性テーゼを認めることが自然である (いずれのテーゼも詳細は後述).しかし, 以上のアイディアを十分実現可能なある具体的実験状況に適用するなら, 矛盾を生じる.本論はこの点を示す.結論は次のとおり : 《安定性テーゼ, かつ, 相互独立性テーゼ》と, 《同時結合確率の定義》とが, 両立しない事例が存在する.
  • 網谷 祐一
    2002 年 29 巻 2 号 p. 75-80
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 水本 正晴, 石川 幹人
    2002 年 29 巻 2 号 p. 81-87
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 福田 敦史
    2002 年 29 巻 2 号 p. 89-95
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2010/01/20
    ジャーナル フリー
  • 三浦 謙
    2002 年 29 巻 2 号 p. 97-102
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 前田 高弘
    2002 年 29 巻 2 号 p. 103-109
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
    知覚の因果説は知覚に関心を持つ哲学者や心理学者によって広く受け容れられているように見えるが, 反対する者もいる。哲学的テーゼに反対者は付き物であるから, そのことは不思議ではないとも言えようが, 私にはやや奇妙に思えるところがある。知覚の因果説は基本的に知覚の概念に関するものであるが, 事実として知覚が生起するための因果的機構が科学的にある程度説明され, かつ反因果論者たちもその種の因果的機構の存在を否定するわけではなく, さらに一般常識も知覚の因果説的な捉え方を抵抗なく受け容れることができる (あるいは現に受け容れている) ように見えるのに, なぜ反因果論者たちは, 知覚の概念そのものは因果説的ではない (あるいは因果説的に捉えるべきではない) と敢えて主張する必要があるのか。実際, 私にはその理由が見当たらない。むしろ, 知覚の概念は因果説的であると考える方が理に適っているように思われる。そのことを論ずるのが本稿の目的であるが, 以下の議論は専ら視覚を問題にしている。反因果論者たちはすべての感覚様相について因果説を批判しているわけではなく (cf. [9] p.295), 批判の対象になるのは基本的に視覚か聴覚であり, 私が視覚の因果説を擁護するために持ち出す論点が視覚以外にも当てはまるわけではないからである。いずれにせよ, 私がここで論じたいことは, 敢えて控えめに言えぼ, 少なくとも視覚に関して因果説を拒否すべき理由は見当たらないということである.
  • 本橋 信義
    2002 年 29 巻 2 号 p. 111-115
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2009/07/23
    ジャーナル フリー
  • 竹尾 治一郎
    2002 年 29 巻 2 号 p. 117-119
    発行日: 2002/03/25
    公開日: 2010/05/26
    ジャーナル フリー
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