一、幕政時代における貸与山林は、恰も封建経済における農業の場合、山林は農業の付属物であり、営農用不可欠の生産手段供給の役割を果たしつつ、それは小作農民を小作地に緊縛し、高い小作料の実現を維持する役割を果たして来た如く、幕府が鉱山よりの収奪を支える重要な役割を果たして来たと考えられる。しかし、幕末に到り、その山林も商品化→独立経営への契機を持つが、外部よりの木炭購入を幕府助成金によつて行う方向で解消され、意識的に山林経営をはかる事は成されず、消極的に伐採跡地の萌芽更新林の伐採、利用を行つたに過ぎない。二、明治期、とくに明治三十年頃迄は住友資本の原始蓄積期に当るが、その資本蓄積を明治政府の殖産興業政策は林産物面で、大面積の国有林を貸与し、大量の国有林立木、廉価払下げなどによる原木廉価供給を保証し、それを助けた。その山林利用、生産は旺盛な採取林業の形で進められた。しかし、銅山近代化に伴う、その林産物需要面の変化と原木枯渇は、外部材の購入を必要とし、林地地価の昂騰を齎らした為、私有林地(会社有林)の拡大、確保及び専有林野に造林投資が行われ、積極的な育成林業への転換が進められた。以後、昭和戦前迄の過程は、その育成林業の成立過程であるし、又林業部門独立化の準備過程と考える事が出来る。三、戦後の林業部門の自立は、政治的契機によつて行われたが、その自立の條件は既に戦前において熟してしたものと考えられる。しかし、その林業経営の実質は依然として鉱山備林であり、その鉱業に対する従属性のために、林業経営のみの私企業的成立は不完全であり、それを補完する営業部門の拡大がなされたものと見ることが出来る。
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