ペンション
とはホテルの現代的な設備を備え、家族経営による民宿風サービスをする宿泊施設である
ペンション
の多くは、1970年代頃から長野県や福島県、群馬県や山梨県などに多く見られるようになった。1980年代頃には、若者を中心に一種のブームとなり、
ペンション
に宿泊すること自体が観光の目的と化した。福島県は長野県についで多くの
ペンション
が見られ、そのほとんどが磐梯山北麓地域を中心とした裏磐梯地域に位置している。本研究では当該地域において、1980年代初頭から経営を続けてきた2戸の
ペンション
A、Bで聞き取り調査を行い、借入金や経営状況の変遷について情報を得た。また各種資料や統計から
ペンション
の歴史と経営の特徴、ブーム終焉後の経営者家族と地域社会との関係について考察した結果を報告する。 裏磐梯地域における観光開発と
ペンション
1950年に周辺の火山群とともに磐梯朝日国立公園に指定された裏磐梯地域は,1987年に総合保養地域整備法(リゾート法)が制定され,バブル崩壊まで大型保養施設中心の観光開発が進んだ。家族経営が中心の
ペンション
は1972年に裏磐梯に登場し,1978年には約20戸、1980年頃には38戸、90年代には60戸を超えるようになった。バブル崩壊後にはエコツーリズム運動を通じた環境保護活動も行われるようになり、主要自治体の北塩原村は「最も美しい村連盟」にも加盟している。2023年夏の筆者調査時には47戸の
ペンション
が現役で営業していた。
集客方法と売り上げのピークについて 聞き取りを行った両
ペンション
とも、関東出身のいわゆる「脱サラ」世帯で開業当時は経営が大変な時期もあったが、1986年の猫魔スキー場開業以降売り上げが増加し、80年代後半の経営ピーク時には年間2000~3000万円を超えることもあった。
集客に関しては
ペンション
供給会社の指導もあり、こまめにダイレクトメールを送り、リピーターや口コミによる集客を続けてきた。
ペンション
Aでは現在でもリピーターを中心とした常連客が多く、2020年に閉業した
ペンション
Bでも最後の1年には常連客が多く訪れた。 東日本大震災の影響とその後の
ペンション
両
ペンション
とも経営初期には、経営者夫婦の親世代が経営を手伝っていた。繁忙期にはアルバイトを雇うこともあったが、バブル崩壊後は経営者夫婦の高齢化とともに、経営規模を徐々に縮小させていった。2011年の東日本大震災以前には、夫婦二人のみの経営に切り替え、客数も制限していた。震災時には宿泊客の減少もあったが、東京電力の補償金などもあり、廃業を検討するほどではなかった。震災をきっかけに裏磐梯地域で閉業した
ペンション
は1戸のみである。経営者夫婦の子供たちは関東方面に進学・就職することが多く、
ペンション
を継ぐ例は少ない。経営者夫婦は終活を見据えながら、自分たちの趣味や地域活動に取り組んでいる。その一方、かつて家族経営が中心とされた
ペンション
の中には、建物を増築して従業員を雇うものも現れ、裏磐梯の
ペンション
事情は様変わりしつつある。
抄録全体を表示