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クエリ検索: "リベリア"
920件中 1-20の結果を表示しています
  • *大橋 岳
    霊長類研究 Supplement
    2018年 34 巻 P04
    発行日: 2018/07/01
    公開日: 2018/11/22
    会議録・要旨集 フリー

    ギニアのボッソウでは40年をこえ野生チンパンジーの調査がおこなわれてきた。しかしボッソウの集団は2018年現在7個体まで減少している。ボッソウ周辺の別集団のチンパンジーについても生息状況を把握し悪化させないよう取り組む必要がある。近隣のニンバ山厳正自然保護区やディエケ森林保護区などで調査が展開されてきたが,保護区に指定されていない森は

    リベリア
    方向へも続いている。現在はチンパンジーが生息していても,保護区でないため鉱物採掘や木材伐採などの開発にさらされやすい。隣国の
    リベリア
    へ日本人研究者が活動を展開するだけでなく,さらにはギニアと
    リベリア
    両国が国境を越えてチンパンジーの保全のために協力する体制を整えることが望ましい。
    リベリア
    側でのチンパンジーに関する基礎的なデータの収集蓄積とギニア・
    リベリア
    両国間の連携体制強化を目的に2018年2月から3月にかけて,
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    共和国パラの森でチンパンジーの調査をした。パラは保護区ではなく地域住民が利用する森だ。チンパンジーの道具使用などの行動をカメラトラップで記録しデータを蓄積することができた。ギニア人研究者が
    リベリア
    への森林の連続性を再認識してもらえるよう,
    リベリア
    側にギニアの国立大学所属の研究者を案内し,はじめてパラで共同調査した。
    リベリア
    の関係者は人慣れしたチンパンジーを観察した経験がない。
    リベリア
    人スタッフをボッソウに案内し,終日の調査に参加してもらった。今回の調査で,この地域におけるギニアと
    リベリア
    との連携体制の基礎をつくることができた。国は異なるが,国境を越えて同じマノン語を話す人々が生活している。今回の調査に同行した関係者もマノン人だ。地域住民は彼らの森のなかでのチンパンジー調査をうけいれてくれているが,さらに今回の連携体制のなかでチンパンジー保全の重要性が伝わることを期待している。

  • *大橋 岳
    霊長類研究 Supplement
    2006年 22 巻 P-32
    発行日: 2006年
    公開日: 2007/02/14
    会議録・要旨集 フリー
    ギニア共和国ボッソウでは1976年以来、野生チンパンジーの長期継続研究がおこなわれてきた。遊動域はボッソウ村の中心にある4つの小さな丘が中心であり、ニンバ山系とはサバンナによって隔てられていることから、孤立した小さな森と捉えられることが多い。しかし実際には河辺林がニンバ山系まで続き、
    リベリア
    との国境方向へは森が連続している。このような環境で、ボッソウのチンパンジー6個体が
    リベリア
    の国境を越えて遊動した。6個体の構成は3個体のオトナオス、2個体のオトナメス、1個体のワカモノオスだった。
    リベリア
    国内で調査した結果、直接観察には至らなかったものの多くの食痕を確認した。また、当該日に使用したと思われるネストを発見した。6個体は翌日の午後まで
    リベリア
    側で遊動し、夕方にはギニア側に戻って泊まったようだった。当日のネストを国境近くの森で確認した。次の日の午後に6個体はボッソウに戻ってきた。また、今回訪れた
    リベリア
    の森で古いネストをいくつか確認できた。このような
    リベリア
    への遊動は今回が初めてではないと考えられる。今回、チンパンジーをボッソウの森で観察できなかったのは2日間だけである。遠隔地での追跡が困難なこともあり、これまでの研究で見逃されていた可能性が高い。
    リベリア
    では近年まで内戦のために治安が不安定だった。ボッソウから国境まで近いにもかかわらず国境を越えた近隣の森で野生チンパンジーの調査はおこなわれてこなかった。2005年11月に内戦後初の選挙によって新しい大統領が就任したこともあり、国連の監視の下で
    リベリア
    の治安は改善しつつある。ボッソウのチンパンジーが国境を越えて遊動することや
    リベリア
    側での他群の存在可能性を考えると、トランスフロンティアな視点で研究および保全活動を進めていく必要があるだろう。
  • 真島 一郎
    アフリカ研究
    1993年 1993 巻 43 号 77-97
    発行日: 1993/09/30
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 地学雑誌
    1905年 17 巻 3 号 214a-216
    発行日: 1905/03/15
    公開日: 2010/12/22
    ジャーナル フリー
  • 池上 幸江, 鈴木 孝彦, 三枝 正則, 高居 百合子, 岩尾 裕之
    コールドチェーン研究
    1978年 4 巻 3 号 109-113
    発行日: 1978/09/25
    公開日: 2011/05/20
    ジャーナル フリー
    輸入冷凍クルマエビの貯蔵による化学的変化と栄養価について, インドネシア産,
    リベリア
    産2種を-20℃でそれぞれ16カ月, 18カ月間貯蔵することによって検討し, 次のような結果を得た.
    1. 2種のエビとも貯蔵中に死後硬直による蛋白変性は認められたが, 蛋白質に対する冷凍変性は認められなかった.また, TCA可溶性窒素化合物は貯蔵中にわずかな増加が認められた.
    2. クルマエビでは魚類に一般的な燐脂質の分解は認められず, むしろトリグリセライドの分解が示唆され, また, 酸化変敗もみられなかった.
    3. インドネシア産,
    リベリア
    産いずれのクルマエビでも, ATP関連化合物からみた鮮度はかなり良好に保持されていた.
    4.
    リベリア
    産クルマエビを, 6カ月貯蔵, 15カ月貯蔵後, それぞれ凍結乾燥粉末とし, Wistar系幼雄ラットに投与し, その栄養価を比較したところ, カゼインとほぼ等しく, 貯蔵による影響も認められなかった.
  • アフリカにおける「貸与される軍隊」の伝統
    落合 雄彦
    アフリカ研究
    1999年 1999 巻 55 号 35-49
    発行日: 1999/12/20
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    West Africa was the most peaceful sub-region in Africa until the end of the 1980s. Although the other African sub-regions faced devastating civil wars and severe interstate conflicts, apart from the Nigerian Civil War (1967-70), in the Cold War era West Africa underwent neither large-scale international conflicts nor prolonged civil wars which threatened sub-regional security. However, this starkly contrasted with widespread internal violence and military coups in the sub-region. Nearly a half of successful military coups in independent Africa took place in West Africa. The reality of Pax West Africana in the Cold War era can be characterised by negative and limited peace with domestic political instability such as military coups.
    However this negative sub-regional peace was broken by the erupt of civil wars in Liberia and Sierra Leone. The Economic Community of West African States (ECOWAS) played a leading role in conflict resolution of the virulent civil wars, establishing the ECOWAS Cease-fire Monitoring Group (ECOMOG) at its own initiative and militarily intervening in the conflicts.
    The aim of this article is to examine the root of ECOMOG. Although ECOMOG is labelled by ECOWAS as its own sub-regional peace-keeping force, the author believes that the root of ECOMOG is in the tradition of “armies on loan, ” which is one form of the use of military power in interstate relations of independent Africa. African states have often deployed elements of the armed forces in open support of foreign policy objectives on other African countries. ECOMOG is not a neutral peacekeeping force but multilateral “armies on loan” whose purpose is to provide military assistance to threatened regimes or governments in West Africa.
  • 佐藤 章
    アフリカ研究
    2012年 2012 巻 80 号 45-49
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2014/01/25
    ジャーナル フリー
  • ――紛争前、紛争中、そして紛争後――
    落合 雄彦
    国際政治
    2023年 2023 巻 210 号 210_17-210_32
    発行日: 2023/03/30
    公開日: 2023/06/29
    ジャーナル 認証あり

    Between 1989 and 2003, Liberia underwent a devastating civil war. The aim of this article is to provide a panoramic analysis of how the ethnic rivalry known as the “Mandingo Question” in Liberia has historically transformed before, during and after conflict. There are approximately 16 ethnic groups in Liberia, excluding the settlers such as the Americo-Liberians and foreigners such as the Lebanese. Mandingo people are mainly a Muslim ethnic group that played an important role in trans-Saharan trade and remain one of major ethnic groups in Mali and Guinea. However, they are the latest group to have migrated to present-day Liberia in the 18th century and are an ethnoreligious minority in the country. The Mandingo in Liberia have been frequently subjected to hatred and discrimination, being widely perceived as “foreigners from Guinea”. Prior to the civil war, the Americo-Liberian and Samuel Doe regimes developed close cooperative ties with the Mandingo to take advantage of their economic power and support. Despite this, which may be summed up in a single phrase as “cooperation with those in power”, the fact that the Mandingo formed close ties with the Doe administration in the 1980s, which blatantly engaged in the political use of ethnic identity, mired the “Mandingo Question” with deeper antagonism than ever before. During the conflict, the “Mandingo Question” was more intensified. A number of armed groups were formed on the basis of ethnic identity, and combatants of the Mandingo and other ethnic groups such as the Gio/Mano fought against each other. The Liberian civil war was not a so-called “ethnic conflict”, but the ethnic tensions which had been strongly politicised by the Doe administration prior to the outbreak of the conflict functioned powerfully as a “logic of war”. After the conflict, many land-related disputes occurred in Nimba County, particularly at Ganta, a city in the north-western region of the county. The Mandingo were not always victims but sometimes perpetrators in the land disputes that occurred in the post-conflict Ganta. The land disputes that the Mandingo are involved there are no longer conflicts simply involving the land rights of individuals or families, it is rather caught in the larger context of the “Mandingo Question”, which has been historically constructed and deeply politicised. Although the conflict in Liberia came to an end in 2003, the “Mandingo Question” involving the land disputes in Ganta, Nimba County, can be seen as one of the most difficult problems to resolve in post-war Liberian society.

  • 首長をはじめとするローカル・エリートはどのような役割を担ったか
    岡野 英之
    日本文化人類学会研究大会発表要旨集
    2017年 2017 巻
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/05/26
    会議録・要旨集 フリー
    2014年から2015年にかけて西アフリカはエボラ出血熱の流行に見舞われた。その被害の中心となったのがシエラレオネ、
    リベリア
    、ギニアの三国である。本発表はシエラレオネに焦点を当て、首長をはじめとする農村のエリート層が、いかにエボラ出血熱に対応したのか、そして、いかに政府を中心とする感染拡大を防止する対策に動員されたのかを明らかにする。
  • *大橋 岳
    霊長類研究 Supplement
    2013年 29 巻 P-64
    発行日: 2013年
    公開日: 2014/02/14
    会議録・要旨集 フリー
     ギニア共和国ボッソウでは 1976年以来,野生チンパンジーの調査がおこなわれてきた.アブラヤシの種子を台となる石のうえに置き,別の石をハンマーとして叩き割るなど,多くの道具使用行動がしられている.近隣の群れではどのような行動がみられるのか.そもそもボッソウ近隣のどこにチンパンジーがすんでいるのか.ボッソウは
    リベリア
    との国境から近い.しかし,内戦などの影響もあり,
    リベリア
    内で調査が行われた例は,海外の研究者を含めてもきわめて少なかった.実際にボッソウのチンパンジーが国境をこえて
    リベリア
    の森を訪れたのをきっかけに,2006年より
    リベリア
    共和国ニンバ州にて広域調査をおこなってきた.ボッソウから 100_以内の森においても,チンパンジーを狩猟対象としない地域が存在し,そのなかでパラという地域が観察をするうえで有望な地域だと考えられた.足跡や食痕などの痕跡をたよりに,できるだけ直接観察を試み,ふたたびチンパンジーが訪れると予想される地点にはセンサービデオカメラを設置した.その結果,ボッソウでみられるアブラヤシの種子割り行動と杵つき行動が直接観察や自動撮影された動画から確認された.これらは当該地域でひろくみられる行動の可能性も高いが,とくに後者の行動はボッソウでのみ,しかも長期調査開始後 10年以上を経て確認されていたことを考えると,それ以降にボッソウのチンパンジーと交流があった可能性も考えられる.また,今回の調査で,他の調査地では全く報告されていない道具使用行動を発見した.板根たたきディスプレーにおいて,パラのチンパンジーは板根へ石を当てて大きな音をたてた.今後,石の選択やその持ち運び,行動パターンを調べるとともに,板根に残された痕跡の分布によって,この行動がどれほど広がっているのか,彼らの遊動域などを考慮に入れながら明らかにしていきたい.
  • 増田 久美子
    アメリカ文学研究
    2008年 44 巻 1-18
    発行日: 2008/03/31
    公開日: 2017/09/29
    ジャーナル フリー
  • 有馬 雄三, 島田 智恵
    ウイルス
    2015年 65 巻 1 号 47-54
    発行日: 2015/06/25
    公開日: 2016/02/27
    ジャーナル フリー
     西アフリカにおけるエボラウイルス病(Ebola Virus Disease: EVD)の流行は,2014年3月,最初にギニアから報告され,その後,国境を接するシエラレオネ,
    リベリア
    にも感染が拡大していった.これら3カ国でのEVDの流行は,流行期間,地理的広がり,死亡例を含めた症例数において過去に例をみない大規模なものとなり,最初の報告から1年を経た2015年4月現在でも流行はいまだ終息していない.また,これら3カ国以外にも,アフリカ大陸以外の国々(イギリス,スペイン,米国)を含めた6カ国でEVD症例が報告されたが,その発端となったのは,ギニア・シエラレオネ・
    リベリア
    のいずれかの国での感染例であった.病原体であるエボラウイルスについては,ヒトからヒトへの感染経路や予防法が良く理解されており,ウイルスの病原性や感染性の変化も確認されていない.しかし,今回このような大規模な流行になった要因としては,元来脆弱だった社会基盤や医療・公衆衛生の制度に加え,EVDを初めて経験する医療従事者らを含む国民や国にとって,適切な対応を迅速に行うことが容易ではなかったこと等が挙げられるだろう.
  • 種市 雅彦
    日本航海学会誌 NAVIGATION
    2013年 184 巻 81-88
    発行日: 2013/04/20
    公開日: 2017/06/30
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • *大橋 岳
    霊長類研究 Supplement
    2007年 23 巻 P-03
    発行日: 2007年
    公開日: 2009/05/30
    会議録・要旨集 フリー
    リベリア
    における野生チンパンジーの研究は、コートジボワールとの国境に近いサポ国立公園やギニアとの国境に近いカントン山において過去おこなわれたが、内戦の影響もあり近年はおこなわれていなかった。西アフリカではナッツ割りという道具使用行動が複数の地域(ギニアのボッソウ、コートジボワールのタイなど)で確認されている。また、ナッツ割り行動については対象となる植物種や道具の種類に地域差があることがわかっている。最近では「文化的行動」として捉え、その地域差に着目されている。
    リベリア
    では、どのようなナッツ割りがみられるのか。また、内戦のあとチンパンジーはどのように分布しているのか。これらを明らかにするため、2006年2月より、
    リベリア
    における野生チンパンジーの調査を開始した。本発表では現地住民へのインタビューをもとに、チンパンジーが生息すると考えられたニンバ州3地域(ニンバ山南域、ボンラ、ペイレプラ)での調査について報告する。ニンバ山南域では古いベッドや食痕は確認できたが、新しい痕跡は確認できなかった。クウラの木はあったが、近くにチンパンジーの痕跡を発見することはできなかった。ボンラではクウラのナッツ割りの痕跡を確認できた。アブラヤシなどナッツ割りの対象になりうる他の樹種は森林内で確認できなかった。ペイレプラではクウラとアブラヤシのナッツ割りの痕跡を確認できた。上記3地域では、いずれもチンパンジーのコアエリアがどこか把握するに至っていない。また、どれほど群れが存在するのか明らかでない。さらなる調査で明らかにしたい。
  • 六辻 彰二
    アフリカ研究
    2002年 2002 巻 60 号 139-149
    発行日: 2002/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
    シエラレオネ内戦は複雑な経緯を辿ったが, それは主に武力行使に関与する国内アクターが離合集散を繰り返したことと, 政権が目まぐるしく交代したことによる。内戦発生以後のほとんどの政権に共通することは, 独自の紛争対応が困難であったため, 民兵や民間軍事企業に依存したことである。これらのアクターは革命統一戦線 (Revolutionary United Front: RUF) との軍事的対決に有効な機能を果たしたが, 必ずしも政権の管理下になかったため, 交渉の推進には消極的で, 内戦を長期化させる一因ともなった。他方, 当初平和維持活動以上の介入をみせたナイジェリアは長期の派兵に耐えきれず, 交渉の進展に積極的な対応をみせた。結果的に2002年1月の内戦終結宣言は, 紛争ダイヤモンド輸出と武器輸入の規制と並行した, 交渉促進のための国際的な取り組みに大きく負っている。しかし主な内戦発生要因のうち, 社会的不満を表明する手段の欠如は民主的政府の設立にともなう異議申し立ての機会の確保により, そしてRUFを支援する紛争支援国の活動は国際的監視により大きく改善されたが, 政治腐敗と結び付いた資源配分や地方の生活環境は未だに深刻であるため, 内戦が再燃する危険性は払拭されていない。
  • 真砂 宏
    日本舶用機関学会誌
    1979年 14 巻 3 号 262-267
    発行日: 1979/03/01
    公開日: 2010/05/31
    ジャーナル フリー
  • Partnership Schools for Liberiaを事例に
    林 寛平
    教育学研究
    2019年 86 巻 2 号 213-224
    発行日: 2019年
    公開日: 2019/10/12
    ジャーナル フリー

     比較教育学は「政策移転」の概念を用いてきたが、「教育の輸出」事象においては輸出側の優位性を保持し、利益を確保し続けるためにトランスフォーメーションが疎外される。本稿はPartnership Schools for Liberia(PSL)の事例を用いて、トランスフォーメーションを意図しない新しい形の政策移転の特徴を明らかにし、「教育の輸出」において「パッケージ化された学校」を購入するという事象を分析するための枠組みを構築する必要性があることを指摘する。

  • 大橋 岳, スマオロ プロスペール, サンガレ アグネス, ズル ローレンス, カウォン シェリー, ゴル ブラマー
    霊長類研究 Supplement
    2022年 38 巻
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/10/07
    会議録・要旨集 フリー

    リベリア
    共和国パラの森に生息する野生チンパンジーはパントフートとともにおこなう板根叩きの文脈で板根へ投石し、森に響く音をたてる。その行動の特徴を知るために、2019年2月から3月にかけて、板根とそこに残された石について調査した。調べた板根は190本だった。それらの木について、GPSによる位置情報、樹木の胸高直径、板根への投石による痕跡の有無、チンパンジーが使用したと思われる石のそれぞれの重さ、樹木のロケーション(平地か斜面か)について記録し分析した。190本中39本(平地25本、斜面14本)には石を当てた痕跡がなかった。遊動域内であっても使われないものもあり、また一部は遊動域を外れている可能性がある。134本には根元に石があり、その合計は1398個あり、平均3.62kg、中央値3.0kg、最小値0.1kg、最大値16.3kgだった。胸高直径の大きさと石の数には相関があった。使用後の石の位置の不安定さから斜面で石の数が少ない可能性が考えられたが有意差はなかった。板根に痕跡があるにもかかわらず、根元に石がない木が平地で66本中8本、斜面で85本中9本あった。斜面で投石後の石が滑り落ちてしまう事例も考えられ斜面での割合が多いと予想していたが、実際には平地と斜面で有意差がなかった。パラのチンパンジーはナッツ割りにも石を利用する。平地で石がなかったところでは、チンパンジーがあらためて別の場所へ石を運んだ可能性が考えられる。

  • ―国際連合安全保障理事会決議1325の実施をめぐる一考察―
    山田 悦子
    国際開発研究
    2013年 22 巻 1 号 13-22
    発行日: 2013/06/15
    公開日: 2019/09/27
    ジャーナル フリー

    It is widely accepted that policy for women in peacebuilding is a crucial issue, yet there are some academic discussions that policy for women by the UN (United Nations) tends to be marginalised. This note attempts to discuss and reveal the UN's flawed implementation of policy for women in peacebuilding operations focusing on the UN Security Council Resolution 1325 (SCR1325). The resolution was adopted in 2000 for improving female active involvement in conflict resolution, conflict prevention, peacebuilding operations and peacekeeping operations. The literature review on SCR1325 and its implementation describes that the resolution gave women a positive role in peacebuilding operations; however, other literature also criticises the fact that SCR1325 was used as a convenient loophole for the UN to marginalise and ghettoise policy for women from peacebuilding operations.

    To examine the attitude of the UN towards policy for women in peacebuilding operations based on SCR1325, DDRR (Disarmament, Demobilization, Reintegration and Repatriation) for ex-female combatants in UNMIL, (the United Nations Mission in Liberia) was investigated. In DDRR, some consideration by the UN for female participants has been shown; however, there were some difficulties for women. Moreover, there are some criticisms that some difficulties was caused due to lack of consideration by the UN.

    The study revealed the reason why the policy by the UN for women is afforded such low priority can be explained using the power relationship between the UN and the aid recipient country, Liberia, in peacebuilding operations. Developed countries, including those within the UN, are likely to introduce a western-oriented liberal economy, rational institutions and policies to conflict-affected countries in the context of the peacebuilding. In the process, it seems that post-conflict society, e.g. Liberia, is forced to accept the institution due to the power relationship. Moreover, the ‘gender hierarchy’, that is the system that privileges maleness and underestimates the female status, is also embedded in the transplanted system; and ‘gender hierarchy’ is also latent in the discourse within SCR1325. In conclusion, it is possible for the article to suggest that due to the power relationship on peacebuilding operations between the UN and the aid recipient country, and ‘gender hierarchy’, the policy for women by the UN tends to be afforded low priority in peacebuilding operations.

  • 元木 淳子
    アフリカ研究
    2004年 2004 巻 64 号 89-91
    発行日: 2004/03/31
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
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